ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・9

2014-12-05 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

 今日、サンジと久し振りに会った。アシアナで7週間、一緒に薬物の治療を受けた。ドラックはやっていないと言う彼の身体は健康そうだった。オールドデリーのティスハザール裁判所で審理されている外国人は少ないし知っているインド人もいない。そんな時アシアナで知り合った顔に出会うとちょっと懐かしく話をする。行き帰りのバスではぼくの座席を取ってくれたり、留置場でティーを買ってくれたりと助かる。サンジに15ルピーのクーポンを渡してビリ2本と留置場の定番トーストのカレー衣揚げを買って来てもらった。2人でビリを吸いながらそれを食べた、美味しい。だがぼくにはとても買えない。通路側の鉄格子にはインド人が鈴なりに張り付いていて通路を連行されていく知り合いを捜しているのだ。その間に頭から突っ込んでビリや食べ物を買うのは至難の業だ。とにかくインド人は煩い、留置場の中はウォーワァーと大声で喋っている。刑務官の呼び出しの声も聞こえないぐらいだ。そんな喧騒が普通だから刑務官も静かにしろとは言わない。騒音に負けない大声で何度も刑務官は呼び出しを続ける。最初、ぼくは自分の名前を聞き逃すまいと神経を尖らせていたが今では諦めている。留置場の壁に凭れてスタッフの効きで居眠りをしていてもインド人が知らせてくれる。
「ジャパニー、チョロ」
と、インド人にはない名前だし外国人はぼく1人だから。
 今日も2時頃、戻って来た。このくらいの時間に帰って来られると楽だ。当然、昼食はない。裁判所からお腹を空かして帰ってくるからと食器に残してくれる事などあり得ない。バナナかビスケット等があるので夕食までそれで我慢する。3時のティーは旧Cバラックに行ってスリランカ人と飲んだ。一緒に居た時は嫌だと思っていたが今ではここにいると気が楽になる。それはショッカンがスタッフを止めているからだ。以前のように中毒者の目の淵を黒くして猜疑心の顔をされたらぼくはここに来ないだろう。ショッカンは禁断から抜けて心が安定し人の良いスリランカ人の顔になっていた。いつもお金とスタッフを無心する奴とは思えない。今の状態だったら一緒に生活しても良い、ただこの状態がいつまで続くかだ。今このグループは誰もスタッフをやっていない。そこにぼくなりアミーゴが入って来ると空気が一気に崩れてしまう。久し振りだからちょっとだけやるか、と粉を入れると中毒者はもう後戻りは出来ない。何度もそれを見てきたし、ぼく自身も体験してきた。中毒者の心理は良く分かる。
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