おねっと日記

日々の出来事を感じたままにつづります

まごちゃんの威力

2012年02月26日 | 家族

あらためて、まごちゃんの威力を実感しました(笑)

いろんな事で頭の中がぐしゃぐしゃになって、ひとつひとつは小さなことなのになぜか整理できない状態が続きました。
こちらを考えているとあちらが気になりはじめる・・の悪循環
そして、そんな自分が情けなくなり最後はどこかへ責任転換をしたくなる始末。

そんな時、
まごちゃんの写メールが届きました。

「本日は雨でしたのであんぱんまんを作りました。   元気です」

私はこれですっかり元気になってしまいました。
まごちゃんの笑顔はすべてをシアワセにしてくれるんだなあ・・・

誰のために何のために日々を送っているのかを思い出させてくれました。
家族のために、すべては家族をシアワセにすることが私の生きがいなのだから。
妻として母として娘としてばあちゃんとして、人生を心豊かに過ごしたいとあらためて思う日曜日です。


素敵な女性たちに囲まれて

2012年02月25日 | 暮らし

友人の事務所の窓辺のわんこに心癒されました。

同年代の女性が私のまわりでがんばっているのはとてもありがたいことです。
ちょっぴり心が折れそうになる時、彼女たちが活き活きと活動しているのを見ると力が湧いてきます。
私たちの年代は必然的に「親の介護」がくっついて来るからです。
その事実を受け止め、親のお世話と一緒に人生を歩む時なのです。
これがたったひとりだと、つらくなったり、落ち込んだりするのだと思いますが、ありがたいことに私はそういう状況にならずに済んでます。
お互い包み隠さず、いろんな出来事を語り合い、励ましあい、経験を伝え合い、ほっとしあいます。
だから、
父の失敗なんかも笑い話にできちゃうのです。
「楽しい介護」を目指すためには気持ちを共有してくれる仲間がとても大切だと感じます。
そして感動的なのはそんな状況の中でも彼女たちは自分の仕事をしっかり全うしているということ。

だから私もまだまだがんばれるなって思うのです。


お手紙プロジェクトは田野畑村へ

2012年02月23日 | ビジネス・夢

2月の「三陸への手紙プロジェク」は鳥取から送っていただいたお手紙を中心に
盛岡グランドホテルでの盛岡地域夢起業塾主催のビジネスステージ第3章の開催会場に展示させていただきました。
「すごいこんなにかわいい絵が沢山!」 
見ていただいた方は感動しながらひとつひとつに見入っておりました。 

 

 

たなかかおるさんの絵ハガキも展示させていただきました。
ほっとする絵はがきにしばし心癒される時です。 

さて、この日のゲストプレゼンテーターは
岩手県下閉伊郡田野畑村のNPO法人ハックの家の施設長竹下敦子さん。
基調講演はかもめの玉子の斎藤製菓の斎藤俊明社長。
3.11当日の話が出るとどうしても胸が苦しく涙なしでは聴いていられなくなります。
被災地の方々のそんな経験を共有するにはあまりにも私たちの経験は未熟で小さすぎてやり場のない気持ちに言葉も出なくなります。 
しかし、私たちはこの出来事を使命をもって未来に伝えていかなければならないのだとあらためて思うのです。

ハックの家の竹下さんとは震災後にご縁ができ、今回は震災から復興に向けて前向きに頑張っている現地の様子を伝えていただきました。
メディアではあまり報道されない地域もとても大変な状況になっているのを知り、ならば私たちは田野畑を中心に応援しようと活動してきました。

今回のお手紙は竹下さんに委ねることになりました。
「わ~すごーい!!このお手紙たちのハックの家に飾らせて下さい!」
地域の支援の中心の場となっていろんな方が出入りするハックの家に飾っていただくのはとても嬉しい!
そして、見ていていただいた後は地元の方たちにもお渡ししていただくことにしました。
ハックの家は障害者福祉施設なのですが、この絵手紙を見て敦子さんは
「字を読めない利用者さんが多いので、絵をいただくととても嬉しいんです。絵の好きな子もいるのでお返事とか書いていいですか?」
「モチロン!!書いて、書いて!」

やっと、本来私の望んでいた「文通」がかないそうでなんだかワクワク様。
ハックの家のペースを乱さないようにゆっくりと書いてくれるのを待ちたいと思います。

このお手紙バトンリレーが「希望の未来」というゴールまで途切れる事なくつなぎ続けていけたらと心から願うのです。


ビジネスステージ第4章開催

2012年02月20日 | ビジネス・夢

今年で4回目となる盛岡地域夢起業塾主催のビジネスステージです。

 <<詳細はクリックしてください

物事継続することのむずかしさ、困難さを仲間同士で体験しながらも達成したときの喜びは大きいものです。
プレゼンテーションの力を学びながら私たちは少しづつではありますが共に前を向いて進んでおります。
是非多くの方においでいただきたくご案内いたします。


