ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ヌーサ6回目・フレーザー島行:マヘノの砂葬

2021年05月02日 | オーストラリア:フレーザーコースト
NZ史にたびたび登場するマヘノ

NZとオーストラリア間のライナー
として両国に広く親しまれた後、


第一次世界大戦中は病院船として
HMNZHS(国王陛下のNZ病院船)
という尊称が贈られる活躍を遂げ

両国民の脳裏に刻まれたその名前。


マヘノは1905~1935年の30年間
の数奇な激務を終えた後、6月に
メルボルンから日本に向け、最後
の航海に出ました。大阪の解体業
者に廃船として売却されたのです。


航海といってもプロペラが外され
自走することができなかったので
別の蒸気船に曳航されていました。
鉄くずとなるための片道の航海。

1905年の建造中のマヘノ
NZのダニーデンの地名


これらのプロペラが外されたのか。



しかし、マヘノが日本の地に辿り
着くことは、ありませんでした。


大阪に向けた2艘はオーストラリア
東海岸で猛烈な暴風雨に見舞われ、
ばらばらになってしまいました。


自走できないマヘノは荒海を漂流
した挙句、7月9日にフレーザー島
の東海岸で座礁してしまいます。


船体の片側には大きな穴が開き、
日本行きは断念されました。



船内の家具や装飾は島民が記念に
持ち返り、第二次大戦中には豪軍
の実射の的にもなったそうです。

海風や潮に洗われた年月を物語る
なんとも深い赤銅色の厚い錆


満身創痍も今や骨格を残すばかり。



その姿を目にし、脇に立った時

「マヘノはこのタスマン海
に留まりたかったんだ

と急に気が付きました。


知らない異国で鉄くずになるより
ずっと行き来したこの海で朽ち果
てることを選んだと感じ、胸が熱
くなり涙があふれるようでした。



何度もくぐり抜けてきた嵐を呼び
曳航される鎖を引きちぎり、2度
と動かなくなって、この砂の島で
最後のひとかけらが朽ちるまで、

慣れ親しんだ海とともにいよう。


意思を持ってそうしたとしか思え
ないような、展開とその後の姿。

私はいろいろな見聞や自身の経験
からモノ、特に動力で動く大きな
モノには意思があると信じます。


国王陛下の白船の誇り高い最期。



いつか砂に埋もれて消えるまでの

長い長い砂葬を目にしているよう。


私も自分の最期は自分で選びたい。

と強く思った、孤高な姿でした。



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