おねっと日記

日々の出来事を感じたままにつづります

8月なのに

2008年08月23日 | 暮らし
雨と寒い日が続いております。
まだ8月なのにこのまま秋?まさか・・と不安になります。

仲間とのビアパーティーでもビールよりお酒の方がウケがよかったりします。

一時帰省をしている娘に旦那さんが足を運びました。
「半袖短パンで高速バスから降りたとき、とても恥ずかしかった・・」と。
しょうがないですよね、いつもはこんな気温でないのだから。

家族は何となく風邪気味で、妊婦に影響を与えたらどうしようと恐れて過ごしてます。
そう、娘はやっと妊婦らしい体型になりました。安心安心。

初孫です!楽しみです!男の子かな?女の子かな?
どちらでもいいです。母が私におくるみを編んでくれたように
私も冬に向けておくるみを編んであげたいと思ってます。

父は初ひ孫。 やはりとても楽しみにしてます。


ブレーカー

2008年08月21日 | 暮らし
突然、家の中が真っ暗になりました。
「停電だ!」と騒いだけれど、暗いのは我が家だけ。
ブレーカーが落ちただけでした・・

冬は経験あるのですが、夏場は初めてでした。
家を購入したとき、何アンペアにするか決めるとき、
節電のために大容量はいらない!っときっぱり言い切った私ですが、プレーカーを落とす原因作りはいつも私です。
掃除機、テレビ、エアコン、洗濯機、各部屋の電気、小さいものではパソコン3台は常時ついています。
何よりコピー機にスイッチが入ると急に変わります。

私の体内ブレーカーも落ちました・・

タイムスイッチの漏電でございます・・

あろうことか、同じ日程、時間にスケジュールを重複させておりました。
それを全く気がつかないでいたのです。
しかもいつになくどちらも遠方でのスケジュール。
どちらも大切で重要!

移動用のヘリコプターが欲しい! ・・・なんて。


早く漏電を治さなければ、私の気持ちは停電状態です。





お盆

2008年08月16日 | 暮らし
今年はいつもよりお盆らしいお盆を過ごしております。

仙台から父の古くからの友人が来ました。Sおじさんは最近自費出版しました。
その内容は50年程前の二戸市(当時は福岡町といいました)の様子が描かれております。
馬仙峡、馬淵川、車検場ならぬ馬検場 
私は5歳のとき近くの裏山に上って遠くから煙を出して走っている汽車を眺めては手を振っていたものです。
トンネルが多いので山間から汽車は何度も出たり入ったりします。
盆暮に蒸気機関車に乗って、花巻の親戚の家に行くのが唯一の楽しみでもあり、唯一の旅行でした。
父は仕事柄現地を離れることができないので、花巻に行くのも母と二人っきりでした。
今みたいに携帯電話なんて、まして家にも電話なんてなかったのですから。

馬検場には夏にサーカスがやって来ました。
「サーカスがやってきた、サーカスやてきた、」と大喜びをしておねだりをしました。
確か今でも健在な「木下サーカス」だったと思います。

当時はとてもエコな暮らしぶりでした。

母は買い物かごを必ず持ち歩きます。
お肉屋さんは経木でお肉を包んで売りました。
野菜は新聞紙。焼き芋も新聞紙に包んでもらいました。
パック詰めなんて存在しません。

残飯はバケツに入れて外に出しておくと、近くの養豚場の人が餌として回収に来ます。
マキストーブが台所にありそこでも母は煮炊きしておりました。

道路は馬車の合間をオート三輪車が走っておりました。
もちろん道路は舗装ではありません。
1級国道が舗装されたのはそれから数年も先だったと思います。
現在街中馬車運行事業に盛岡市では取り組んでおりますが、昔は当たり前の風景でした。

「ふくおかまち」には市日がありました。
道路には出店が並び子ども心にわくわくするものが沢山売っておりました。

母はあるとき父の大きなご飯茶わんを買いました。
馬の絵が描いてある大きな茶碗です。

ある日夫婦喧嘩をしたとき、母がその茶碗を父にめがけて投げました!
私の目の前をその茶碗が飛んで行きます・・
茶碗の絵の馬が天に向かって駆けているように見えました!
「わ~馬が空を駆けてる、すごい・・」
ですからこの茶碗のことはずーっと忘れたことありません。
その茶碗はいったいどうなったのでしょうね・・

両親のけんかの内容は全く知りませんが、母が茶碗の馬を天馬にしたのだけは記憶から消すことのできない5歳の体験です。
なぜか、「すごい!」と感動した記憶だけが残っております。

