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今から35年も前の話である。
長女の出産半年前から、女性同盟で働いていた私が、文芸同に移動になったのは、1974年6月のことだ。1歳3か月の子供を連れての出勤だった。その時委員長だったのが金煕麗先生だった。
自分なりには一生懸命なつもりでも、子供を連れているので自由に行動できるわけでもなく、ひよっとしたら足でまといであったかも知れない。でも配置された以上最善を尽くさねばと思っていた私は、友人と共に文学教室を立ち上げ、それなりに頑張ったつもりだった。
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ところが長女を保育園に預けるようになって1年半後、産休に入ることになり長男を出産した。
出産後2か月が過ぎたころ、金先生がお土産を持って私の家を訪ねて下さった。息子用の水色のオクルミだった。
産後の肥立ちが悪くて中々自由に動けなかったが、家庭訪問まで来てくださった先生に申し訳なくて、いつから事務所に出勤すれば良いのかと訊ねた。先生は一瞬困ったような表情をされ「もう来なくていいよ」とやさしく仰った。
先生から見たら、子供を二人も連れて仕事どころでは無いだろうと思ったに違いないし、もう仕事は無理だろうと思われたに違いない。しかし、どんなことがあっても一生仕事を続けるんだと粋がっていた私にとってその言葉はあまりにもショックな言葉だった。
先生が帰られたあと、私はショックで食事ものどを通らないほどだった。でも考えれば考えるほど悔しくて、情けなくて涙がとめどなく流れた。
しかし、時間が過ぎ冷静に自分自身を振り返ってみたとき、子供がいるから仕方がないとか、子供がいるからこれぐらいしか仕事ができないとか、何も成果を上げることができなかったことを子供のせいにしていたのではないかと考えるに至った。
「そうだ、仕事をしなければ、委員長も認めるほどの目に見える成果を上げなければ」と思ったった私は、悔しさををバネに、頑張って健康を回復させ、産後3か月が過ぎた日から、生後3か月の長男を抱っこして事務所に通いだした。
半年近くの間文学部の仲間と必死に作品集出版の準備をし、長男をおんぶして堺、高槻まで、本を出版するための財政集めに奔走した。手書きではあったが大勢の人の助けを受け、ついに出版の運びとなった。私は委員長に作品集の卷頭辞をお願いした。その時書いてくださったのが次の文だ。
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<火種>の創刊に際し
今日私たちの生活の中で<火種>という言葉が、ほとんど関わりのない物になってしまったが、解放前、故郷で<火種>は大変貴重なものであった。
火をつける時マッチ棒一本がとても大事で、マッチ箱の中の棒が無くなってしまったときは<火種>をもらいに近所の家まで行く。
貰ってきた<火種>を台所に持っていけばオモニの愛情がたっぷり注がれた夕食が作られ,又その<火種>が火炉に移され炭火がメラメラ燃え上がる時には、ちびっ子たちのほっぺは熟し切ったリンゴよりももっと真っ赤に輝く。
夜が更け炭火が消える前に<火種>は火炉の灰の中に明日のために埋めておく。
明日はまたこの<火種>が松明のように燃え上がるであろう。
文芸同大阪支部 委員長 金煕麗
1977年1月
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「もう来なくていいよ」
先生のたった一言が私を奮い立たせ、15年もの間、空白になっていたこの大阪で朝鮮語と日本語のバイリンガル誌を創刊させたのだ。今思えば今日の私があるのは金先生のおかげなのかも知れない。いいえ金先生のおかげだ、あの一言が無ければ、<火種>はひょっとしたらこの世に生まれなかったかも知れない。その時おんぶしていた息子がもう3児の父になり教員として頑張っている。夢のような思い出だ。
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3号まで、先生自筆の表紙を使わせていただいた。その時の文学教室は今日も継続されている。
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