昨日は東京からライオンズクラブの広報誌LIONから、つるし焼き海老の取材にいらっしゃいました。
案内係を仰せつかって昨日は1日町案内も含めてのご案内でした。
芦北町鶴木山のみやもと海産物さんにて、取材させていただきました。
お願いをしていましたので、わざわざ日程を調整して焼いていただきました。
この場にて感謝いたします。
つるし焼き海老の工程をアップします。
燃やすのは松。
殺菌作用があるそうです。
2時間くらいかけて焼かれます。
焼けた海老が粗熱がとれるまで、成型のために重しを掛けて板で挟んでおきます。
」
板を取るとこんな風です。
コンテナに移していきます。
サイズなども考慮して、1本1本大切に扱われます。
一度綺麗にふき取ります。
藁を並べて、端をまとめて海老を編み込んでいきます。
つるし焼き海老で作ったお雑煮を撮影されました。
美味しいお雑煮が出来ました。
水島は球磨川河口にある無人島です。
景行天皇が九州を巡幸し、葦北の小島に休息して食事をしようとされた折に、
水が無かったために少佐と申すものが、天地の神々に祈ったところ、冷水が湧き出し天皇に献上出来た。
故にここを「水島と呼ぶ」と日本書紀に記述があります。
工業用水などの汲み上げにより、1955年頃に湧き水は涸れてしまい、故地に石碑が残るのみとなりました。
「県風土記」に球磨の里に「県の乾のかた七里、海中に嶋あり。積さ七十里ばかりなり。名づけて水嶋と曰う」とあるそうです。
水島を詠んだ歌が他にも
「聞きし如まこと貴く奇しくも神さび居るかこれの水島」 万葉集 長田王
「波のうつ水島浦のうつせ貝むなしからに我や成らん」 続後撰集 曽根好忠
島の入り口には龍神様がお祀りしてあります。
島と龍神様を結ぶ踏み石があります。
いろんなところに石仏がお祀りしてあります。
「葦北の野坂の浦ゆ船出して水島に行かん波立つなゆめ」長田王
万葉集で詠まれている歌です。
葦北の海岸から船で水島へ向かう時の歌ですが、いまは江戸時代からの干拓事業などで水島のすぐ脇まで陸地になっています。
しかし、八代市の判断で水島だけは残そうと、陸地に併合せず残してあります。
お恥ずかしい話、今年になって初めて水島を訪れました。
なかなか機会がなくて(作らなくて)行きそびれていました。
行ってみて本当に良かったと思っております。
昔から葦北の海岸は風光明美な所で、歌を詠むには良い所だったらしく、女島神社も京にまで聞こえた歌会所だったそうです。
また風光明美だからこそ、来年の4月からはななつ星が葦北沿岸の肥薩おれんじ鉄道を走ることが決まっています。
そんな水島の画像です。
河口周辺は何人もの愛好家の方々が、夕景を撮りにいらしていました。
昨日送迎の時に見つけた紅葉。
赤くなる前に黄色で落ちる葉もあるようで、全部が綺麗な赤にはならないように感じました。
銀杏も今年は台風の影響で、ずいぶん葉が落ちてしまいましたので、
ボリューム感が乏しいように思います。