出かけていて全部は見ていないんだけど、たまたまテレビをつけたら「すべらない話」をやっていたので観た。
今回は素直に話を聞くのではなく、話の構造に着目しながら聞いていた。
なるほど、という感じだった。
特に、今回はスマップの稲垣吾郎と香取慎吾が出ていたので、プロと素人の対比という意味でも分かりやすかった。
芸人さんの話は、フリとオチがきちんとある。それに対し、稲垣さんの話は、つまらないわけではないのだが、そういう構造になっていない。
ちなみに、フリとは、私の解釈では、意識を固定することだ。Aさんは真面目だ、真面目だ、真面目だ、と繰り返しそれを意識させることである。
オチとは、真面目とは逆のズレた状態を示すことである。
フリとオチは真逆なほど面白い。
具体的に検討してみよう。
例えば、小籔さんの話だ。
若手の頃漫才をしていて、相方と仲が良かったということがフリになっている。二人共バレー部だったとか同級生だったとかいかに仲が良かったかが語られる。
しかし、すごく仲の良いのに、鼻歌を間違えたくらいでムカついた、というのがオチになっている。
すごく仲がいい→鼻歌の間違えくらいでムカつく、という構造である。
もう1つ、バカリズムさんの話。
テレ朝の警備員が中に入れてくれない。そんな番組収録はないと言っている。ここで、警備員が横暴で、逆にバカリズムさんが番組に遅刻しそうでかわいそうということが、フリになっている。
しかし、この番組はテレ朝の番組ではなくTBSの番組だった、というのがオチになっている。
つまり、横暴な警備員・かわいそうなバカリズム→実はきちんとしている警備員・実はひどいバカリズム、という構造になっている。
プロの話は、笑いの構造を的確にとらえている。
これに対し、稲垣さんの話は、中年のおじさんが家によく泊まりにくるという話である。面白いことは面白い。ホモなんじゃないかとか、なんで中年のおじさんと仲がいいのかとか、いろいろ興味深い。しかし、構造的にフリもオチもない。単なる話である。
構造主義により、話の構造がどんどん解明されてきた。
お笑いもその一つだ。このように面白い話の構造はかなり分析されている。
まずは、その構造にしたがった話を作ってみる。それがうまくなる近道である。
その次は、話し方である。その面白い話をどのように話すのか、構造主義は教えてくれない。
そのタイミングや呼吸のようなものは、職人的なものだ。それなりの訓練と場慣れが必要である。
まずは、構造的に面白い話が作れるという段階があって、それをいかに面白く話すかという段階がある。
その二つを兼ね揃えた芸人が一流と呼ばれるのだろう。