先日、ある営業の方が、約束した訪問の日時に来ませんでした。
〇月〇日の午前中との約束だったのですが、来ませんでした。
午後、外出する予定だったので、携帯電話にメッセージを入れて外出しました。
こういうことは、人生において、起こり得ることです。
以前なら、イライラしたり、怒ったりしていました。
今回は、冷静に対処できたと思います。
以前と変わったのは、約束を破られても、イライラしたり、怒ったりせず、心の平静を保つことを、人生の目標の一つとしていることが要因だと思います。
知識を身に着ける頭の努力、アンチエイジングのために身体を鍛えるという肉体の努力、そして、今回のような心の努力があると考えています。
心の努力として、心の安定感を築くということが大切だと思うのです。
心の浮き沈みが激しい、怒ったり、イライラしたり、笑ったり、泣いたりを、繰り返すのではなく、常に、心の平静を保つ、心を安定させるようにするという努力が、私の考える心の努力の一つです。
今回は、うまくいったと思いますが、次は、分かりません。
今後、常に、心の安定感が保てるように、努力を継続していくつもりです。
散歩コールから撮った大分市街地です。
上側は、国東半島、別府湾です。
私の子供の頃からすると、マンションが多く建ちました。
左したに、緑色の芝生のようなものが見えます。
グラウンドです。
今は、ラグビー専用になったのではないかと思います。
私が高校時代は、ここで、ラグビーの試合をやっていました。
当時とかなり変わってしまいましたが、親近感のある場所です。
正しい目標を持ち、正しい方法で努力を継続している皆さん。
未来は、あなた方の手の中にあります。
がんばれ。
負けるな。
私も頑張ります。
62歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。
母の介護が終わって、いろいろと反省するところも多いというのが現実です。
そのような反省が、これから介護をする方にとって、何らかのお役に立てばと思います。
私は、「なんとか回復してもらいたい」という思いで介護をしていました。
ただ、デイサービスでの訓練のようなものは途中で止めて、私が、運動器具を使って寝たまま筋肉を震わせたり、ときどき歩行訓練等をやっていました。
通っていたデイサービスが業務を停止したため、新しいところへ行こうと検討はしていたのですが、母が、車に乗ると気分が悪くなること、母が、行きたくないような意思を示したので、ズルズルと時が流れてしまいました。
母が、元気なときに、母の同級生が亡くなりました。
母が、ご主人に、お悔みの電話をしたところ、ご主人は、次のような後悔の言葉を述べたそうです。
「よくなると思って、辛いリハビリをしたが、こんなに早く亡くなるとは思わなかった。こんなことなら、本人が泣くような辛いリハビリをさせなければ良かった。」
私は、この話を聞いていたので、母には、無理に、デイサービスに通い、訓練をすることを無理強いはしませんでした。
ただ、「なんとしても、回復させてみせる」という思いはありました。無理をせず、少しずつ、少しずつ、できることを積み重ねるようにして、です。
自我力でした。
ある意味、もがいていたかもしれません。
自分は、神さま仏さまでもないのに、できると思っていました。
一方で、「人は、この世で、永遠に生きることはできない。」という考えも持っておりました。
私の思いは、一般の人から見ると、ちょっと複雑かもしれません。
そして、回復することもなく、母は、少しずつ体力が衰えていき、帰天することになりました。
自宅での訓練は、そんなに厳しい訓練を継続した訳ではありません。
母が、時には、「痛い」とか、「きつい」とか言うこともあり、そのときは、中止しました。
プロティンを飲ませて、下痢をしてしまったこともあります。
プロティンは止めて、下痢をしないようなドリンクを少しずつ飲ませることに替えました。
今、思えば、「いずれ亡くなることを理解して、家族のそばで、のんびりと過ごさせてあげることが幸せなのではないか」ということです。
訓練すれば、機能維持または回復できる状態と、それができずに、少しずつ衰えていく状態との見極めが必要なのですが、難しいと思います。
