風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

丸見え式トイレ(連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第327話)

2016年08月01日 07時15分15秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』

 中国の田舎へ行けばまだまだあるけど、一昔前の中国のトイレは丸見え式のものが多かった。
 壁沿いのところに溝を流してあって、前後の仕切りだけついてある。大の用を足す時は、その溝に跨ってする。前後の人は見えないけど、横からは用を足している姿が丸見えだ。
 僕がその丸見え式のトイレで初めて用を足したのは、雲南省の田舎のバスターミナルだった。二〇〇一年のことだ。
「ここでウン×をするのか」
 話には聞いていたけど、たじろいでしまった。でも、たしかに大の大人が丸見えのまま溝に跨っている。僕にしても、急いでいるし、ほかに用を足すところもない。しかたなく、空いているところを探して跨った。丸見えの姿勢まま、挨拶を交わしている地元の人たちがいるのには、さらにびっくりした。きばっていると、ごおぉぉっと音を立てて水が勢いよく流れる。タンクにタイマーがついていて、定期的に溝にたまった汚物を流すしかけだった。安上がりで合理的といえばそうだけど。
 初めは恥ずかしくてしかたなかったけど、そのうち僕は丸見え式のトイレに慣れた。きれいに掃除してあるトイレもあるし、穢いところもあるけど、もうどんな丸見え式トイレでもきばれるようになった。要は、周りを気にしなければいいのだ。溝を水で流すのだから水洗式だ。ぼっとん式の便所に比べれば臭くないし、ぼっとん式の糞壺に落ちたらどうしようという恐怖感を味わなくてすむ。
 都市部では丸見え式の便所は消えていった。上海や広州の都市部で公衆トイレへ入っても丸見え式に出会うことはまずなくなった。
 数年前、世界遺産になっている客家の土楼を見るために福建省の田舎へ旅をした。山の谷合に囲まれたなかに一族が全員住むという城塞のような集合住宅がある。大きいものになれば、百世帯以上収容するものもある。匪賊などの外敵から守るためにそのような集合住宅を造って住むようになったそうだ。土楼の周囲は田んぼと畑ばかり。当然、トイレは丸見え式だ。とはいえ、観光地だからきちんと掃除してきれいだった。
 丸見え式トイレで用を足して出てくると、小学校低学年くらいの中国人の男の子に話しかけられた。
「おじさん、ここのトイレは清潔なの?」
 男の子は泣きそうな顔で僕に訊く。そんなことを訊かれたのは初めてだったので目が点になった。トイレが汚くても、たとえ丸見えでも、素知らぬ顔でぶりぶりっときばるのが中国だと思っていた。たぶん、その男の子は町育ちで丸見え式のトイレなんて使ったことがないのだろう。
「きれいだよ。開放式だけどね」
「え? 丸見えのやつ?」
「そうだよ」
 僕は丸見え式のトイレを嫌がる世代が出てきたのかと、半ばあきれながら、半ば感心しながら答えた。丸見え式が嫌だというのはそれだけ中国も発展したということなんだろう。
 男の子は丸見え式だという僕の答えにショックを受けたようで、半べそになってトイレへ消えていった。



(2015年6月28日発表)
 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第327話として投稿しました。
 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


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