おねっと日記

日々の出来事を感じたままにつづります

「愛」あれこれ

2017年02月16日 | 家族

まだ明けない早朝にめずらしく、人生の中の「愛」について振り返ってみたりしてます。



これまで人生の中でいろんな「愛」と出会ってきました。
そしていろんな愛しかた、愛されかたがあったなあとしみじみ思います。
人は愛し愛される中で成長し、それを全うし続けるのでしょう。

母の愛、父の愛、恋人の愛、家族の愛、
静かな愛、激しい愛、見えない愛、数々の愛にまみれて今の私が形成されて来ました。これからも。

母は17回忌、父は一周忌を迎える今年、両親が私に注いできた愛をあらためて振り返ってみたり・・・

母は激しい愛の持ち主でした。すべてをひとりっこの私に注ぎこみ、その重さに耐えられなくなり私はいつも心のなかで反抗的になっておりました。だから母とはずっとうまく心からコミュニケーションが取れないままでした。
進学をするときも、恋愛をするときも何をするときも、どこかに一枚の大きな壁が立ちはだかっておりました。(と今思えば勝手に思い込んでいたのですが)
そして100%母の愛し方を理解できないうちに母はこの世からいなくなってしまいました。
悲しみの中にひそむ開放感みたいなものを感じながら私は母を見送りました。

そして、娘3人を育て、孫ができた今頃になって、やっと母の愛の深さに気づかされているのです。
母親として、おばあちゃんとしての私は母にはとうてい勝目が無いことも思い知らされるのです。

父はほとんど家庭の中での存在感のない人でした。仕事がらしかたのないことでした。
父との愛は母がなくなってからの15年間に育まれて来ました。

母の最後の言葉が「父さんを頼んだよ」でした。
あれほど喧嘩ばかりしていた夫婦だったのに母が一番気にかけていたのは父だったこと驚きを感じながら、私は母の遺言を全うしようと決めました。

私は心から父を愛そうと決めました。それまで父とのかかわりは薄すぎて彼について知らないことが多すぎました。
意識的に愛そうと決めないとどうしたらよいかわからないほどの薄い関係でしたから。
父は父なりに母の深い愛の注ぎ方を自分が今度は代行しなければいけないという使命感に燃えておりました。
だから、なすことすべてが母の真似事でした。とても素敵な真似事ばかりでした。

父が倒れてひとりで暮らせなくなった頃はすでに父への愛は無意識に生まれておりました。
トイレで失敗してしょんぼりしている父を心から愛おしく感じたり、何度も呼ばれる事に苛立つことはありませんでした。
必要とされている喜びのほうが優先しておりましたから。
父と私は確実にお互いの信頼の中で生活していたと思います。

両親にはとうてい勝目がないけれど、私なりに家族を愛し続ける母、妻、ばあちゃんになって行きたいと思うのです。

いままで鯉のぼりばかり届けてきたので、お雛様を届けられるのはちょっと嬉しい5人めにして初めての女の子の初節句。
実家には何年も眠ったままの7段飾りのお雛様があるけれど、今の生活環境には難しいものがあります。
ちいさな手作り雛人形を知人から作っていただきました。

スイスのお部屋でも日本のひな祭りでささやかに賑わいますように。


じい様の旅立ち

2016年05月27日 | 家族

それは突然やって来ました。 5月25日。
その日が近づいている事の覚悟はしているはずだったのですが、いざ現実が起きると頭の中は混乱し、思考能力が止まってしまうものです。

母が父を迎えにやってきました。



今まで何度か母に追い返されて来た彼がついに母の元へ行くことになりました。
88歳、天寿を全うというには今どきなら、まだ全うしきれていないお年頃。
それでもお医者様の「自然なお姿です。いわゆる老衰という表現がふさわしいでしょう」という言葉に私はどんなに救われたことでしょう。

母が旅立った14年前から父は母の分も私たち家族や孫やひ孫やワンコたちを一番の宝に生きて来ました。

まだ現実を受け止められないままの今、これ以上の文章を書く事は不可能です・・・・


こどもの日

2015年05月05日 | 家族

日本社会の縮図が目の前の家族の中にあります。
高齢社会、父の世話をしながら介護について考える日々。
少子化社会、まごちゃんを可愛がりながら、共働きをしなければならない若い世代の家庭を考える日々。
環境問題、あとぴっ子がいるので、食生活や添加物について考える日々。
 

