ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ヌーサ6回目・フレーザー島行:20世紀初頭で立ち止まり

2021年05月09日 | オーストラリア:フレーザーコースト
2018年9月のオーストラリア
はフレーザーコーストで最後
に立ち寄ったメアリーバラ。


19世紀には州都ブリスベンに
拮抗するほど勢いがあった時
期もあったそうですが、今は
大きく様変わりしています。


視界に飛び込んで来るひと際
大きな建物は全て当時のもの。

1879年に完成した教会と
1887年に完成した鐘楼


当時の栄華、教会の権勢を



今に伝える大きさと壮麗さ。



街のシンボル市議会堂

1908年完成


今はクリニックになっていた
1888年の建物



これも19世紀末に建てられた?



1876年のホテルと思われる建物



1882年の駅舎



教会と道を挟んだ1898年からの宿



アールデコ風に手直しされて
(※それでも100年近く前)

今は週140ドル(1.2万円)の木
賃宿か低所得者の住居のよう。


メアリーバラは運輸、金、羊毛
サトウキビ輸出の主要地として
関連する機械製造や造船も発達
した、工業の街でもありました。



しかし、金の枯渇や船の大型化
と陸上輸送の発達で河港の地位
が低下し、街の役割も周辺産業
も衰退していったようです。



金の発見と枯渇が街の運命を
左右したのはNZのダニーデン
も一緒ですが、ダニーデンは
遠隔ながら海に面し、良港に
恵まれ、ポートチャーマーズ
は木材の一大積出し港です。

(※ポートチャーマーズ)


またオタゴ大学を擁する学園
都市、観光名所として発展し
たことで、若者や旅行者を呼
び込むことに成功しました。

(※オタゴ大学)


メアリーバラは20世紀初頭で
立ち止まり、どこにも踏み出
さずにいるように見えます。


ふんぞり返る白人経営者と
働くアボリジナルの従業員

今のNZなら絶対にNGな壁画




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