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『ヴェラ・ドレイク』と『ミリオンダラー・ベイビー』

2005-08-07 | movie/劇場公開作品
答えの出る勉強なんて好きじゃない。
というのが数学をサボるときの私の台詞だった。
到達する場所が分かっているのに行きつくまでに四苦八苦するなんて、なんて無駄な行為なんだろう。そんなことは人に任せておけばいい。

もちろん、これは数字から逃げ出すための詭弁に過ぎなかったが、
確かに私はあらかじめ答えが決まっている問題は好きではない。
だから、国語の勉強だって、主人公の感情について第三者が答えを決めて問題を出すテストなんて、馬鹿げていると思っている。

騙し絵の中のように、矛盾や裁ききれない罪の中に、常に姿を変え続ける答えが眠っている。
時代や見るものによってその姿は異なり、答え自体が問題だ。
本来、人間の世界はその騙し絵の中に成り立っている。
正しいけれど罪、間違っているけれど真実。
そんな問題を出されたときに、私は胸躍らせてペンを握りたい。

『ヴェラ・ドレイク』と『ミリオンダラー・ベイビー』を続けて見たときに、
内容はほとんど違う映画なのに、近いものを感じた。
どちらも正しくて間違っている結末だった。

『ヴェラ…』の方は結論をはっきりさせていない。
戦後の英国でまだ犯罪だった中絶を、世間に秘密で何十年も手伝っていた主人公が逮捕される。
それだけなら犯罪だ。
だがしかし、その行為は無償で行われ、知人の誰にでも優しく親切な主人公はあくまで困っている女性を助けようとしていただけだった。
その無垢な心に犯罪を問うことが出来るのか、というところが是非を問われる。
それでこうなりましたが、どうですか?と投げられたまま終わって、困ってしまった。

『ミリオンダラー…』はこの結末は正しい、と観るものに結論を持たせて終わっているところがある。
はっきりとは書かないが、私も主人公のダンのように終わらせただろう。
実際にそうしたのだ…犯罪にはならないが。
だからこそ胸が痛んだ。
正しさがなんなのか、生きる意味がどこにあるのか、私もやはり悩んでいる。
映画としては、はっきり「これがあるべき道なんだよ」と提示された方が気が楽になる。
カタルシスは、観客の希望にタイミングよく表現されると得られるが、それでは簡単過ぎるようにも思える。

2本とも、人物を見つめる視線がとてもうまい。
人間は1種類ではなく、複雑で思うようにいかない。
例えば、『ヴェラ…』に出てくる弟の嫁、
『ミリオンダラー…』のマギーの家族。
彼らは身勝手で悪意に満ちているように思えるが、
彼らがいるから何がいい選択なのかを問うことが出来る。
一方的な考えだけでは世の中に通用しない、
なぜなら、彼らのような人間がいるから。

今の私なら、二つの物語が正しかったと言う。
それしかなかっただろうと答えを出す。
しかし結論は5年後、10年後に変わっているかも分からない。
それで構わない。その度ごとに答えを出していけばいい。
生きる意味がどこにあるのか分からない…とさっき書いたが、
あの映画を思い起こしていくうちに、問題を解き続けることに意味があるんだろう
と、思えてきた。
結末という答え自体が問題。
だから、映画という授業はやめられない。
コメント
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