世界全体が幸福になるということは、日本全体が幸福になるということで、しかも、それぞれの家庭が幸福になる、
ということなのだと思います。 

だから、家族を幸せにすることが、世界を幸せにするための第1歩だと思います。
今、私ができることは家族に精一杯の「愛」でもって、お互いをいたわりあい支え合う笑顔あふれる家庭を目指したいと思います。
それが、世界の幸福につながると思えば、注ぐ「愛」にもチカラが入ります(笑) 

こどもの日。世界中の子供に笑顔があふれますように!
ばあちゃんは生きてる限り、未来の子供たちの幸せを祈り続けます。

 


87才の父の未来

2015年03月16日 | 家族

父は3月15日で87歳をむかえました。
そして、私と一緒に暮らすようになってから半年が過ぎました。
母があちらに行ってからすでに14年。父は母の分もがんばって私たちのことを見守ってくれております。

あの時、「おれはもうあと3年しか生きない」と母のもとを追いかけていきそうな勢いでしたが、 最近は何度も夢の中で母から「まだ来るな」と言われているもよう。
そして、ついに「まだまだがんばる」宣言をしてくれました。ありがたいありがたい。

 

人は気持ちの持ちようで、元気にも病気にもなるのかもしれません。
「まだまだがんばる」宣言をしてから、食欲がまえより出てきたような気もします。 
一時は食べたいものがなかったのに、「◎◎食べたい」と言ってくれるようになりました。
身体的運動機能の 問題は徐々に増えては来ているけれど、精神的回復は顕著に進んでいるようにも見えるのです。

季節感がない、時間軸がずれる、朝晩がわからない、 日にちがわからない、
そんな問題を抱えていた父が、なんと、最近それらが正常に動くようになってきたのですから!

不思議です。

特に変わった治療や世話をしたわけではないのですが、もしかして、ドックセラピー効果?かもしれません。なんか、そんな気がします。
父が起きてテーブルに座ると、マリがそばに寄って足もとに座ります。
父が朝のパンのはしきれをいつもあげるので、すっかりなついてしまいました。おかげでマリちゃんぷっくぷっくです(ーー;)
時々、父はマリとポンタに話かけてるみたいです。犬は私みたいにああだこおだと言い返さずじっと耳を傾け父の顔を伺っているので父にとっては心地がよいのかもしれません。 

朝晩の感覚がしっちゃかめっちゃかだったのですが、それは、毎朝窓のカーテンを開けて、空を眺めてお日様を浴びる事で解消されました。
そして、見えるところに見やすい時計をかけて、常に今何時なのかを確認できるようにしました。
最初は指差して「今は◎時だよ」と一緒に確認してましたが、今は自分で時計を見て時刻を確認するようになりました。
朝になったらカーテンを開けてあげて、暗くなったらカーテンを閉めてあげていたのですが、いつの間にかその動作を父が自分でできるようになりました。
自分での着替えはできなくなったり、リハビリパンツを日に何回も取り替えなければならなくなりましたが、そんなことはどうでも良いことで、父の精神が日常に戻って来てくれたことのほうが、私にとってはとてもありがたいことなのです。
介護で心が折れる時って、意思疎通ができなくなった時だと思うからです。

そして、何より自分の存在が家族に必要とされていることを感じたとき、「生きがい」を取り戻したのです。
それは、私が会社を起し、雇用を開始したことから始まります。
「お給料払えなくなたら父さんお願い、助けてね。」
この一言がもりもりと自分の存在感を増幅させた模様。これは大変だ、何かあったら自分が援助しなくては、と。
だから、お給料日が近づくと必ず「オレの貯金下げてちゃんと払ってやれよ」と(笑)
法人なので、そんな簡単な話ではありませんが、そのうちお世話になるかもしれませんね(笑)

こうして、父は「生きがい」を見つけ、「生きたい」を感じ、「食べたい」を欲し、「自分の家に帰る」を言わなくなりました。
そして、
「せつこ、布団かけてくれ」「せつこパンツ取り替えてくれ」「せつこおしるこ食べたい」「せつこデイサービス行きたくない」
と、甘えんぼ言いながら、朝昼晩3度の食事の時間も把握できるようになり、時間になると自分で前掛けをかけてテーブルに坐ってスタンバイ。
あわてて台所に立つ私でございます(笑)

社会には認知症症候群の人が沢山存在しますが、ちょっとしたことで、回復出来るのにできずに終わってしまっている人が多く存在するのはないかしらと父を見ていっそう思うのです。

朝窓を開けておひさま見る習慣をつける。
話かける相手がいる。
自分が必要とされている。

たったそれだけのことだけど、それがとっても重要なことなんだと思うのです。

父は脳腫瘍のせいで、右目は見えない、左耳は聞こえなくなりました。 
でも、人の「生きたい」力は脳みそのどっかを刺激して、細胞が活性化するんだなって実感します。 


冬支度な季節の中での日々

2014年11月03日 | 家族

時の経つのが早く感じるのは、歳のせいだと誰かが言ってましたが、またたくまにとカレンダーがめくられ、
すでに11月に突入してしまいました。 

 

8月に父が体調を崩して以来、わが家での同居が始まり、9月半ばに三女が長男を出産、
9月下旬に父が入院、10月はじめに退院するも再び体調を崩し通院、
10月に長女が長男を出産と、あれよあれよ言う間に4人の孫ちゃんのばあちゃんになった訳で。
その間、主人も風邪が治らず、頭痛に悩まされ続け、老犬介護も同時進行中。

大変ですね、忙しそうですね、って周りの方はおしゃるのですが、私はこれが平凡な暮らしだと思うのです。
年齢的に、誰もが通る時間帯なのですから。いわゆる、ファミリーラッシュアワーですよね(笑)

そして、平凡な暮らしほど、ある意味決して簡単に手に入れられるものではないとも思うのです。
そして、平凡な暮らしの中にこそ、幸せがぎっしり詰まっているような気もするんです。

ですから、何かを削ぎ落としても、父との時間を大切にしたいし、孫ちゃんとのかかわりも大切にしたいと思うのです。
家族が私を必要としてくれること程、嬉しいことはないのです。
そして、その時間は人生の中で、最も自分が輝いている時のような気がしてならないのです。
しかも、その時間はあっという間に過ぎてしまうのですから。

私はこの時間をしっかりかみしめて過ごしたいと思うのです。
愛する家族があってこその私なのですから。


寝たきり老人のポークソテーな夜

2014年09月02日 | 家族

父は一日中をほとんどベットで過ごしております。

食事の時と、タバコの時と、トイレの時と新聞(主に慶弔欄)を読む時にもそもそと起きてくるのですが
やはりこの人も「寝たきり老人」のひとりではないかと思われます(笑)

お盆にあれほど大好物だったブリの刺身で食当たりになってからというもの、刺身恐怖症になり
お肉すら食べられなくなり、毎日、焼き魚のたぐいがメインになっておりました。

「俺は長いことない」と何度も口にするから
「 言い残すことがあったら今のうちに話しておいて」
「何もない」
毎日こんな会話の繰り返し。 
タバコはキャスターマイルド5ミリ を1日1箱吸う86歳、タバコが寿命を縮めるという話がちょっと信じられなくなります。
タバコよりストレス貯める方が、身体によほど悪いみたいなので、これは黙認。
少々我慢することはあっても、基本「わがまま」「言うこときかない」をモットーに生きているっぽいこの人。
絶対100まで生きそうな気がします(笑)

秋の気配と共に、少しづつ食欲も増し、久々にポークソテーを出してみました。
「うまい」 おおよかった! 
そもそもは肉付きの父であります。
これまた以前に焼肉屋さんで倒れて、救急車で運ばれてから、お肉も以前より遠のいておりました。

昔は肉厚ながっちりした背中で肩をたたくとぽんぽん跳ね返ってくるような筋肉質だったけど
今は、すっかり肉もとれ、シワシワになった胸元をお風呂場で流してあげる寂しさもあるけど・・・
裸んぼうで衣類を着せる私に身をまかせる様はまごちゃんと一緒だなあ。
わがまま度合いもあまりにも似てるので、なんだかかわいくなってくる(笑)

じい様とまごちゃんの扱い方はほぼ一緒です。

こんな風に手のかかる父を「かわいい」と思える私はきっとシアワセなんだと思います。
 


人はみかけによらぬもの

2014年08月24日 | 家族

じい様か、ベティか、という日々の暮らしですが、来月からはこれに新たしい「まごちゃん」が加えられます。
こんなに私の出番があるなんて涙が出るほど嬉しい人生(笑)
私は人生という舞台のヒロインに違いありません。 できれば喜劇に仕上げたいと思います。

さて、朝からべっちゃん騒動。
歩けないのに散歩に行きたがります。
すぐにへこたれるのに昔からの散歩コースに行きたがります。
仕方ないので、胴に布をまき、介助しながらよたよた散歩に連れ出した主人ですが、案の定、途中でびくとも動けなくなったそうです。
途方にくれていると、その前の家の人が出てきて心配そうに声をかけてくれました。

実はこのおじさんは今までの散歩で挨拶をしても返事もしない人なので、ちょっと敬遠しておりましたが、
今朝はキャリーバックと板を小屋から出してきて「これに乗せてみたらどうだろう」などと、大変気にかけてくれました。
まさか、普段無愛想なこの人が一生懸命になってくれてる、と、主人はおどろきながらも感謝して、
ちょっとそれでは無理そうだったので、そこにベティをお願いして車を取りにきて連れて帰りました。
そんなドタバタを気にもせず、久しぶりに車に乗ったベティの瞳は一段とキラキラ輝いて、とても嬉しそう・・・
「なんか、一人暮らしっぽかったなあ」
どんな人でも心のどこかで、誰かとかかわりたいという気持ちは持っていると思います。
私たち夫婦は心からこのおじさんに感謝してこれからも挨拶は続けようと思ったわけです。

本当に、ご近所さんはありがたいものです!
人は普段の印象だけでは決め付けてはいけないと反省反省。 
私もご近所で何かあったら、躊躇せず、まっさきにお手伝いを出来るようになりたいものです。 
ま、手より口が先に出る私ですが(笑) 


笑ってこらえて介護な暮らし

2014年07月16日 | 家族

現在、このふたり(ひとりといっぴき)の介護をしながら、会社の事、孫ちゃんの事を頭の中でめぐらしながら日々奮闘中です。

 

このふたり、笑っちゃいけないけれど、症状が一緒。
足がふらついて、なかなか立てない、歩けない。
さびしがりやの甘えんぼさん。
夜中に起きて異常行動。
あ~何から何まで似すぎてます(笑) 

父86歳 わんこのベティは15歳(人間でいうと76歳) 

自宅でベティを介護しながら、お昼は父に食事を届けに。
さて、さて、私はいつお仕事をすればいいんだ?結局夜中か早朝で集中作業になります。
でも、どちらも大切な家族。
いつまでも長生きして欲しいのです。 

 


日々てんこもり~お泊り介護開始

2014年05月11日 | 家族

自宅に事務所スペースを確保し朝9時に出勤、部屋に入ったとたんに気持ちが引き締まるのでやっぱり作って良かった!
ということで、朝一の作業はやることリスト10項目の書き出しですが、なかなか一日で消化できずにちょっとストレスたまり気味です。
でも、ペースをつかめるようになればもっと効率良く前進するでしょう・・と信じております。
家族からの設立お祝いの花が届きました。
メッセージ読みながら涙腺ゆるみっぱなしのばあちゃんです。
家族のためにも事業はなんとしても成功させたいと、あらためて、心に誓うのです。

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私たちにとっての代表取締役母ちゃん
春鷹・晃悠にとっての代表取締役ばあちゃん

いつもありがとう。
そして、
新しいスタートを飾る
最高の花を贈ります!

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さて、愛犬ベティ14歳も来月迎える15歳を前にいよいよひとりで立ち上がれなくなり、トイレ介助も不可欠になりました。
往復30キロ離れた実家の父の介護と重なりなんとか、同じ場所で面倒がみられたらと常々希望しておりましたが、
父が「うん」と言わないばかりに毎日通い介護を続けておりました。
が、ついに、父が「うん」と!  

でも、突然環境が変わると老人にとってあまりよくないと言われるので
お泊まり保育ならぬお泊まり介護からスタートします。
折しも、まごちゃんは初めてのお泊まり保育をいやいやい行ったそうで、じい様も同じシチュエーションで実はしぶしぶやって来たのでありました。
なれない寝床、トイレ、あれこれ、さわがし犬、そして、主人に気を遣わなければならないめんどくささ。
それを思うとおっくうになるのも良くわかります。
きままにすごしてきたからこその86歳でもある訳ですから。

こうなったら、やはり来てよかったと、意地でも思わせたい、と私の闘争心は奮い上がるばかりです(笑)
好物の日本そばやお刺身を用意し、夜中は何度もお布団をかけ直してあげてみたり。
孫夫婦と同居とはいえ、父親は娘の私がみるのが、道理なのですから、父にはすこーしばっかり辛抱してもらうことにします。

父さん、住めば都ですよ。