国会中継の他に興味があるのは、NHKの日曜討論だ。
進行役の司会者に促され、与野党の議員が意見を述べあうのだが、国会中継とはまた違った関心をそそられる。中身の議論というより、政治家の品格というか、品位というのか、実によく見せてもらえる。ニュースで記者にインタビューされる時は、ひとかどの紳士なのに、番組では別人になる。
他人の意見に耳を傾けない。相手を遮ってでも、自分の主張を展開する。司会者に制止されても、話をやめない。最初は節度ある態度で臨んでいても、いったん議論が白熱してくると、見境がなくなり、国会中継と同様、国民の選良としての姿がかき消える。
一流大学を卒業し、エリートの道を歩いて来た議員、青雲の志を抱き苦学して政治を志した議員など、一人一人は、尊敬せずにおれない過去を持っている。知識においても、志の高さにおいても、掛け値なしに立派な人物が多い。そんな彼らが、品位のカケラもない姿を、映像として曝す不思議さを、なんと理解すれば良いのだろう。
国会中継にしても日曜討論にしても、こんな人間になってはお仕舞いだよと、議員自らが、悪しき見本を国民に提供しているのだと、そうでも考えなければ、どうしたって理屈が合わない。
かと言って、そんな馬鹿をやる訳がないので、この現実が、わが国の政治家の実態だと、受け入れるしか無い。いったいに国会議員たちは、テレビの国会中継や日曜討論を、自分で見ることはないのだろうか。情けない己を、反省することはないのか。
本人が反省しなくても、周りの先輩や同僚が忠告をするということは、ないのか。醜い自己主張が、変わること無く今も続いているところに、誰もそんなことをしていないという証拠が、横たわっている。
結局は、議員たちの向上心が停止しているのだと、知らされるばかりだ。
そこで本日は、議員諸氏に、討論に臨む基本を、箇条書きにし、提案することとしよう。
1. 思想信条の異なる相手であっても、最後まで意見を聞くこと
2. 自分ばかりが喋り、相手の発言の機会を奪わないこと。
3. 相手を傷つけたり、揶揄したり何度もしないこと。要するに、常に議論の相
手に敬意を失わずにいること。
4. 誰でも知っているような、饒舌な美辞麗句をやめること。
5. 声の大きさで相手に勝とうとせず、議論の中身で勝負すること。
6. そもそも議論とは、低レベルの口喧嘩でなく、意見交換による相互理解
を深化させるところにあること。
テレビを観ながらいつも考えているから、ためらわずここまで書いたが、何としたことか。ここで戸惑いが、自分を襲って来た。議員諸氏に提案する前に、己ができているかと、反省したからだ。
議員の姿は、自分自身そのままでないかと、まるでブーメランのような、腹立たしい発見だ。なるほど、それはそうだろう。議員を選んだのは私たちだし、自分の程度に見合う議員を選んでいる、という理屈だ。
なんてことはない。今宵もまた、自己嫌悪の日か。だがめげず、菅さんに負けず。あるいは菅さんのように。厚かましく、新しい明日のため眠ろう。