ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

9月6日、藤代先生の講演「ウリハッキョに惚れて」

2014-09-08 00:16:22 | イベント




  9月6日(土)午後7時半より、生野朝鮮初級学校において,大阪の中高のオモニ会の主催で、北海道のウリハッキョで18年間、教壇に立っていらっしゃる藤代隆介先生の講演「ウリハッキョに惚れて」が行われました。

聞き漏らした部分もあると思いますが、講演の内容を書き留めたいと思います。



    「ウリハッキョに惚れて」


 
「平凡な教師は言って聞かせる。
 良い教師は説明する。
 優秀な教師はやって見せる。
 しかし、最高の教師は子供の心に火をつける。」

          by ウイルアム・ウォード


 
  藤代先生は冒頭、この言葉を引用された。
  最初からみんなを引きつけた。

  そればかりか、オモニ会が主催であることを意識してか、オモニ達に対する称賛から講義は始まった。


                                       


  「オモニ達のパワーはすごいですね。生きる基準がまっすぐで、子供たちのために!と云う生き方にブレが一切無い。」
  藤代先生は少しの迷いもない表情でオモニ達に語りかけられた。

  世の中には二つのタイプがある。
  一つは損得で動くタイプ、二つ目は善悪で動くタイプ。
  損得だけで動く人間ではなく、善悪をしっかり見極めることのできる人間を育てていかなければならない。

  創造者を作るのか、破壊者を作るのか。

  在日の世界は創造者を作る。

  破壊者は身の丈に合わない自尊心のため癒される場がない。

  何故破壊者が存在するのか、それは創造者になるより破壊者になる方が簡単だからだ。

100万分の1のエネルギーで簡単に破壊者になれる。「OO会」が一番わかりやすい例だと言える。
  

子供たちの心に火をつけていただきたい。

  ウリハッキョが良くなることに依って必ず日本も変わる。

  全国を回り講演をしながら感じることは、ウリハッキョ関係の方々が、ウリハッキョに対して過小評価しているように思える。もっと自信を持っていただきたい。

  ウリハッキョに通うことは人生にとって遠回りかもしれない。

  でも人生って競争ではない。近回りだけを称賛するべきではない。いろんな苦労を重ねて人間は成長し、遠回りする分人間力がついてくるのだと思う。

  ウリハッキョを出たら出口が狭くなるのではないか、選択枝が少なくなるのでは無いかと不安がる人がいるが、決してそうではない。ウリハッキョの卒業生たちには日本の企業だけではなく暖かい同胞社会が守ってくれる。


  私自身(藤代)を含め、自分自身が子供たちの出口を広げるためどれほど働いたであろうかと、考え方を変えていく必要がある。

  素晴らしい人間を駄目にする簡単な方法がある。

  学校も人間も駄目だ、駄目だ、と言えばだんだん駄目になる。

  ウリハッキョの良いところを見つけることが大事だ。

  10の内8相手が上でも残った2は我らの方が素晴らしいと思うことが大事だ。

*社会人の基礎力とは ①前に進みだす力 ②考え抜く力 ③チームで動く力

  今、求められているものは

  ・コミニュケーション能力
  ・人柄(明るさ、素直さ)
  ・主体性
  ・独創性
  ・語学力
  ・専門知識


     能力

   知識・才能

   人格・人間力―土台になるもの


  日本社会の現象は、知識・才能や能力は優れていても人格・人間力が大変劣ってる。

  どういう子供を育てたいのか。

  ウリハッキョと日本の学校の違いは何か?教育システムが違う。

  ウリハッキョの基本精神は「一人はみんなのために、みんなは一人のために」

  日本の学校は偏差値教育、相対評価なので競争心ばかりを煽る。自分の隣の子に自分より良い点数を取ってもらいたくないのである。

学級崩壊、意味のない全国学力テスト、都道府県単位でランク付け。

  学校の平均点を上げるため、平均点を下げる要素のある学生を普通学級から特別支援学級に送り込む学校が増えてきている。特別支援学級に入ることを保護者に意識的にしょっちゅう勧めているのだ。

   ウリハッキョではどうか? 朝鮮学校ではお互いに教えあう。相手の成績が上がれば心から喜ぶ。日本学校から見れば奇跡にちかいことなのだ。

  日本学校では教育の分断 、利己主義を育てる。

  ウリハッキョでは学び合い、教え合い,他己主義を育てる。

  例を挙げ、身長が2メートルの人、体重が150キロの人、靴の大きさが30センチある人。この3者を何を基準に大きい人だと比べるのか。みんな個性が違うのに一律のランク付けは無意味なのだ。

