ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅           アシアナ(医療監房)・・・・・4

2012-12-21 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ
午前中の陽射しはそんなに強くはない、前庭に莚を敷いて横になる。バラックの中にはベッドの数よりも収監者の方が多く、かなりのベッドには二人ずつ寝ていた。そこからあふれた者はベッドの間のコンクリートでしか寝る場所がなかった。ぼくは一人のインド人とベッドを共有することになった。昨夜も眠れなかったに違いないのだが強い身体の痛みは感じなかったし、ベッドの上を転がったり通路を動き回った事もなさそうだ。ひどい疲労感と頭の中にガスが溜まったような不快感はあるが涙も鼻水も流れてない。下痢をしてない、これは4日間何も食べていないからかもしれない。時々、脳内を切裂くように光る稲妻も今のところはない。
何度も粉を断った事があるがその苦しさに死んだ方がましだと思ったこともある。スタッフをやり始めた頃、あるジャンキーから
「1ヶ月やったら1ヶ月粉を断つ。長く続けると切り抜けるのが大変だ」
と教えられてそうしていた。粉が手に入る場所では絶対に粉は切れないそれが出来ない遠くの町へ移動した。北インド、ヒンズー教の聖地リシケシで何度か粉を切った。デリーから200km、禁断がどんなに苦しく粉を欲しがっても8時間バスに乗ってデリーまで粉を買いに行くことは不可能だ。そのうち1ヶ月やって1ヶ月苦しむのは得策ではない、1年やって苦しむのは1回だけその程度ならまだ現実への回帰は可能だろうと思った。
逮捕されて25日と26日は私服のポリから1日1回、粉を与えられていた。完全な切りに入ったのは27日から、今日で2日目だ。一番苦しい時なのに前庭に莚を敷いて横になりぼ~とデリーの青い空を見ている。アシアナのようなドラッグ中毒者専門の施設で治療を受けるのは初めてだ。どういう薬を使っているのか、どのくらいの日数で抜けるのか、完全に抜け切るには粉を使った年月だけ必要だと聞いた事がある。考えてみれば何ヶ月掛かろうと何年掛かろうと
「大使館が言う、ミニマムで10年の刑」
より長い事はないだろう。どの道この刑務所からは出られないのだ。日中、40度を超える熱暑のインドの夏を10回も生き延びて出所の日を無事迎えられる事など有り得ない。明日から先の事を自分で考える必要など何もないのだ、自分では決められないのだから。だったら全て施設に任せて治療を受けていれば良い、中毒から抜け出せるかもしれない、費用はインド政府が支払う。長いスタッフ中毒の治療から何とか解放されたからといって自由になるという訳にはいかないのが欠点だが。

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