この見極めを適時にすることができれば、もう少し違った介護となったのではないかと思います。
このような反省をしていますが、全て駄目だった訳ではありません。
できたこともあります。
できなかったことは、母に詫びたいと思います。
完璧な介護なんて無理だと思います。
より良い介護を目指すことができれば、良いのかなぁというのが、私の考えです。
より良い介護とは何かというと、それは、千差万別で、一言で説明するのは、難しいのですが・・・
介護をしている方、介護について迷われている方、将来、介護の不安のある方等など、何かの参考になれば幸いです。
介護の種類、度合い等は様々で、一概には言えませんが、介護をするのは大変です。
このブログを読んでくださった皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
いつもの高崎山、鶴見岳、由布岳です。
この日は、天気がよく、高崎山がくっきりです。
では、また。
「今日も、一鍬(ひとくわ)」というのは、次のような意味です。
広大な農地を耕すのは、1日ではできません。
人生においても、人間としての向上、魂としての向上も、1日では、できません。
自分の能力のなさを嘆いたり、過去の人生を悔やんだり、そのようなことに、時間を費やしても仕方がありません。
一鍬、一鍬のつもりで、今日、やれることをやっていこうとうことです。
直接的に、向上につながることでなくても、今日できることをするということです。
例えば、私は、現在、家の片付けをしています。
昨年、母が、帰天し、母の持ち物等を整理しています。
長らく整理をしていなかったので、父の持ち物や私の持ち物もあります。
それらを片付けるのは、人間としての向上に直接関係ないようにも思えます。
整理をするのは、場を整えるということに繋がります。
周辺をきれいに整えるということは、肉体、精神、魂の健康にとって必要なことだと考えているのです。
また、毎日を規則的に、過ごすようにしています。
これも、肉体、精神、魂の健康にとって必要なことだと考えています。
片づける持ち物の中に、父、母、私、親戚等の昔の写真がありました。
父、母、親族に、感謝をしながら、片づけています。
そして、自分の人生を振り返り、人間として、魂として、現代に生んでくれたこと、いろいろな経験を積むことができたことを、感謝しながら片付けをしているのです。
片づけも、いつまでも、続ける訳ではありません。
ある程度のところで、切りをつけて、定期的な片付けに切り替えるつもりです。
そして、人生の目標等に、再チャレンジしてみたいと思っています。
人間としては、魂としては、まだまだなので、悲観的な思いが一瞬よぎることもありますが、「今日も一鍬」という思いで、自分を鼓舞して、前進、停滞、前進、ときには、後悔、また、前進を繰り返して、生きています。
いつもの散歩コースから見た別府湾です。
天気も良く、割ときれいに、海の青さが撮れたと思います。
歩くと、気持ちも身体もスッキリします。
孤独感、脱力感で、落ち込んでいる方、
いろいろな悩みを持ち、落ち込んでいる方、
何らかの御縁で、このブログを見てくれた方、
皆さんのお役に立てば幸いです。
皆さんに、神さま仏さまのご加護がありますように。
負けるな。
62歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。
「未来は正しい目標を持ち、正しい方法で努力を継続する人の手の中にある。」
私のオリジナルの言葉ではありませんが、少し私が手を加えています。
年初の言葉を変えようかと思いますがが、この言葉にしました。
現在、何か目標に向かって、日々、努力を継続している方々の励ましの言葉となれば、いいなぁと思います。
私自身を励ます言葉の一つでもあります。
昨年、母が、帰天し、現在、孤独感、脱力感と格闘する毎日ですが、自らを鼓舞するように、努力を継続しています。
そんな私の令和6年1月1日から8日までの365日継続記録表と365日勝敗表です。
年初から、白星続きです。
身体の調子は悪くないように思います。
後は、精神面です。
少しずつ少しずつ、精神面でも、健康になるように努力を継続します。
