ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

いじめと不登校 - 3 ( 田中正彦、青木信人氏 )

2021-03-28 17:30:21 | 徒然の記

 『いじめと不登校』を、読み終えました。これで本棚の11冊は、小学校の有価物ゴミとして回収・再利用され、社会に役立つこととなります。

 私はこれまで、「いじめ」と「不登校」を似たものとして考えていました。いじめを原因とする不登校は、あくまでも「いじめ」の範囲に入れられるもので、本来の不登校とは、生徒本人にも説明のできない、学校そのものへの不安感や恐れのために生じる「学校恐怖症」だと、区別することを教えられました。

 また「いじめ」についても、1対1の個人同士の「対立やいさかい」は、「いじめ」として捉えられていないことも、初めて知りました。あくまでも本書で扱われているのは、1対複数による「いじめ」でした。

 全部読み終えての感想が、最初の印象のままなので、そのことに驚いています。 

 「各氏の意見は、風景写真の中から抽出した事実ですから、間違いではなく、嘘でも捏造でもありません。しかしあくまでもその事柄は、各氏が日本社会の事実の中から切り取り、拡大して見せているものです。」

 だから私も、各氏のやり方を真似てみようと思います。執筆者たちの詳細な説明の中から、私が注目した部分を切り取り報告するという方法です。切り取った部分は各氏の意見から拾い出したものなので、嘘ではありません。あるとすれば、私の基準で選び出したと言う点において、「偏見」という物差しがあるのかもしれません。

 ということで、最初に申し上げた通り、興味のない方はスルーして下さい。人生の貴重な時間を、「ねこ庭」で使っても構わないと言う方だけ、どうかお訪ねください。

 1. 田中正彦氏 昭和20年生 北大助教授 本書編者の一人  20ページ

  「人間の攻撃性には、良性のものと悪性のものとがある。」「自己の生存が犯されたとき、その危機を排除しようと発動するものが、」「良性の攻撃性であり、それは全ての生物に備わっている。」

 「悪性の攻撃性は、自己の生存が脅かされてもいないのに他者を攻撃し、」「攻撃すること自体に、快感を覚えるものである。」「それは人間に特有な、社会・文化・教育によって生み出された、人間だけのものである。」

 「ある人間が他の人間を搾取したり、管理したりする社会が、」「悪性の攻撃性を、人間の中に生み出す。」「従って、人間の本当の要求や能力の十分な発達そのものを、目的とする社会、」「人間が、誰にも脅かされない社会を作る努力の中で、」「悪性の攻撃性を、減じて行くことができる。」

 氏はこれを、フロムの研究から引用したと述べていますが、悪性と良性の攻撃性の区分なら、外国人の学者の説を借りるまでもない話です。もしかするとフロムは、左翼マルキストなのでしょうか。田中氏は自分の意見を権威づけるため、フロムの名前を持ち出したのでしょうか。

 「人間を搾取したり管理したりする社会が、悪性の攻撃性を、人間の中に生み出す。」・・と、この叙述は、左翼学者固有の主張です。古典的マルキストたちの言によれば、資本主義社会は弱者を搾取し、管理するが、社会主義社会では搾取も管理もないと言います。

 2. 青木信人氏 昭和29年生 保護監察官   ( 酒鬼薔薇聖斗事件 )  27、44ページ

 「私たちの心を捉えた、" 透明な存在  "  という表現に、」「少年の深い孤独を読み取るべきなのだと、思う。」「わずか10代半ばの少年を、ここまで孤独な世界へと追い込んでしまう、」「私たちの社会のありようというものを、改めて考え直さなければならないのだと思う。」

 知り合いの少年の首を切り落とし、校門の前に置いたという中学生を、ここまで親身になって考える監察官がいたと知る驚きがありました。

 「戦後我が国の典型とされた、家族と企業社会をめぐる構図の中で、」「多くの父親たちは、企業戦士として思う存分に戦い、」「戦後日本の超高速の、経済再建を実現させた。」

 「だが一方でその構図は、裏側で進行する家族関係の荒廃と形骸化を、」「覆い隠すことに成功した。」「つまり我が国の戦後の再建には、経済的な豊かさと引き換えに、」「家族関係を犠牲にするという、シナリオが元々用意されていたと、」「いうことができる。」

 私も企業戦士の父親の一人として、息子三人を育てた人間ですが、氏の意見には賛同しません。私の周りにと言うより、当時の日本では、父親はがむしゃらに働き、子供の面倒を見ていたのが母親でした。男たちは家を守る女に頭が上がらず、大抵「かかあ天下」の家庭持ちでした。男尊女卑などと、最近の評論家たちが言いますが、笑ってしまいます。むしろ役割分担というべきだと、今でも思っています。

 まして青木氏が、子供の凶悪犯罪が、企業戦士の家庭から必然として生まれるという暴論には、与しません。氏の意見に従えば、三人の息子たちの中から凶悪殺人犯が生まれなくてなりません。

 馬鹿を言っては困ります。父親の不在が家庭を崩壊させるというのなら、敗戦後の私の家では、常に父親は不在でした。父も母も、離れた場所で別々に働き、家族揃って食事をすることもありませんでした。むしろ私は、懸命に働く父や母の姿を、子供ながらに感謝して心に刻んでいます。

 自分に都合の良い意見を展開する二人に、言いましょう。

 「日本をダメにし、少年の心を破壊したのは、反日左翼の貴方たちですよ。」

 「子供たちから、日本を愛する心を無くさせ、ご先祖さまへの感謝の気持ちを失くさせたのは、貴方たちですよ。」

コメント
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