子供の頃、慈姑(くわい)が好きではなかった。
おせち料理に必ず慈姑の煮物が出てくる。「芽が出る」というので縁起がいい食べ物なのだそうだ。だけど、なんだか苦いし、おいしくない。正月からどうしてこんなものを食べなきゃいけないのだろうと思いながら食べていた。
雲南省に留学していた頃、仲良くなった雲南人の家庭にお呼ばれしたりしたのだけど、ある時、慈姑の炒め物が出てきた。御馳走になった慈姑はほっこりしているうえに、甘い。子供の頃、苦手だったあの独特の苦さがない。たんに炒めただけなのにどうしてこんなにおいしいのだろうと思った。
留学中に住んでいた宿舎の近所にあった農業市場へ行って、試しに慈姑を買ってみた。皮を剝いてから実を半分に切り、茹でてあく抜きをして、それからざっと炒める。自分で作ってみても、やはり甘くておいしかった。実もしっとりとしている。
子供の頃におせち料理で食べていた日本の慈姑と雲南の慈姑は品種が違うのかもしれないし、雲南で食べた慈姑が新鮮だったからなのかもしれないけど、慈姑っておいしいものなんだと見直した。それから時々、自分でも作って食べたりした。
ちなみに、雲南省のある少数民族には慈姑採りの様子を踊りにしたものがある。慈姑は水田に生える。水田のなかを歩きながら、足の指股で芽を挟んで採るのだけど、その様子を模して足をさっと前へ出して軽やかに踊ってみせる。素朴でいい踊りだった。
(2018年1月2日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第421話として投稿しました。
『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/