  人間にとってなくてはならない物、それは「生きる力」だ。其れを育てるのが親の背中だ。親の生きざまを見ながらウリハッキョの子ども達は育っている。

  朝鮮人としての生きざまをしっかり見せてやると必ず生きる力が身につく。

  だいぶ前のことだが、コント55号の欽ちゃんがスター志望のある少年に聴いた。きみが一番好きなものは何かと。

  15歳の少年は「母親が作ったお稲荷さんです。」と言ったそうだ、その答えを聞いた欽ちゃんは(この子はきっと大物になる)と思ったそうだ。おもったとりその子は大物になった。その子こそ大スターキムタクなのだ。






  子どものためいろんな道を作ってやるのが良いのではない。難しくても「乗り越える力」をつけることが大事なのだ。

「 朝鮮人として生きなさい!」

乗り越えた先に失敗があり、次の壁が待っている。辛いけど「経験」という大切なものを持つことになるのだ。

  近道を探すのではなく遠回りでも朝鮮人として生きなさいと教えることが一番大事だと思う。

  日本の社会で堂々と朝鮮人として生きるー素晴らしいことだ。

  もっとも大切なことは朝鮮人として生まれたことの意味を見つけること!

  自分自身の人生を振り返った時、ピンチがチャンスになったり本物を育てることに繋がった。


  本物を育てる!

 
  いつか未来の人たちがこの時代を振り返り、あの人たちのおかげで今の幸せがあると言ってもらえるように!

  希望の種を蒔こう!心より愛をこめて・・・


  将来は空白だ、だが空白を不安で埋めるのでは無く、空白を希望で埋めてあげよう。

  色で、白より白い白とはなんであろう、それは黒に囲まれた白である。

  朝鮮の子ども達は黒の中でピカピカ光る白にならねばならない。



追加(9・8)

  講演の最後に藤代先生がみんなに見ていただきたい詩があると云って、ある方が書かれた詩を画面に流してくださった。


  冒頭におっしゃった人間を駄目にする方法の真逆のことだ。

  
  日本のどこかに父親を早くに亡くし苦学を強いられた少年がいた。少年は特に勉強や運動ができるわけでもなく、ダメ人間と周りから思われ、ののしられ、自分に対していつも自信を持てず、自分を卑下していた。

  でも少年の母親は何があっても、いつでも少年に「大丈夫!あなたは素晴らしい」と言い続ける。

  あるときは反抗もし、万引きをして学校に母親が呼び出されることもしょっちゅうあったけど、母親はひたすら頭を下げ続けた。

  しかし、先生が少年のことを悪人扱いしたときだけは凛と、子供のしたことは悪いことだけど、うちの子は悪い子ではない!ときっぱり言って教師を驚かせたそうな。

  どんな時も、少年に「大丈夫!あなたは素晴らしい」と言い続けたおかぁさん。

  生活苦のため学校を中退せざるを得なかったけど、一番つらいとき、思い出されたのが、「大丈夫!あなたは素晴らしいのだから」という母親のひとことだったという。

  子供を叱ることも大事だけど、どんなことがあっても子供を信じ「大丈夫!あなたは素晴らしい!」と言い続けたおかぁさん!

  少年は頑張って働き、いつしか結婚もし、小さいけど会社の社長にもなったそうな。その時すでに母親は他界していたが母の励ましの言葉が少年を素晴らしい大人に成長させた。

  詩を読みながらほとんどの方が涙していらした。子を持つ母として自分はどうだろうかと、思い起こしていたのかも知れない。自分の至らなさを反省していたのかも知れない。この素晴らしいお話に感動し自分もこの方のような母親になろうと心に決める涙であったかも知れない。

  私の涙は?勿論反省の涙であり、自分はどうしてこんな母になれなかったのかという自責の念の涙であった。


  今日の講演会を企画してくださった中高オモニ会の皆さんに感謝します。


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  藤代先生とは1年半ぶりの再会だ。昨年3月9,10日に朋友の河津さんと北海道のウリハッキョを訪問して以来の再会である。

  お会いした途端、力いっぱいハグしていただき、子供の様に喜んだオバァさんなのだ。

  藤代先生、感動をありがとう。これからも子供たちの胸に希望の種を一杯蒔きながら生きていきたいと思いました。


                            
コメント
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