2018年9月のオーストラリア
はフレーザーコーストで最後
に立ち寄ったメアリーバラ。
19世紀には州都ブリスベンに
拮抗するほど勢いがあった時
期もあったそうですが、今は
大きく様変わりしています。
視界に飛び込んで来るひと際
大きな建物は全て当時のもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/9d/4464f1f818ae3a42b5c48b26043b4200.jpg)
1879年に完成した教会と
1887年に完成した鐘楼
当時の栄華、教会の権勢を
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/27/ddcc897995894cf082622fa3c5f1670a.jpg)
今に伝える大きさと壮麗さ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/8e/93d77fddf4b123b06ba833ca1962bd51.jpg)
街のシンボル市議会堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/d6/782d6537b47d89175204efc97677b299.jpg)
1908年完成
今はクリニックになっていた
1888年の建物
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/ac/f26f21c2b118925fd8b412346c0ff4a8.jpg)
これも19世紀末に建てられた?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/d1/0dbc54874e65edf7165847364c9f8d04.jpg)
1876年のホテルと思われる建物
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/65/644567c41c9b3fa800aa4a29113e4f71.jpg)
1882年の駅舎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/99/20c2d9b40368d17be77a6b04d578a328.jpg)
教会と道を挟んだ1898年からの宿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/d0/f4d616237372ac9d4806f72d37bb9472.jpg)
アールデコ風に手直しされて
(※それでも100年近く前
)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/f0/9c6878c1c545d63c79a1e950ced1862c.jpg)
今は週140ドル(1.2万円)の木
賃宿か低所得者の住居のよう。
メアリーバラは運輸、金、羊毛
サトウキビ輸出の主要地として
関連する機械製造や造船も発達
した、工業の街でもありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/26/d1233d2f952b1031a3dff8f76c83bda2.jpg)
しかし、金の枯渇や船の大型化
と陸上輸送の発達で河港の地位
が低下し、街の役割も周辺産業
も衰退していったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/65/9b8251472ff929657224a97673037f6a.jpg)
金の発見と枯渇が街の運命を
左右したのはNZのダニーデン
も一緒ですが、ダニーデンは
遠隔ながら海に面し、良港に
恵まれ、ポートチャーマーズ
は木材の一大積出し港です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/4f/357b8110854586286dd931b9ad291b26.jpg)
(※ポートチャーマーズ)
またオタゴ大学を擁する学園
都市、観光名所として発展し
たことで、若者や旅行者を呼
び込むことに成功しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/dc/31c956a1e291ccc52acab3b8ee2cc66b.jpg)
(※オタゴ大学)
メアリーバラは20世紀初頭で
立ち止まり、どこにも踏み出
さずにいるように見えます。
ふんぞり返る白人経営者と
働くアボリジナルの従業員
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/28/6dfee1ffadfdc74624c5e29f0cac048c.jpg)
今のNZなら絶対にNGな壁画
はフレーザーコーストで最後
に立ち寄ったメアリーバラ。
19世紀には州都ブリスベンに
拮抗するほど勢いがあった時
期もあったそうですが、今は
大きく様変わりしています。
視界に飛び込んで来るひと際
大きな建物は全て当時のもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/9d/4464f1f818ae3a42b5c48b26043b4200.jpg)
1879年に完成した教会と
1887年に完成した鐘楼
当時の栄華、教会の権勢を
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/27/ddcc897995894cf082622fa3c5f1670a.jpg)
今に伝える大きさと壮麗さ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/8e/93d77fddf4b123b06ba833ca1962bd51.jpg)
街のシンボル市議会堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/d6/782d6537b47d89175204efc97677b299.jpg)
1908年完成
今はクリニックになっていた
1888年の建物
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/ac/f26f21c2b118925fd8b412346c0ff4a8.jpg)
これも19世紀末に建てられた?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/d1/0dbc54874e65edf7165847364c9f8d04.jpg)
1876年のホテルと思われる建物
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/65/644567c41c9b3fa800aa4a29113e4f71.jpg)
1882年の駅舎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/99/20c2d9b40368d17be77a6b04d578a328.jpg)
教会と道を挟んだ1898年からの宿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/d0/f4d616237372ac9d4806f72d37bb9472.jpg)
アールデコ風に手直しされて
(※それでも100年近く前
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0084.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/f0/9c6878c1c545d63c79a1e950ced1862c.jpg)
今は週140ドル(1.2万円)の木
賃宿か低所得者の住居のよう。
メアリーバラは運輸、金、羊毛
サトウキビ輸出の主要地として
関連する機械製造や造船も発達
した、工業の街でもありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/26/d1233d2f952b1031a3dff8f76c83bda2.jpg)
しかし、金の枯渇や船の大型化
と陸上輸送の発達で河港の地位
が低下し、街の役割も周辺産業
も衰退していったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/65/9b8251472ff929657224a97673037f6a.jpg)
金の発見と枯渇が街の運命を
左右したのはNZのダニーデン
も一緒ですが、ダニーデンは
遠隔ながら海に面し、良港に
恵まれ、ポートチャーマーズ
は木材の一大積出し港です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/4f/357b8110854586286dd931b9ad291b26.jpg)
(※ポートチャーマーズ)
またオタゴ大学を擁する学園
都市、観光名所として発展し
たことで、若者や旅行者を呼
び込むことに成功しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/dc/31c956a1e291ccc52acab3b8ee2cc66b.jpg)
(※オタゴ大学)
メアリーバラは20世紀初頭で
立ち止まり、どこにも踏み出
さずにいるように見えます。
ふんぞり返る白人経営者と
働くアボリジナルの従業員
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/28/6dfee1ffadfdc74624c5e29f0cac048c.jpg)
今のNZなら絶対にNGな壁画