つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

4ババの「小豆島珍道中」その2・・・  

2012-06-11 | 

 先ずは温泉で汗を流し、ちょっと休憩。7時になって食事処の個室へ案内される。炉が切ってあって足を伸ばして座れるのがいい。すでに運ばれている料理は、付出し、お刺し身、鰆のたたき、ふぐと海老しんじょうの一人鍋、アワビのバター焼き、焼き物などなど。ビールで乾杯、一斉にパクつく。


 次にメバルの煮付けが出てきた。「あっ、写真」と気付いたときには、もう片身を食べてしまっている。友人が「裏返せば分からないよ」と言うので、ひっくり返してパチリ。でも、やはりどこか変!   
 
今度は讃岐牛のステーキである。2切れ食べたところで撮り忘れに気付く。「私のを貸してあげる」と友人が自分の肉をお皿に載せてくれてパチリ。どうにかごまかせたかな?       
 次はてんぷら、これは菊の花のてんぷらを1つ食べたところで気付いてパチリ。やはり何か足りない感じ?
 ごはんと小豆島そうめんの吸い物で料理は終わり。
 最後のデザートは、醤油豆のアイスクリームとスイカ。「このアイス、おいしいわ。スイカもあまいね」と言いながら食べていると、隣の友人がスイカを指差して「これ、ええん?」「もう、ええよ」と私。
 
「あっ、また撮り忘れたー」すると「さっき、これ、ええんと言ったら、もうええ言うたが…」と友人。「ええっ、これあげようかと言ったんじゃないん? だから、もうええって言うたんよ」「違うよ。写真は撮らんのと聞いただけだよ」。
 とんちんかんな私に、みんな涙を流しながら大笑い。そうやって、よく食べ、よく笑い、よくしゃべって2時間近く、楽しかったなあ。
 
10時半になって、もう一度お風呂へ入り、寝酒のチューハイでいい気持ちになって爆睡。 

 朝食の和食は私の夕食よりよほど豪華だ。鍋には熱いお味噌汁、どれもおいしくてご飯をお代わりした。食後にコーヒーのサービスあり。   


 これで1泊2食10500円とは安い! 私の独断と偏見で決めたホテルだが、大当たりである。係りの女性が言うには、口コミで来てくれるお客さんが多いとか、さもあらんと納得。
 

 今日の観光は、ギネスブック認定の「世界一狭い海峡 土渕海峡」から始まる。

 

 次は「中山千枚田」へ。ここへ行くにも道に迷って大騒ぎ。「私は前を、後ろの2人は右と左をしっかり見てよ」と申し渡すが、通り過ぎてから「さっき標識があったような…」という頼りなさ。千枚田を横目で見ながら山を登りすぎて森の中へ、どうしてこうも方向音痴ばかりかしら。もう笑いっぱなしだ。
 
やっと到着。ほとんど田植えは終わっていたが、まだ小さな田植え機で植えているところもある。見事なまでの千枚田、薫風の中、しばし見とれていた。
 

 

 次の観光地は「銚子渓 おさるの国」である。4月~5月は出産シーズンで、子猿を抱いている姿があちこちに見られた。中には、手のひらに乗りそうな小さなサルもいた。
 お父さんサルとお母さんサル、そして子どもが3匹、なんとも微笑ましいおサルの家族。


 エサを持っていると飛び掛ってくるので、この小屋の中に人間さまが入ってエサをやるのである。右の写真のサルは500匹以上いるサル軍団のナンバー2だとか。
 

 足をすぼめてお上品に毛づくろいをしているおサルさん。かわいい!


 このおサルさん、寝たふりをしているけどちらちらとこちらを見てる。カメラを向けると寝た振りをする意地悪なサル。      
 

 以前、別のところにあった「孔雀園」が経営不振で閉園となり、この「おさるの国」と合併したとか。今が一番羽根の色がきれいだそうで、人が近づくと「どうだ、きれいだろう」といわんばかりに大きな羽根を広げ、けたたましい鳴き声をあげる。
 

 この山には野生の鹿がたくさんいて、ゆったりと草を食べているのが見える。
 

 次は「美しの原高原」スカイラインを通って標高777mの「四方指展望台」へ。「おさるの国」を出て27号線を右へ行くのに、どこで迷ったか元来た道を走っているのに気付く。今度は大丈夫と走ってゆくが、行けども行けども「四方指展望台」の標識が見当たらない。
 
一番勾配のキツイ上り坂で車のエンジン音がおかしくなった。軽四だから4人も乗っていれば坂道は重いだろうし、何度も迷って走り回ればエンジンもおかしくなるわ。止まってボンネットを開けてエンジンを冷ますことにした。「もうすぐ上り坂も終わりみたいだから、2人は歩いていくわ」と、イオンを一杯吸いながら坂道を歩いて上った。
 車が追いかけてきて、
ようやく「四方指展望台に到着。晴れた日は瀬戸大橋や大鳴門橋が一望できるそうだが、あいにく霞んで見えなかった。

 大部港へ到着。フェリーまで時間があるので「大阪城築城残石記
念公園」へ行く。400年前大阪城築城時に、この小豆島からも多くの石が切り出されており、石垣になるはずだった多くの石が残されている。石垣になれず残念というわけで残念石とも呼ばれているそうである。
 石の運搬に使う「修羅とロクロ」 
「修羅」…大石を運搬する際に載せる木枠。 「ロクロ」…木製のウインチ。


 このような筏に乗せて、ひとつひとつ大阪まで運んだのだろうか。

 2時25分発のフェリーに乗り岐路に着く。2日ともこの上ない晴天に恵まれ、楽しい旅ができて幸せ。これからも定期的に旅をしようということになり、9月中旬に「日本のエーゲ海」と言われる牛窓に決定。私はいつも幹事役、旅程から予算まで大変だけど楽しいのよね。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 4ババの「小豆島珍道中」そ... | トップ | 大飯原発再稼動やむなし・・・ »

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事