カレル・ウォルフレン氏の二回目です。氏の本を読むたび、よくもここまで酷評すると不愉快になります。
氏は日本で多くの著作を出版していますが、日本は国民を幸せにしない国と頭から決めつけています。一握りのエリート官僚と、マスコミに支配された愚かな日本人というのが、氏の基本認識です。
したがって常に上から目線で語り、騙された無知な国民に教えるというトーンで終始します。
・通産審議官を務めた故天谷直弘氏は、かって私に、日本の教育制度は、粗悪な型のロボットを作り出しているようにしか見えない、と語ったものだ。
・とすれば日本の体制派は、同じエリート集団の一部が、公然と批判している教育制度を維持し続けていると、結論づけても大袈裟ではあるまい。
これには少し、説明が入ります。天谷氏は東大卒のエリート官僚ですが、文部省管轄の教育制度の批判者です。この図式が、氏には日本のトップリーダーたちの対立に見えたという訳です。
・それから約10年後の昭和59年、中曽根首相が発足させた臨時教育審議会で、天谷氏の意図する趣旨の答申が盛り込まれた。
・生徒の創造性の障害となり、個性のないステレオタイプの人間を生み出す、現状の制度への改革案であった。
・ところがほぼ同じ時期に、文部当局は偏差値制度を導入し、事態をさらに悪化させてしまった。
・今日の日本の教育制度は、如何なる意味でも、日本国民の意思と叡智の産物とは言えない。
・それはまさに、権威主義的官僚が作り上げたものである。
政府批判の辛辣さを、軍に結びつけた批判が気に入ったため、岩波書店の編者たちが氏の意見を採用したのだと思います。
・( 日本の教育制度 ) に貫かれている原則は、軍事教練を叩き込むときの根底にあるものと同じである。
・それ自体になんの意味もなく、ただ支配者が誰であるかを示すためだけに存在する原則は、兵士の間には絶対服従の心構えを育むのかもしれないが、学校の生徒を良き市民に育て上げはしない。
氏の意見は反軍国主義的で、憲法改正反対論につながると読めますが、実はそうでありません。ここで18年前に読んだ氏の著作、『なぜ日本人は日本を愛せないのか』の書評が出る番です。
氏はこの書で、日本人が日本を愛せなくしている理由を、「政界での左右の対立」と捉えています。18年前も今も変わらない「、日本の病」です。
・愛国心に関する日本人の概念の混乱は、永遠に続くのかとも思える時代遅れの政治的分裂だ。すなわち、政治上の右翼と左翼という区別のことである。
本が出版されたのは、小渕内閣の時です。以後、森、小泉、安倍、福田、麻生、鳩山、菅、野田、安倍、菅と、10人の総理が交代していますが、「左右の対立」という病は変わっていません。変わらないどころか、年と共に激しくなり、政治の貧困を深め、国民の失望を強めています。
・この悲しい時代錯誤の状況が、政治制度の改革の大きな障害となっている。日本を愛せと右翼が大声を張り上げれば、そんな愛は極めて危険と、左翼が騒ぎ立てる。
・互いの態度を非難し合うことで生じる、この騒々しく不毛な対立が、多くの真面目な議論の、邪魔をしている。
忌々しいと思いながら、氏の意見を紹介する理由がここにあります。国民の多くが気づいているのに、なぜ政治家たちが気づかないのか。なぜ目覚めないのかという、怒りです。
・これを完全な知的麻痺状態と言えば、言いすぎかもしれないが・・
まさかオランダ人の氏から、こんな指摘をされるとは夢にも思っていませんでした。外国特派員協会会長になると、こんな礼儀知らずの発言をするのでしょうか。「憲法改正」についても、遠慮なく喋っています。
・憲法改正という表現は適切ではない。「改正」でなく、「創造」というべきだという意見もありうる。日本の現行憲法は、言葉の普通の意味での憲法ではない。
・憲法の理論と政治の実践とのあいだに、信じられないほど大きなギャップがあるにもかかわらず、一度も改正されたことがないという事実からも、憲法が現実に合っていないと言うことは明らかだ。
18年前に本を読んだ時、なぜ日本の保守言論人はこんな常識を国民に語らないのか。自民党の政治家の中に、事実を述べる人間がいないのはなぜかと、無念でした。この程度の意見なら、オランダ人の記者からでなく日本の保守と呼ばれる人から聞きたかったからです。
・憲法は、国の政治の究極的、かつ実際的な指針でなければならない。達成できない、高尚な理想のプログラムであってはならないのだ。
・護憲派と呼ばれている、知識人の一派がいる。彼らは一部のマスコミには、持ち上げられているが、護憲派は、憲法問題について討議の用意をするだけで負けへの第一歩と、考えているらしいということだ。
