のろのろと書いていたもんで、自然農法関連の記事が年をまたいでしまいました。
他にもいろいろ書こうと思っていたことはあったのですが、これ以上畑の話しばかりしてもアレだと思いますので、後の部分はホームページに書くことにします(近々ホームページリニューアル予定)。
あと、無肥料栽培に関する記事で、河名秀郎さんの著書を大いに参考させていただきましたが、このブログに書いたことは僕の個人的な考えがかなり多く含まれています。
河名さんのお伝えしようとしていることとは、相違がある部分もあるかと思いますのでご了承くださいませ。
また、この本にはまだまだお伝えしきれなかったことがたくさん詰まっております。
是非是非ご興味をお持ちになりました方は書店にてお求め下さいませ!
さて、あとはいろいろ言い残したことをバラバラと書いてみます。
<自然は人の営みの完成形>
僕たちは人間の人間らしい営みのことを、自然界には真似のできない高等技術だと思ってしまうことがあります。
だけど、実際僕らのあらゆる営みも、そのルーツは自然にあり、その完成形も実は自然の中にあります。
なぜなら自然はみんなで作っているからです。
人間単体で作り出すどんなものも自然界の完璧さには程遠い、欠陥だらけのものしかできません。
すべての営みは、自然界全ての力を総動員することで完成形となるのです。
<縁起の法則>
無肥料栽培は、肥料とそれによって引き起こされる様々な現象という「縁起の法則」のモデルを提示してくれました。
AをするからBが起きる、Bを抑えるためにCを使う。Cを使うことによってDが起きる…(以下繰り返し)。
つまりAをしなければ、その後の問題は何も起きないのです。
どんなに複雑に見える問題にも、必ずAがあります。
では、人類にとってのAとは何でしょうか?
<自然は悟りの境地>
自然界を見ていると、どの動物も植物も繋がり合って関わり合って、人間のいうところの良いものも悪いものもすべてのものにそれぞれ役割があって無駄がありません。
そもそも自然界には善悪の価値観が存在しないのです。
また、自然界では生き物は朽ちると養分になり、それによって別の新しい命が生まれます。
自然界では個別の生や死があまり重要ではないのです。
命は命へ、何かが死ねばその分何かが生きるのです。
そのように自然界では、何かがどう起きても、必ず別の何かがそれをもとにもどそうとして働いて、全体としては何も変わらない。どこにも得るものも失うものもないのです。
それゆえに、自然界では思い悩むということがありません。
自分は自分個体であると同時に全体でもあると知っているからです。
では、僕らが「自分」という考え方にとらわれて生きるメリットとは何でしょうか?
<ほんとうの神様>
かつて人々の暮らしが自然と共にあったころ、神様も人々と共にありました。
太陽、空、風、水、土、草、花、虫、獣、星、月、そして人。
全ての自分たちを生かしてくれている奇跡の力に畏敬の念を抱き、互いに感謝の気持ちを持っていました。
そこに上下関係はなく、大きなものも小さなものも、同じように宇宙を織りなす営みのひとつひとつに過ぎませんでした。
その全てを合わせた、この世界そのものを神と呼び、またそこに棲むどんな些細なものも神の分身でした。
生きている人も死んでしまった人も、動くものも動かされるものも、見えるものも見えぬものも、すべてはこの宇宙の中で巡り巡る形を変えた同じものでした。
無宗教であることは、信じる神様がいないことではありません。
目の前に当たり前に存在する神様には、信じるも信じないも無いのです。
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雲が風と水と虚空と光と核の塵とでなりたつときに
風も水も地殻もわたくしもそれとひとしく組成され
じつにわたくしは水や風やそれらの核の一部分で
それをわたくしが感ずることは
水や光や風ぜんたいがわたくしなのだ
宮沢賢治『種け原』先駆形
はちはお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土べいのなかに、
土べいは町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。
そうして、そうして、
神さまは小ちゃなはちのなかに。
『はちと神さま』金子みすず
私の場合は、たまたまそれが宇宙から地球を見るという体験だったということだ。
同じ体験を別の人は高い山に登って地上を見たときに得られるかもしれない。
私が山の高さではなく、何万マイルもの高みに登らなければ、その体験が得られなかったのは、多分、私の精神が被っていた殻が硬すぎたからだろう。
アポロ14号乗組員エド・ミッチェル
「センス・オブ・ワンダー」
環境汚染に警鐘を鳴らしたレイチェル・カーソンの最後の著作。
カーソンの「神秘さや不思議さに目をみはる感性」は、八百万に産霊をみる神道の基本であり、ムスビの世界へと通じている。
人は大人になるにつれて知識、経験、感情に支配され、あるものをあるがままに見ることができない。
シュタイナーは五感の他に七つの感覚をあげ、知覚に縛られるが故に人には隠された世界が存在し、まったく新しい世界に遭遇する可能性があるといった。
その突破口は常に素朴な疑問を持つこと、自分サイズの尺度を超えることの中に秘められている。
LUNAWORKS『旧暦日々是好日』より
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「たすくの空中散歩」自然農法シリーズ
1.自然農法
2.不耕起栽培法
3.無肥料栽培<1>~「ほんとの野菜は緑が薄い」河名秀郎
4.無肥料栽培<2>~すべては肥料の成せる業
5.無肥料栽培<3>~人間の野菜だけが腐る!?
6.無肥料栽培<4>~野菜に学ぶ、無肥料、無農薬という生き方
7.とりあえずまとめ
長々とお付き合いいただきありがとうございました!!
相沢たすく