まだ明けない早朝にめずらしく、人生の中の「愛」について振り返ってみたりしてます。
これまで人生の中でいろんな「愛」と出会ってきました。
そしていろんな愛しかた、愛されかたがあったなあとしみじみ思います。
人は愛し愛される中で成長し、それを全うし続けるのでしょう。
母の愛、父の愛、恋人の愛、家族の愛、
静かな愛、激しい愛、見えない愛、数々の愛にまみれて今の私が形成されて来ました。これからも。
母は17回忌、父は一周忌を迎える今年、両親が私に注いできた愛をあらためて振り返ってみたり・・・
母は激しい愛の持ち主でした。すべてをひとりっこの私に注ぎこみ、その重さに耐えられなくなり私はいつも心のなかで反抗的になっておりました。だから母とはずっとうまく心からコミュニケーションが取れないままでした。
進学をするときも、恋愛をするときも何をするときも、どこかに一枚の大きな壁が立ちはだかっておりました。(と今思えば勝手に思い込んでいたのですが)
そして100%母の愛し方を理解できないうちに母はこの世からいなくなってしまいました。
悲しみの中にひそむ開放感みたいなものを感じながら私は母を見送りました。
そして、娘3人を育て、孫ができた今頃になって、やっと母の愛の深さに気づかされているのです。
母親として、おばあちゃんとしての私は母にはとうてい勝目が無いことも思い知らされるのです。
父はほとんど家庭の中での存在感のない人でした。仕事がらしかたのないことでした。
父との愛は母がなくなってからの15年間に育まれて来ました。
母の最後の言葉が「父さんを頼んだよ」でした。
あれほど喧嘩ばかりしていた夫婦だったのに母が一番気にかけていたのは父だったこと驚きを感じながら、私は母の遺言を全うしようと決めました。
私は心から父を愛そうと決めました。それまで父とのかかわりは薄すぎて彼について知らないことが多すぎました。
意識的に愛そうと決めないとどうしたらよいかわからないほどの薄い関係でしたから。
父は父なりに母の深い愛の注ぎ方を自分が今度は代行しなければいけないという使命感に燃えておりました。
だから、なすことすべてが母の真似事でした。とても素敵な真似事ばかりでした。
父が倒れてひとりで暮らせなくなった頃はすでに父への愛は無意識に生まれておりました。
トイレで失敗してしょんぼりしている父を心から愛おしく感じたり、何度も呼ばれる事に苛立つことはありませんでした。
必要とされている喜びのほうが優先しておりましたから。
父と私は確実にお互いの信頼の中で生活していたと思います。
両親にはとうてい勝目がないけれど、私なりに家族を愛し続ける母、妻、ばあちゃんになって行きたいと思うのです。
いままで鯉のぼりばかり届けてきたので、お雛様を届けられるのはちょっと嬉しい5人めにして初めての女の子の初節句。
実家には何年も眠ったままの7段飾りのお雛様があるけれど、今の生活環境には難しいものがあります。
ちいさな手作り雛人形を知人から作っていただきました。
スイスのお部屋でも日本のひな祭りでささやかに賑わいますように。