・しかし皮肉なことにどんな現実的な観点から見ても、日本の左翼は、その護憲運動全体を通じてとっくに負けているのだ。
岩波書店は、氏が「憲法改正論者」と知らずに選んだのではありません。教育に関する意見が反軍国主義だったから、自分に都合の良い意見を切り取り、読者に伝えようとしたのです。岩波書店の愚劣さを、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々には知って欲しいものです。
・第九条は多くの人に愛されると同時に、多くの人に忌み嫌われている有名な条文である。
・この条文は愛や憎しみを生んだだけでなく、現在の事態をジョークに近いものにするため、大きな役割を果たして来た。
・この条文は、軍隊を決して保持しないと決めている。ところが、軍隊はある。しかも、世界で三番目に金をかけた軍隊なのだ。
18年前の「ねこ庭」の過去記事から、怒りと共に氏の意見を紹介しています。
・この条文は、責任あるメンバーの一人として、国際社会への参加を期待される国に対し、実現不可能なことを要求している。
・戦争を行う権利を放棄する国は、国としての主権をみずから放棄しているということなのである
・第九条は、おそらくアメリカ占領軍の最大のミスだろうと考えるのを、恐れないで頂きたい。
・日本人の第九条支持の根底には、純粋に理想主義的な考えがあること、賞賛に値する思いから生まれて来たものであることを、私は信じる。」
・しかしそれはやがて、人間の本質や政治のリアリティーに関する、歪んだ見方につながっていき、長期的には政治にダメージをもたらし、思いとは正反対の結果に至る恐れさえある。
長くなっても紹介しているのは、氏への怒りもあります。マッカーサーがこの憲法を日本に押しつけた時、オランダは米国とともに、日本への復讐裁判に加担していました。
抜き差しならない勢力として、反日左翼を育て、政治の不毛の種を蒔いたのは、戦勝国オランダもアメリカと共に共犯者です。
・この平和憲法は、戦争にもいろいろな種類があるという事実を無視している。そのため日本人には、正当化できない戦争と、正しい動機のある戦争とを、区別する必要がなくなっており、このことが、非現実的な世界観を生んでいる。
・今、現実的な日本の憲法を作るという計画がある。私を強く引き付けるのは、それが新しいチャンスを切り開くと言う点である。
・旧来の左翼の硬直化と憂うべき行き止まり思考から、精神を解放するチャンスを与えられる。
・自国への誇りを持ちたいがため、旧来の右翼がめざす方向に引きつけられてきた人びとも、真に愛国的であるとはどういうことかを、発見できるだろう。
・この計画は、現在の左翼と右翼のあいだに存在している、ばかばかしい時代錯誤のギャップを埋めるかも知れない。
「ばかばかしい時代錯誤」と、氏に言われる筋合いはありません。戦後75年間も、私たちが国内で対立を繰り返して来たのは、氏が喋るような道化芝居ではありません。この事実の背後には、国が戦争に敗れることの悲惨さ、敗戦国の惨めさが集約されています。
「ねこ庭」のブログと訪問される方々の苦労も知らず、共犯者のオランダ人が何をいうかと、色々な意味を込めて、父である私は息子たちに伝えようとしています。
・選挙で選ばれたわけでない役人を、コントロールするには、政治家が唯一の頼みの綱である。
・そうはいってもあなた方が、なかなか政治家を信頼する気になれないのは、よく分かる。
・彼らのほとんどがかなり凡庸であり、役所を管理するためには何を知っておかねばならないかを知らない。
・政治家自身が官僚をコントロールし、本物の政府を作る知識と技能を磨き、」信頼性を証明すべきなのである。
オランダの国民である氏に、どうしてここまで言われなくてならないのか。氏の著作を勇んで出版した会社や、推薦文を書いた学者や、喜んで読んだ読者たちにも静かな怒りが生じてきます。
凡庸で無知な政治家の見本のような小沢一郎氏と菅直人氏を、氏は称賛していますから、人を見る目もないようです。こんな人物から何を言われようと、「ねこ庭」では聞く耳を持ちません。
・この国民的な計画では、新聞が極めて重要になる。日本の新聞は、これまでの官僚との近親相姦的な関係を断ち切り、これまでしてきたように官僚集団を守るのでなく、彼らを、厳しく突き放して眺めるようにしなくてはならない。」
怒りを燃やしても氏の意見は正論です。息子たちに言います。頑固で融通の効かない父と、お前たちは言うのかもしれませんが、頑固でなく融通が効くから、ウォルフレン氏の意見を紹介しています。父のブログが混乱しているのでなく、敗戦後の日本が混乱しているのです。
その点だけでも知ってくれたらと思いつつ、長いブログを終わります。