心もおなかも満たされた日

2012年02月17日 | イベント

今日は「グヤーシュでランチパーティー」
自分が食べたい一心で企画したランチパーティー(笑)
「企画してくれてありがとう!」
と、みんながこんな日があったらいいなあと思っていたのが判明したのです。
だから、なんだかみんなの心がひとつになったような時間で
久しぶりに心豊かでおなかいっぱいの最高の一日となりました。


 
友人のさなえちゃんは食後のティータイムでハンガリー料理にちなんでリストの「愛の夢」をピアノで演奏してくれました。



もう一人の友人けんさんはトランペットを奏でました。



昼下がりのひと時をレストランの窓から差し込む冬の日差しに心を奪われながらも静かに聴き入る生演奏。  
目を閉じると行ったこともないのにドナウ川やバラトン湖が浮かんで来るのです。 
久しぶりに集う友人たちとの時間。 
どんなに忙しくても、こういう時間ってとても大切だなってしみじみ。 
30年も40年も20年も前からの付き合いの友人たち。
ずっと、時には何年も会わずともこうしてひと時を一緒にするとそんな長い間のご無沙汰はちっとも苦にならないから不思議。 

「また企画してね」
そう言われたらやらずにはいられません私(笑) 


強震モニタ

2012年02月08日 | 暮らし
スマホの地震の警告音が流れました・・・

佐渡が震度5強とニュースで伝えてました。
いつ何が起きるかわからないので、アプリを入れておいたのです。
警告音が鳴ってからすぐに地震はやってくるので、何も準備はできませんが、
来る前に判ると判らないとでは気持ちが大きく違います。
実はこの警告音が鳴ると、ぞくっと恐怖に襲われます。
忘れてはいけない。あの日の事を。
皆さんにも決して忘れて欲しくないので、3.11のモニタをアップしてみました。



激しい揺れの後に点がなくなったのは停電で計測不能になった地域のようです。

寒い朝のプレゼント

2012年02月07日 | 暮らし

寒い朝が続きます。
目が覚めると台所に今日もお弁当のおかずがすでに並べられてありました。
長女が昨夜仕込んでくれました。
何よりも嬉しいプレゼント! 

最近夜のパソコンが苦手になってしまったせいで、なんだか机のまわりがうようよしはじめました。
自宅に居る日がほとんどない最近、 家事優先で残務整理の時間なし。
立春も過ぎ、3月申告も近づきそうも言っていられません。 
事務員さん欲しい~と毎年思うこの季節です。 


節分に託す希望

2012年02月04日 | 家族

今年の節分は家族全員特別な思いで迎えました。

主人は帰って来るなり、
「去年の今日は車が大破した日だったなあ・・」
そう、一年前のこの日、主人は大きな事故に見舞われました。
双方の運転手が無傷だったのが不思議なくらい交差点での大きな衝突事故でした。 
そのため、豆まきも恵方巻もすっかりお預け状態となったのです。
今年は長女のあと厄、二女の前厄、父が年男、などなどてんこもりで、豆まきの思い入れは相当な我が家。

「厄祓い」 に本気で取り組む一日となりました。
家族の健康と平和を心から願い、一年の無事を祈りつつ豆をまき、
いつのころからか始まった恵方巻を北北西を向いてぱくりとほおばります。
食べきるまでは話をしてはいけないということなので黙々と食べ続ける私にいつになく話しかける主人。
「お願いだから黙って食べて」と私。
「会話の無い食事なんて・・」とすねる主人。
 全く意味を理解せず、目の前の太巻きを食べにくそうに口にする主人。
確かに節分の太巻き文化は最近までなかったわけですから、理解に苦しむ彼の気持ちも判ります(笑)
彼は案外そういう日常的な社会の変化にはうとい方なような気がします。
ごく一部の地方の風習を全国的な文化にしてしまった最初の人はやはりすごいです。 

鬼のお面を父にかぶせて豆まきに興じる私。
遊び心もない父が素直に私の要求に従うのは、その写メールをひまごちゃんに送るためだから。
「どうだ、送ったか?」
そばで気にする父ですが、実は画像のデーターが大きすぎて娘の携帯に送れないというアクシデント!
83年生きて初めてお面を頭につけられた父が、脳腫瘍の手術をしない事を決めた日にもなりました。
そして
「おれは90歳までは生きるぞ。」と宣言をした日でもあります。

「そうだね、寝たきりでも90歳までは大丈夫だろうから。」
やっぱり相変わらず意地悪な一言をつけ足してしまう私(笑)

ということで、家族としては、できるだけ父の希望通りの暮らしを提供してあげたいと思います。
大きな脳腫瘍のせいで機能がどんどん落ちていくのは先日お医者様からはっきり言われました。
それを周知した上で、私たちは父との楽しい介護生活を想像してみるのです。
(案外100まで生きてくれそうな気がします・・)