「邪悪なものの鎮め方」の中に「家族に必要なただひとつの条件」というエッセイがある。
内田氏の家族論とは一体どのようなものなのか興味深く読んだ。しかし、その内容に、一瞬絶句した。
家族に必要なただひとつの条件は、「儀礼を守ること」だそうだ。
愛がなくとも、共感がなくとも、価値観が一致しなくとも、美意識が一致しなくとも、信教が一致しなくとも、政治イデオロギーが一致しなくとも(キリがない)、家族の儀礼を守ればそれでオッケーだとのことである。
具体的には、朝起きれば「おはよう」、寝るときには「おやすみ」、誰かが帰ってきたら「ただいま」「お帰り」などの儀礼をきちんと行うことである。
多分、このようなことなのだと思う。
家族とは、弱者が共同体をつくることで生き延びる確率を高めようとした社会制度である。だから、弱者に対して多くを求めないことなのだ。つまり、簡単な家族の儀礼さえ守っていれば、あなたは私達の家族なんだよ、ということを認めてあげる社会制度だということだ。
そのように考えると、少しは意味が分かるかなぁと思う。だってそうでしょ、家族ってむかつくことが多い。いつも愛していることばかり要求されたらきつい。むかついていても、儀礼だけはちゃんと守っていればいい、としたほうが、弱者にはありがたい。
なるほど。