goo blog サービス終了のお知らせ 

ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

いま教育を問う 6 - ( 栗原彬氏 )

2021-03-13 22:31:23 | 徒然の記

 教育関連書の11冊の書評は、何度も中断しますので、自分の現在位置を知るためには、何度も同じ場所へ戻らなくてなりません。下記11冊の内9冊を読み終え、『いま教育を問う』の152ページを進行中です。

   1. 『いじめと不登校』4     編集委員6名   (  平成10年 )

       2. 『いま教育を問う』1   編集委員6名   (  平成10年 )

    3. 『教育への告発』0     編集委員6名   (  平成10年 ) 

    4. 『教師』                        森口秀志編   (  平成11年 )

    5. 『昭和教育史の証言  教育証言の会  ( 昭和51年 )

    6. 『学校は変われるか』      菱村幸彦  (  平成8年 )

    7. 『教なき国民は滅ぶ』  鷲野一之   (  平成9年 )

    8. 『教育問答』 なだいなだ  (  昭和52年 )   

      9. 『ジャカルタ日本人学校の日々』 石井光信   (  平成7年 )

     10. 『日本の教師に伝えたいこと』 大村はま   (  平成7年 )

   11. 『学校崩壊』 川上亮一   (  平成11年 )

 執筆者で言いますと、下記6番目の姜 尚中氏を終わり、田中氏と対面中です。

 1. 鶴見俊輔  2. 栗原 彬  3. 佐藤 学    4. 暉峻淑子   5. 矢野眞和    

 6. 姜 尚中    7. 田中孝彦 8. 内山節   9. 柏木恵子   10. 浜田寿美男

   11. 吉見俊哉 12. 鵜飼 鉄

 今回は、栗原彬氏が語る「理想の学校」、私立東野高校( 埼玉県入間市 )について紹介します。

 「東野高校には、特定の個人の創立者がいない。」「経営母体である盈進( えいしん )学園の、教職員、理事、評議員たちの、」「民主的な討議の過程そのものが、あえて言えば創立者である。」「彼らは学校の設計者として、建築家のアレキザンダーを選びました。」

 氏は脱近代を思考する、有名な建築家だそうです。茶畑の広がる丘陵に、全職員が彼とともに立ち、理想の学園のイメージを作ったと言います。出来上がった二万坪のキャンパスには、門の扉がなく、敷地の10分1を占める人工池に水鳥が遊び、ボートやカヌーも、浮かんでいます。

 「教室は平家もしくは二階建てで、一戸建てである。」「つまり一教室一教場となり、教室には、生徒たちの溜まり場となるサンルームがついている。」「隣接して担任の準備室があり、生徒はこの部屋で担任と懇談する。」「つまり東野高校には、大部屋の教員室がない。」

 スペースが無くなりそうですが、もう少し続けます。

 「この学校には、国旗掲揚塔がない。」「『日の丸』がなく、『君が代』も歌わない。」「校旗も校歌も校則もない。」「偏差値を排し、管理を排して、自己決定権尊重の上に、」「対話と共生の場を作り出そうとする工夫が、至る所に見出される。」

 「それはお互いを、『さん』と呼ぶことから、」「授業方法、教員組織に至るまで、配慮と創意に満ちている。」

 学校を村、校長は村長、生徒会は自治会、PTAは東野村会議など、確かに変わった学校です。そして氏は、「教育とは次の世代を育てる共同行動であり、日本の教育なんてものはないのだ。」という、建築家アレキサンダーの言葉を紹介します。

 東野高校は、共生社会を生み出す学校であり、第三の道を探求する場であると称賛し、最後に「学校を問い直そう。」「学校を作り直そう。」という言葉で結んでいます。

 前回のブログで述べましたが、中満泉氏がスウェーデンを高く評価したのが、本人の自由だったように、栗原氏が東野高校を絶賛するのも、同じなのかも知れません。これについて、私にも自由な意見がありますので、次回で述べさせて頂こうと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やはり始まった女性宮家前哨戦 - 3 ( 中満泉氏の略歴 )

2021-03-13 09:11:47 | 徒然の記

 中満氏に関する意外な情報を得たので、報告すると言いましたが、慌てふためいたり、驚いたりしているのではありません。

   浜の真砂は尽きるとも、世に盗人( ぬすっと )の種は尽きまじ

 石川五右衛門の辞世の歌を知り、それに習い自分の歌を作った私です。

   浜の真砂は尽きるとも、世に反日( 左翼 )の種は尽きまじ

 以後、反日左翼の新顔が何人現れても、たじろぐことはありません。立派な肩書きを持っていようと、自分の国を愛さず、批判ばかりする人間は「日本の害虫」です。彼らの正体が分かれば、騙されないように心がけ、駆除する決心をすればいいだけです。多くの国民が大挙してその気になれば、反日左翼は活動の場がなくなり、「害虫」は息絶えます。

