中国を深く理解している日本人の諸先輩方から今まで色んなことを学んだ。Gさんもそんな一人だ。
Gさんは数年前、僕の上司だったのだけど、この人は凄かった。中国駐在暦通算十数年、中国ビジネスのつわものである。
まず中国語が半端なく上手だった。もともと外語大で中国語を専攻していただけあって、非常に流暢な中国語を話す。発音も正確だし、中国語の言葉の選び方も的確で、わかりやすくてきれいだ。以前、僕のアシスタントをしていたアニメちゃんが、
「いやー、すごいですねぇ。言葉の選び方がいいですよぉ。聞いていて気持ちいいですからぁ。中国人より上手ですぅ」
と舌を巻くほどだった。
中国人の考え方も熟知していた。
「すみません。こんなことで困っています」
と僕が相談を持ちかけると、
「野鶴、中国ではね――」
と、それから答えがぽんぽんと三つ四つ返ってくる。
やっぱりそうだったのかと僕の胸のなかのもやもやが晴れたり、言われてみればたしかにそうだと納得したりする。僕の理解力が足りなくて、
「Gさんはどうしてあのことを強調していたんだろう」
と不思議に思うこともあったりするのだけど、後になって、
「なるほど、Gさんはこのことを言っていたんだな」
と合点の行くことも多々あった。
日本の様々な企業から大勢の社員が中国へ派遣されているけど、中国のことを理解している人はほとんどいない。彼らは中国が好きで中国へ行っているわけではなく、会社の命令で中国へ赴任しただけのことだし、彼らにとって現場であるはずの中国よりも日本の本社の方へ顔が向くのもごく自然なことだから仕方なのだけど、それだけにGさんのように中国を理解しているビジネスマンは貴重な存在だ。
外国を理解――とくに中国のように日本とは真逆の考え方をする国の人たちを理解するのはそんなに簡単なことではない。Gさんの話は論理的で明晰だ。いっしょに顧客訪問をした時、Gさんが豊富な中国体験をもとに、かつロジカルに顧客へ案件の提案をしていると話の途中からお客さんの顔つきが変わって真剣に耳を傾けるようになることが何度もあった。こうすればお客さんを説得できるのだなと傍で見ていて僕は非常に勉強になった。もちろん、なんだかんだいって中国が好きだから理解しようとするわけでもあるのだけれど、Gさんは自分の論理力を鍛え、論理的に把握しようとすることで中国という一見混沌としてみえる国への理解を深めてきたのだと思う。
Gさんは中国語(北京標準語)だけではなく、英語と広東語も話せた。今から十数年前、Gさんは広東のある街に駐在したのだけど、当時は広東人の現場作業者で北京標準語を話せる人は少なかった。そこで、彼らとコミュニケーションをとるために独学で覚えたそうだ。
十数年前といえば、中国はまだ発展し始めたばかりで、今のように便利ではなかった。当時は外国人が住んでいい場所は限定されていて、一般のマンションには入居できない。その街には政府が外国人居住用に許可したマンションもなかった。Gさんはホテルのごく普通の部屋に二年間住み続けて事務所へ通ったそうだ。きつい生活だったと思う。
その事務所には二十人ほどのスタッフがいて、中国語、広東語、英語、日本語と四つの言語が飛び交っている。Gさんはそれをすべて同時に聞き分け、誰がどんな話をしているのか、すべて把握していたという。
――聖徳太子みたいだな。
とその話を聞いた時、僕は思った。
「若かったし、気が張っていたんだろうね。おじさんになった今じゃもうそんなことをやろうと思ってもできないけど」
お酒を飲みながらこの話をしてくれたGさんは笑っていたけど、たぶん、猛烈なプレッシャーのなかで仕事をしていたのだと思う。そうでなければ、部下が話している四つの言語の内容をすべて把握しようとはしないだろう。「中国」に体当たりでぶつかってずいぶん苦労されたに違いない。
中国を理解している振りをする人は大勢いるけど、Gさんのような「本物」にはなかなか出会えない。彼との出会いはほんとうに貴重だった。仕事に厳しかったから僕はへとへとになったけど、Gさんの下で働いていた一年間はとても充実した日々だった。
(2014年2月14日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第284話として投稿しました。
『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/