野坂の浦とは。
万葉集で長田王という方が詠われた詩に
「葦北の野坂の浦ゆ船出して水島に行かむ波立つなゆめ」
この詩に出てくる野坂の浦を指します。
この「野坂の浦がここだよ。」という場所が3ヵ所あります。
今日はその3ヵ所をアップします。
まずは芦北町計石、江戸時代は御番所が在った所です。
御番所とは海を見張る番所で、不審な船が入って来ないか見張る番所です。
計石の野坂の浦は地元では御番所の鼻と言われている場所にあります。
そこからの景色です。
続いて芦北町田浦の大田地区にあります。
芦北町漁協の田浦漁協がある場所の隣りです。
そこからの景色です。
最後は現在は八代市敷川内町の国道3号線沿いにあります野坂の浦です。
元々葦北郡は県境の水俣村から日奈久村まででした。
また八代は江戸時代の干拓で平野が増えた土地なので、以前はここまで海だった事が分かります。