~岩手県二戸郡福岡町長峰住宅~ 
私が生まれてから6年間過ごした愛すべき町です。

キャンデーはおじさんが自転車で売りに来ました。 5円。

バナナは当時とても高価なものでした。
輸入自由化前なのです。母は病気になると買ってくれました。
なが~い時間をかけて、ぺろぺろなめって大切に食べました。


Sおじさんの本を片手にしばし懐かしい風景が走馬灯のように浮かんできました。
まったりとしたお盆です。



ビタミンフレンド

2008年08月12日 | 暮らし
仲間の「備前焼のすぎた」でランチをいただきました。
場所は

盛岡駅前北通5-9
菅原ビル3F

最初のお水からドリップコーヒーの果てまで備前焼き三昧。一枚数千円~数万円する器にさりげなく置かれている食材は無農薬の野菜。
身体も心もrichな気分になります。

さて、少々エネルギーが落ち込み気味の時は物事をネガティブに捉えてしまいがちです。
私もやはりそんな時期でした。
そんなとき、親しい女友達とティータイム。思うがままに発する私の言葉を
「OK、OK」とサインを送ってくれます。
ああ、これこれ!私が今欲しかったのは。
ビタミンフレンドがいるお陰でエネルギーがまたもりもり湧き上がってきました。

さっきまでの落ち込みはウソのような笑顔で手を振って分かれる私。



花火大会

2008年08月09日 | 暮らし
「盛岡花火の祭典」が都南大橋で開催されました。
ベティは3匹の中で一番の臆病です。雷もダメ、地震もダメ、
そして、花火も大の苦手です。

近くの都南大橋の花火の音が「ドン」と聞こえてきた途端、大慌てで娘の部屋に飛び込み、布団をかきむしり出しました。そして狭いところを探して首を突っ込みます。しかられて部屋を出されて、自分のゲージに篭ってみたり、最後は写真のように椅子の下に頭をかくして見ました。
「ああ・・もうダメ・・」と言わんばかりです。

夏の風物詩もベティにとっては本当に迷惑な季節のようです。

そしておとといベティの身体に円形脱毛を発見、そこをとても痒がって足でバタバタし続けておりました。夜も診察してくださるみゅう動物病院へ連れていったら「急性湿疹ですね。暑さのストレスもあります。」との事。9歳のベティはもう高齢犬、免疫も落ちてくるとこういう現象が起きて来るのだそうです。
注射をしていただき塗り薬をつけたらぴたーっと痒がるのが治まりました。
「すごい、みゅう先生の処置は最高だぁ」と家族中感激しました。
主人はまたぼそっと言います。
「ベティが寝たきりになったら俺は会社を辞めて介護をする」
そうだろうな、パパならやりかねない、それまでにオネット企画を確立させておかなくっちゃ、とプレッシャーを感じる私です。

最高のスタッフ

2008年08月05日 | 暮らし
我が社にスタッフが導入されてからというもの、私の行動はかなり変化して来ました。
一人は一倍、でも二人は無限倍になるんだ、という実感!
出かけていても留守番がいると用事は私のいないところで足りてしまうこともあります。
そして、誰かと会っていても心底その人とかかわっていることができ、
他の用事に気を取られることが少なくなりました。

すると結構いい仕事に繋がったりします。

出かける時も必要な書類を整理して並べてくれます。
スタッフ&秘書役をフルに発揮してくれております。

まさに「私の仕事はお茶飲みです」状態。
かなり、人と会う時間が取れるようになりました。

これがスタッフが代わったときに同じ威力を発揮してくれるのかが心配です。
でも、その心配を埋めるべく現在のスタッフは誰が見てもすぐに手をつけれるように仕事のマニアル化を図ってくれております。

長女は只今私の最高のメンターです。

そのお陰で2年近くご無沙汰していた友人と会う時間が取れました!

友人が長年私に希望していた息子さんの結婚式の出席すら私は自分のイベントを優先して欠席を選んでしまいました。
「血縁が少ないから、身内として出て頂戴。」
そのことを私はずーっと後悔しておりました。そして彼女になんて詫びたらいいか言葉が見つかりませんでした。

なのに、おなかを抱えて思いっきり笑い合う私たち。
2年間もあっていなかったとは思えないこの感覚。
その間に彼女はおばあちゃんになり、私もその後を追ってます。
17、8の女学生のように、小さなことで笑い、
レストランのウェートレスの子の名前が面白いと言ってはくすくす笑い、
ペットと孫とでどちらを選ぶかと言っては笑い、
(彼女は猫を8匹、私は犬を3匹飼ってます)
夫たちの不思議な行動に不満をぶつけては笑い、

あ~笑った、笑った、さんさの筋肉痛がおさまったら今度は笑いすぎで
おなかの筋肉が痛い・・

でも、とっても元気が出ました。
こんな時間も必要だととてもとても感じました。

スタッフがいるお陰で私は終世の友人との大切な時間を取り戻すことが出来、
人のつながりを大切にすることが出来ました。