ハービーベイと並ぶフレーザー
コーストの中心メアリーバラ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/9c/3785a78e4886e6d42d293237b9bbb21b.jpg)
といっても、何の知識もなく
フラりと立ち寄った街でした。
まずは地図を確認。碁盤の目で
19世紀に開発されたのが明白な
オーストラリアによくある古い街
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/fa/8584b0fec9a41d31a6f80f35dc1262cd.jpg)
ポートサイドという地名があり、
「こんな内陸に港
」
と思ったら、河港でした。
メアリーバラはその地名どおり
クイーンズランド州を北上して
先程フレーザー島からのフェリ
ーを降りたリバーヘッズに注ぐ、
全長300キロ近いメアリー川の
河口近くに位置する街でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/bc/52f14e9c362fcc9b7780668920bccbd4.png)
(※赤線がメアリー川)
河口近くといっても、ここから
リバーヘッズまで30キロ以上で
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/1d/b13f7ce179a3990193bc15f0a7a40622.png)
大陸になじみがないせいか、
港=海の感覚だと内陸です。
メアリー川とかつての河港周辺
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/7c/a4affef2683a38c5f00eca64e45269f9.jpg)
鉄道が平行しており物流の要
だった過去がしのばれます。
周囲は新しく整備された公園に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/5f/9c54e3e9c1385aeb46e497fd8c5f271f.jpg)
メアリーバラの歴史は、羊毛の
積出し港として1847年に開始、
街の発展が始まりました。大型
船の入港を可能にするために、
1856年には新しい今の街の開発
に着手され、1859年には通関が
できる出入国港となりました。
今や見る影もないですが、ここ
は20世紀初まで国際交易と移民
の入国で大いに栄えた地でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/b7/9765672afbeefbf8fd8a6dc6c65ec3ac.jpg)
意外にも19世紀には国内屈指の
移民入国港だったそうです。
移民の波に加担したのが1867年
のギンピ―での金鉱の発見で、
世界中から一攫千金を夢見る男
たちが押し寄せ、ゴールドラッ
シュが巻き起こりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/00/59b02201a64f9403250ff0f43fe9d298.jpg)
(※ギンピ―博物館の看板)
金の発見はメアリーバラの重要性
を一段と高め、この地の銀行は計
400万オンス以上(113トン以上)
(👆こういう量になると金も鉱物)
の金輸出にかかわったそうです。
カフェがあったアデレード通りや
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/f5/af7f01bc5573c6dfec234fe0d671bbaf.jpg)
ケント通りは行政やビジネスの
中心という新しい街の顔となり
次々に建物が建設されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/9e/edc3b0e28e4bac1658ba55c659d18bc8.jpg)
コーストの中心メアリーバラ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/9c/3785a78e4886e6d42d293237b9bbb21b.jpg)
といっても、何の知識もなく
フラりと立ち寄った街でした。
まずは地図を確認。碁盤の目で
19世紀に開発されたのが明白な
オーストラリアによくある古い街
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/fa/8584b0fec9a41d31a6f80f35dc1262cd.jpg)
ポートサイドという地名があり、
「こんな内陸に港
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と思ったら、河港でした。
メアリーバラはその地名どおり
クイーンズランド州を北上して
先程フレーザー島からのフェリ
ーを降りたリバーヘッズに注ぐ、
全長300キロ近いメアリー川の
河口近くに位置する街でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/bc/52f14e9c362fcc9b7780668920bccbd4.png)
(※赤線がメアリー川)
河口近くといっても、ここから
リバーヘッズまで30キロ以上で
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/1d/b13f7ce179a3990193bc15f0a7a40622.png)
大陸になじみがないせいか、
港=海の感覚だと内陸です。
メアリー川とかつての河港周辺
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/7c/a4affef2683a38c5f00eca64e45269f9.jpg)
鉄道が平行しており物流の要
だった過去がしのばれます。
周囲は新しく整備された公園に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/5f/9c54e3e9c1385aeb46e497fd8c5f271f.jpg)
メアリーバラの歴史は、羊毛の
積出し港として1847年に開始、
街の発展が始まりました。大型
船の入港を可能にするために、
1856年には新しい今の街の開発
に着手され、1859年には通関が
できる出入国港となりました。
今や見る影もないですが、ここ
は20世紀初まで国際交易と移民
の入国で大いに栄えた地でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/b7/9765672afbeefbf8fd8a6dc6c65ec3ac.jpg)
意外にも19世紀には国内屈指の
移民入国港だったそうです。
移民の波に加担したのが1867年
のギンピ―での金鉱の発見で、
世界中から一攫千金を夢見る男
たちが押し寄せ、ゴールドラッ
シュが巻き起こりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/00/59b02201a64f9403250ff0f43fe9d298.jpg)
(※ギンピ―博物館の看板)
金の発見はメアリーバラの重要性
を一段と高め、この地の銀行は計
400万オンス以上(113トン以上)
(👆こういう量になると金も鉱物)
の金輸出にかかわったそうです。
カフェがあったアデレード通りや
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/f5/af7f01bc5573c6dfec234fe0d671bbaf.jpg)
ケント通りは行政やビジネスの
中心という新しい街の顔となり
次々に建物が建設されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/9e/edc3b0e28e4bac1658ba55c659d18bc8.jpg)