日本人の宗教観のバックボーンは神道だとか仏教だとか言われるが、なんといっても祖先崇拝だと思う。田舎に帰ってつくづくそう感じた。
田舎の法要では、浄土真宗の坊さんがお経を読んでいたが、そもそも、お釈迦様は死後の世界については、何も語らなかった。つまり、死後の世界や宇宙の果てみたいなわからないことについては語らないというのが仏教の姿勢である。このような考え方を「無記」という。
仏教には「輪廻転生」という考え方があるじゃないかという人もいるかも知れない。しかし、「輪廻転生」は古代インドの考え方で仏教の思想ではない。心の安らぎを得るために、そのような説明がなされることもあるが、基本的に仏教の考え方ではない。
仏教は祖先崇拝とはあまり関係のない宗教といえる。
そもそも仏教は、宗教というより、煩悩を脱却して悟りを開く方法を説く「思想」である。
お釈迦様が他の宗教の神と異なってすごいところは、普通の人も悟りを開きお釈迦様と同じようになれるといったところにある。
しかし、日本の仏教界は、檀家との経済的つながりを重視しすぎる。あまり仏事に気をとられ、本当の意味での宗教的役割を果たしていない。
宗教の役割は、煩悩から生じる不安や怒りを排し、人が安らかで幸せな人生を送るように導いていくことにある。
仏事で形式的なお経を読めば、先祖の供養につながり、親族の気持ちが、多少、落ち着くかもしれない。しかし、それだけである。どう生きるべきかについては、何も示されない。
結局、自分たちの稼ぎのためにやっていると悪口をいわれても反論できないだろう。
無明(真理を理解できない状態)のため、苦しみにあえいでいる人は多い。このような人たちが救えず何が宗教だと思う。
科学の力が強まり、宗教の力が弱まっている。また、そのせいで、詐欺的なインチキ宗教が広まり、人々の間に宗教アレルギーが起こっている。それでいいという考えもありうる。
私はもともと無神論的な仏教が好きだから。だが、仏教のいいところは広めて欲しいと思う。
その意味で、日本の仏教には頑張ってもらいたい。