 「一人一人が声をあげて行動する、重要性を指摘。」「意識的な努力の積み重ねが、社会の変革につながると、訴えた。」

 共同通信社の反日記者が、中満氏の言葉を伝えていましたが、私たちも同じことをすればいいのです。国を愛し、ご先祖さまを大切にする国民が、一人一人声をあげ、「日本の害虫」を落選させ、反日新聞を買わない行動をすれば、日本の変革につながります。彼らにばかり行動させず、国を愛する国民が同じようにやればいい訳です。

 前置きが長くなりましたが、ネットで公開されている、氏のプロフィールを紹介します。色々ありますが、分かりやすい情報から転記します。

  1. 高校卒業後、早稲田大学法学部を卒業

  2. その後、米国のジョージタウン大学大学院で、国際関係論の修士課程修了

  3. 氏は高校生時代から、国連で働きたいという希望があった

  4. ジョージタウン大学大学院を卒業後、外務省が行っている海外に職員を派遣する制度(JPO )で、国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR)に入る

  5. トルコのアンカラが職場で、この時高等弁務官緒方貞子氏を知る

  6. トルコ赴任中に第一次湾岸戦争が起こり、多国籍軍とUNHCRとの連絡調整官を務めた

  7. その後、ジュネーブで人事法務官、サラエボの事務所長代行になる

  8. 2005年から2008年8月までは、一橋大学国際・公共政策大学院教授

  9.  2008年9月、国連事務総長・潘基文氏により、平和維持活動局政策・評価・訓練部長に採用

   10. 2012年より、国連PKO局アジア・中東部上級部長

   11. 2014年9月、潘基文事務総長及び国連開発計画ヘレン・クラーク総裁より、国連開発計画の総裁補兼初代危機対応局局長に任命

   12. 2017年3月アントニオ・グテーレス事務総長より、国連事務次長(軍縮担当上級代表)に指名

  13. 2018年5月、フォーチュン誌の「世界の最も偉大なリーダー50人」に選ばれる

 輝かしい経歴は、氏がいかに有能で、優秀であったかを証明しています。私が引っ掛かるのは、氏が反日の韓国人である潘基文氏に認められ、重用されている事実です。韓国政府は、潘基文氏が国連事務総長になった時、「世界の総理大臣になった」と大喜びしました。その期待に応え潘氏は、国連の職員に韓国人を大量に採用し、韓国の発言権を強化しました。邪推になりますが、反日の潘氏に重用された中満氏は、もしかすると反日だったのではないのでしょうか。

 中満氏は平成9年に、スエーデン人の外交官と結婚し、2女の母となっています。

 「無条件で賛美するわけではないけれども、スウェーデンに暮らした経験などから、」「スウェーデンは、人類社会が現時点で到達しうる理想的な社会のひとつです。」

 これが、氏の言葉だそうです。夫君の国ですから、スウェーデンを氏が称賛することは、氏の自由です。ただ次の事実だけを、氏に伝えたいと思います。

 「ノルウェーは、北欧の親日国である。」

 「ノルウェーは、デンマークによって130年間、スウェーデンより380年間支配されました。」

 「合算すると510年間になりますが、ノルウエー国民は、この間ずっと独立への願望を持ち続けていました。」「彼らが独立国となったのは、第二次世界大戦後でした。」

「ノルウエーの国歌は、『われらこの国を愛す』です。510年かけて独立を勝ち取った国ならではの名前です。」

 「ノルウエーの国歌名を知った時、私は不覚にも涙がこぼれました。こんな当たり前の言葉さえ、日本では口にできない風潮があります。」

 「中満さん貴方が、スウェーデンは、人類社会が現時点で到達しうる理想的な社会のひとつと、誉めるのは自由でしょうが、スウェーデンに支配された、ノルウエー国民の苦しみを知っていますか。」

 「あるいはまた、たった35年間日本に統治されたからといって、悪口雑言を世界に吹聴している韓国のことを、知らないのでしょうか。」

「この国の大嘘の慰安婦や、徴用工問題で、どれだけの日本人が苦しめられているのか、耳にしたことがないのですか。」「反日の塊のような潘基文氏に重用され、心の痛みはないのですか。」

 息子たちに言います。有能であっても、輝く経歴があっても、父は中満氏を評価しません。父にとって、氏の意見は、聞くに値しないたわごとでしかありません。まして共同通信社や、国連や、そんなものに騙されてはいけません。

 私の辞世の歌をもう一度中路氏へ贈り、ブログを終わります。

   浜の真砂は尽きるとも、世に反日( 左翼 )の種は尽きまじ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする