教育関連書の11冊の書評は、何度も中断しますので、自分の現在位置を知るためには、何度も同じ場所へ戻らなくてなりません。下記11冊の内9冊を読み終え、『いま教育を問う』の152ページを進行中です。
1. 『いじめと不登校』4 編集委員6名 ( 平成10年 )
2. 『いま教育を問う』1 編集委員6名 ( 平成10年 )
3. 『教育への告発』0 編集委員6名 ( 平成10年 )
4. 『教師』 森口秀志編 ( 平成11年 )
5. 『昭和教育史の証言 教育証言の会 ( 昭和51年 )
6. 『学校は変われるか』 菱村幸彦 ( 平成8年 )
7. 『教なき国民は滅ぶ』 鷲野一之 ( 平成9年 )
8. 『教育問答』 なだいなだ ( 昭和52年 )
9. 『ジャカルタ日本人学校の日々』 石井光信 ( 平成7年 )
10. 『日本の教師に伝えたいこと』 大村はま ( 平成7年 )
11. 『学校崩壊』 川上亮一 ( 平成11年 )
執筆者で言いますと、下記6番目の姜 尚中氏を終わり、田中氏と対面中です。
1. 鶴見俊輔 2. 栗原 彬 3. 佐藤 学 4. 暉峻淑子 5. 矢野眞和
6. 姜 尚中 7. 田中孝彦 8. 内山節 9. 柏木恵子 10. 浜田寿美男
11. 吉見俊哉 12. 鵜飼 鉄
今回は、栗原彬氏が語る「理想の学校」、私立東野高校( 埼玉県入間市 )について紹介します。
「東野高校には、特定の個人の創立者がいない。」「経営母体である盈進( えいしん )学園の、教職員、理事、評議員たちの、」「民主的な討議の過程そのものが、あえて言えば創立者である。」「彼らは学校の設計者として、建築家のアレキザンダーを選びました。」
氏は脱近代を思考する、有名な建築家だそうです。茶畑の広がる丘陵に、全職員が彼とともに立ち、理想の学園のイメージを作ったと言います。出来上がった二万坪のキャンパスには、門の扉がなく、敷地の10分1を占める人工池に水鳥が遊び、ボートやカヌーも、浮かんでいます。
「教室は平家もしくは二階建てで、一戸建てである。」「つまり一教室一教場となり、教室には、生徒たちの溜まり場となるサンルームがついている。」「隣接して担任の準備室があり、生徒はこの部屋で担任と懇談する。」「つまり東野高校には、大部屋の教員室がない。」
スペースが無くなりそうですが、もう少し続けます。
「この学校には、国旗掲揚塔がない。」「『日の丸』がなく、『君が代』も歌わない。」「校旗も校歌も校則もない。」「偏差値を排し、管理を排して、自己決定権尊重の上に、」「対話と共生の場を作り出そうとする工夫が、至る所に見出される。」
「それはお互いを、『さん』と呼ぶことから、」「授業方法、教員組織に至るまで、配慮と創意に満ちている。」
学校を村、校長は村長、生徒会は自治会、PTAは東野村会議など、確かに変わった学校です。そして氏は、「教育とは次の世代を育てる共同行動であり、日本の教育なんてものはないのだ。」という、建築家アレキサンダーの言葉を紹介します。
東野高校は、共生社会を生み出す学校であり、第三の道を探求する場であると称賛し、最後に「学校を問い直そう。」「学校を作り直そう。」という言葉で結んでいます。
前回のブログで述べましたが、中満泉氏がスウェーデンを高く評価したのが、本人の自由だったように、栗原氏が東野高校を絶賛するのも、同じなのかも知れません。これについて、私にも自由な意見がありますので、次回で述べさせて頂こうと思います。