藤圭子さんが亡くなられたというニュースがあった。正直いって、藤圭子さんの歌や人柄についてはよく知らない。ただ、昔読んだ村上春樹のエッセイ集「村上朝日堂」の中に、藤圭子さんの記述があったことを覚えている。
ネットで調べたらあったので、引用させてもらった。「僕の出会った有名人」という題名だそうだ。
村上春樹氏は学生時代に、新宿の小さなレコード店にアルバイトしていた。1970年、その店に藤圭子さんが突然立ち寄ったのだそうだ。その時のことが、エッセイで書かれている。
彼女はマネージャーもつれずに一人でふらっと僕の働いているレコード屋に入ってきて、すごくすまなさそうなかんじで「あの、売れてます?」とニコッと笑って僕にたずねた。とても感じの良い笑顔だったけれど、僕にはなんのことなのかよくわからなかったので、奥に行って店長を連れてきた。
「あ、調子いいですよお」と店長が言うと、彼女はまたニコッと笑って「よろしくお願いしますね」と言って、新宿の雑踏の中に消えていった。店長の話によればそういうことは前にも何度かある、ということだった。それが藤圭子だった。
そんなわけで僕はまるで演歌は聴かないけれど、今に至るまで藤圭子という人のことをとても感じの良い人だと思っている。ただ、この人は自分が有名人であることに一生なじむことができないんじゃないかという印象を、その時僕は持った。
「この人は自分が有名人であることに一生なじむことができないんじゃないかという印象を、その時僕は持った」
作家らしい観察眼である。
世間に顔を広く知られ、そこで生きていくには、精神をコントロールしていかなくてはならない。知らない人にいつも声をかけられれば、それだけでストレスになる。また、有名になると桁違いの人と接触しなければならない。その中には嫌いな人が大勢いる(ウン百万単位の人)。その人たちともうまく付き合っていかなくてはならない。これは、音楽的才能とは別の特殊な能力である。
もしあなたに何かしらの才能があり、有名になるチャンスがあったとしても、その特殊な環境の中でうまく立ち振る舞っていくだけの能力を身につけなければ、人に疲れ、結果的にその才能を枯らしてしまうことになるだろう。世の中をサヴァイヴしていくためには、才能だけでは足りないのである。
ただ、これは一般論である。藤圭子さんが自殺した本当の理由は分からない。娘の宇多田ヒカルのコメントによれば、長い間精神の病に苦しめられていて、本人の性格上治療を受けることが困難だった、とのことだ。それ以上のことは詮索してもしょうがないだろう。
故人のご冥福をお祈りします。