食事が終るとその計画と可能性について話し合った。カトマンズへ逃亡し一週間以内に日本、又は第三国へ出国しなければならない、可能性が最も高いのはカトマンズだ。テーブルにメモ用紙を置き彼女の話しを記入する。
マンディー ユーマストゴーコート ・・・エンド・・・
月曜日 裁判所へ出頭する、この日の夜行列車で印・ネ国境へ向かう。チケットは用意できる。翌朝、ゴラクプール着。
火曜日 印・ネ国境の町スノウリを通過。夜行バスでカトマンズへ。
水曜日 朝、カトマンズ着。友人スンダルに会い、カトマンズ警察が発行するパスポートの盗難証明書を収得する為に必要な手続きをする。
木曜日 カトマンズ警察署へ行き、証明書を入手、それを持って在ネパール日本大使館へ。パスポートの交付には数日必要だ、ここで足止めされる訳にはいかない。トラベル・ドキュメント、これだったら即日に発行してくれるはずだ。帰国まで一回使用可の通行許可書だ。
金曜日 トラベル・ドキュメントを持ってネパール出入国管理事務所へ行きビザを収得しなければならない。今までの計画が順調に進んだとしても、恐らくここが重要な問題点になるだろうとぼくは考えている。入国記録の照合確認だ。もしぼくが正規の手続きでカトマンズ空港から入国していればそこにはぼくの入国記録が残っている。スノウリから入国したにしても偽造パスポートや密入国をしていれば入国記録は残らない。ビザが取れなければ出国は出来ない。
土曜日 ネパールは土曜日が休日だ、政府機関は休み。
日曜日 大使館は休館。
月曜日 裁判所出頭日、この日ぼくは出頭をキャンセルする。裁判所はどういう動きをするのだろうか、全く予想がつかない。ネパールのビザが収得できればエアーチケットを購入し出国する。
この計画には希望的要素が多く成功率は低い、危険過ぎる。その上もし計画を実行するとしても、それ以前に確実にクリアしておかなければならない問題がある。スタッフの禁断治療だ。薬物の後遺症が残ったとしても、初期の激しい禁断治療だけは終らせなければ帰国は出来ない。スタッフを持ってカトマンズへ行くのか、無事に出国する事が出来たとして後はどうするのか。最後にスタッフを身体に入れるスニッフのチャンスは機内だけだ。帰国すると直ぐに禁断が始まる。狂った擬似脳は肉体を攻撃し続ける。誰にも見られず、知られず薬物を抜いていく、どこでどのようにして。そんな帰国だったら、ぼくは日本へ帰りたくない、帰る事は出来ない。