人生の大イベントは時として同じ時期にやってくるものです。
いわて起業家博の翌日は二女の結納式です。紀伊の国から相手のご両親がわざわざお越しになります。
娘は私が20歳のときの着物を身につけ結納にのぞみます。箪笥を探していたら母が袖を通さずに終わってしまった着物が出てきました。
「金婚式の時着るの」と嬉しそうに私に見せた母ですが、父との生活を49年で最終章にしてしまいました。翌年、どこからか間違って金婚式のご案内のダイレクトメールが着て寂しそうにしている父の背中を思い出してしまいました。
主人と私が和歌山市の街中を流れる紀ノ川に初めてであったのが夏、そして北上川と違う壮大な表情に感動したものです。この二つの川の流れのようにそれぞれ違う環境と時間を過ごしたふたりがいよいよ来春の結婚への準備に入ります。
この頃、結婚式の日を想像することが多くなりました。私は決して泣かない、結婚式のイベントを楽しむだろうな、思っていたのですが、最近になって泣いてばかりいる私が目に浮かんできます。そして主人はもっと泣くんだろうなと思います。親ってそういうものなのでしょう。3人の娘がみんな嫁ぐまで私と主人は涙まみれになるのでしょう・・そしてそれから二人になってやっとお互いを見つめあう人生が始まるのかもしれません。
いわて起業家博の翌日は二女の結納式です。紀伊の国から相手のご両親がわざわざお越しになります。
娘は私が20歳のときの着物を身につけ結納にのぞみます。箪笥を探していたら母が袖を通さずに終わってしまった着物が出てきました。
「金婚式の時着るの」と嬉しそうに私に見せた母ですが、父との生活を49年で最終章にしてしまいました。翌年、どこからか間違って金婚式のご案内のダイレクトメールが着て寂しそうにしている父の背中を思い出してしまいました。
主人と私が和歌山市の街中を流れる紀ノ川に初めてであったのが夏、そして北上川と違う壮大な表情に感動したものです。この二つの川の流れのようにそれぞれ違う環境と時間を過ごしたふたりがいよいよ来春の結婚への準備に入ります。
この頃、結婚式の日を想像することが多くなりました。私は決して泣かない、結婚式のイベントを楽しむだろうな、思っていたのですが、最近になって泣いてばかりいる私が目に浮かんできます。そして主人はもっと泣くんだろうなと思います。親ってそういうものなのでしょう。3人の娘がみんな嫁ぐまで私と主人は涙まみれになるのでしょう・・そしてそれから二人になってやっとお互いを見つめあう人生が始まるのかもしれません。