盛岡北上川。舟っこ流し。誰もが特別な思いで迎えた今年のお盆。
東日本大震災後、誰もが「お盆までには」と言う言葉で自分たちの心にけじめをつけたいと思っておりました。
私たち日本人にとって、この国の文化にとって、お盆がどれだけ人々の暮らしの中で重要な季節なのかをあらためて感じる年にもなりました。
愛する霊が迷うことなく浄土へ旅立つ事を祈り、川面に浮かべる家族の灯篭への想いです。
お経を上げに訪れて下さった浄土宗吉祥寺の住職のお話
「沿岸の多くの人たちが仏壇や墓石の一切を失いました。そこで、3つのお寺では菩提寺の阿弥陀様の写真を撮って小さな板に印刷して皆さんにお渡ししたんです。お盆にはその阿弥陀様にちゃんと大切な方が戻って来られるようにと。家が流されてしまい、仮設住宅に移ったので仏様が迷いはしないかと心配されている方もおいででしたが、この阿弥陀様を置いていたら無事に戻って来られますよとお伝えしたんですよ。」
お盆の間だけ大切な人たちの霊は家族と共にあり、そして浄土へ帰って行きます。
一年の中の数日。私たちはどれだけこの日を大切な日として暮らしているのでしょう。
数十キロの渋滞になろうが、満員の列車になろうが故郷へ戻る大切な家族。
私たちの身体には帰省本能の血が生まれた時から浄土に在っても永遠に途切れる事がないのでしょう。