最近、よく散歩をします。
散歩コースから見える霊山(りょうぜん)だと思います。
手前の小さな丘が、わが母校(高校)がある場所だと思います。
高校時代は、歩いて上るのが、たいへんだった記憶があります。
でも、写真のように、霊山の高さからしたら、大したことはない高さです。
(多分、今、高校まで歩いて上っても、きついと思います。)
何かの目標に向かって、正しい方法で努力を継続する皆さん。
未来は、あなた方の手の中にあります。
がんばれ。
負けるな。
諦めるな。
私も頑張ります。
皆さんに、神さま仏さまのご加護がありますように。
62歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。
「今日の議題は、『テレビをBAN(バン)』です。」
「最近、ユーチューブでは、 BAN(バン)ちゅうのを、よく聞くけどなぁ。」
「ユーチューブでは、新型コロナワクチンに関するリスク情報、その関連情報の動画をアップすると、BAN(バン)、つまり、動画そのものを削除されるようです。
だから、新型コロナワクチンとは、言わずに、「新型コロナ〇〇(マルマル)」とか、「お注射」とか、「アレ」等という表現を使っているようです。」
「報道規制やなぁ。
BAN(バン)されんように、しちょるちゅうことやな。
苦労するなぁ。」
「ネットでも、有料動画チャネル(無料の動画もある)や、ホームページでは、新型コロナワクチンのリスク情報等を見ることができます。」
「ユーチューブは、BAN(バン)されると困るから、表現を変えるしか、対抗手段がねぇわなぁ。
テレビや新聞も、新型コロナワクチンのリスク情報は、全くと言っていいほど、報道されんしなぁ。」
「ユーチューブには、抵抗できません。
そこで、テレビに抵抗するため、テレビを廃棄しました。
車のナビのテレビも映らないように工事してもらいました。」
「逆BAN(バン)やな。
でも、そんなことしても、ユーチューブは、痛くも痒くもねぇわなぁ。
テレビ局も、痛くも痒くもねぇわなぁ。」
「抵抗というのは、大げさです。
テレビや新聞の情報だけに、左右されるのを避けることも理由の一つです。
ネットでは、テレビや新聞の情報とは、違う観点での情報を得ることができます。
どちらが正しいかは、情報の受け手の判断力の問題です。」
「ふ~ん。
誰も、あんたの真似は、せんわぁ。
やっぱ、ついついテレビ付けるし、新聞手に取るで。」
「考え方の問題です。」
「・・・」
新型コロナワクチン接種による後遺症で苦しんでいる方が居ます。
新型コロナワクチン接種により亡くなられた方もいます。
政府は、必要な情報を明らかにせずに、必要な調査をやろうともしません。
救済措置も十分ではありません。
また、新型コロナワクチンを国民に接種させようと、情報操作や無料という方法を使っているようです。
さらに、自己増殖型の新型コロナワクチンを承認してしまったようです。
(ほぼ新型コロナウィルスと同じように思います。)
多くの方が、新型コロナワクチンの危険性の認識を持たないと、声を上げないと、この現状は変わらないと考えます。
新型コロナワクチンのリスクについて、関心を持ち、情報を入手してください。
実は、この新型コロナワクチンリスクの問題は、さらに危険な新しいワクチンの普及=日本が実験場になるということ、世界保健機構を通した世界各国を支配しようとする取り組み=パンデミック条約等へ、繋がっています。
テレビ、新聞等の大手メディアの情報に惑わされずに、正確な情報を入手し、認識を持っていただきたいと考えます。
多くの国民が、知ることで、認識することで、悪い奴らは、力が削がれていきます。
一歩を踏み出してください。
散歩コースから撮った風景です。
かすかに、煙突からの煙が見えます。
工場でしょうか。
散歩すると、少し疲れますが、なんとなく調子が、いい感じです。
このブログを見てくださぅった皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
62歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。