ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ダニーデン2回目行:トイトゥ・オタゴ入植者博物館

2021年05月28日 | 南島:ダニーデン

ドッグ・ウィズ・ツーテイルズ
を出た後はダニーデン駅付近の
トイトゥ・オタゴ入植者博物館


船型の大きくモダンな建物。
でも外観は撮り忘れました。


大雑把な館内案内ですが、

とにかく展示品が多いので
1回で観るのは無理な場所


とりあえず古いものから開始

19世紀に栄えたNZの海辺の
街の博物館ではほぼ見かける
クジラ油を測る巨大な計量器
1830年にロンドンで製造


クジラを追う西洋人たちは18
世紀からNZ周辺で漁を始め、
大きなものでは1頭当たり1.2
トンが採油できたそうです


フラックス製のマオリの小舟



19世紀にマオリ間で貨幣代わ
りに使われたガラスのビーズ

これは初めて見ました
この一帯のマオリだけなのか。


アクセサリー作りに励む私は
ガラスのビーズなど山のよう
にあり19世紀なら大金持ち



クジラ漁にかかわる男たちは
マオリの長老たちの後押しも
あってマオリ女性と結婚する
ことが珍しくなく、140人の
婚姻が判明しているそうです。
結婚はマオリとの摩擦を回避
する政略的な面もあったよう。


こうした婚姻から誕生した家
系(ファカパパ)が何世代も明ら
かになっている場合もあり、今
でも研究が続けられています。

ハバーフィールド家家系図


アザラシ漁やクジラ漁から身を
起こし、オタゴで最初の農場経
営に乗り出したJ.ジョーンズ

オーストラリアの流刑囚の息子
というところが19世紀です


圧巻のワインレッド色の部屋



オタゴに入植してきたイギリス
人たちの肖像画や写真の数々



富裕層は立派な額縁の油絵で、



庶民は絵だったり写真だったり



この博物館の根幹のような部屋。

多数のスコットランド人も。


なのでこれは分かるけれど、



こんなのもありました



1865年にはダニーデンでNZ
万博が開催されていたとは
明治維新の3年前です

こんな立派な建物まで建設。


メルボルン万博が1880年な
のでそれよりも早かった。
でも観客動員数ではあちら
100万人超、こちら3万人超。


会場となった建物は、あちら
世界遺産、こちらはダニーデ
ン病院として活用され1930年
代に病院拡張で取り壊わしに。
残っていたら世界遺産


1862年の消防車



1879年には路面電車が開通



時代はぐっと下がって、第2次
大戦後のモータリゼーションで
ビュイックでキャンプとか(笑)

これぐらいの排気量がないと
NZの田舎道でキャラバンを
引っ張るのは無理だったそう。


アンソニー・ホプキンスがキ
ウイになりきって好演した、
映画「世界最速のインディアン」
はインバーカーギル出身の
バート・マンローの話でしたが
ダニーデン版マンロー、ジョン・
マーティンが1950年代にカス
タマイズしたのがトライアンフ

1960~70年代には数々の記録
を打ち立てた名バイクだそう。



「博物館に行くには体力がいる」
といつも思っている私ですが、
「博物館の記録には気力がいる」
とも思います。忘れた記憶を
呼び起こし、再度説明を読み、
不明な点は調べたりして完成。


トイトゥ・オタゴ入植者博物館
(Toitū Otago Settlers Museum)
は、入植者という名称を使って
いますが、これは時代に即して
移住博物館(Migration Museum)
に改名すべきだと思いました。

(※これはアデレード移住博物館)




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