何もいらないからね~
と、日々忙しい娘たちを気遣いそう口にしましたが、
「お届けで~す」と宅配便のお兄さん声にやはり心はウキウキしてしまいました。
素直に・・・嬉しい・・・
そんな中、毎年贈っている義母に私は贈りそびれてしまいました。
とても申し訳ないキモチ。
日にちがずれると感激も半減するのですが、やはり今年もこれをやらないとすっきりしませんね。
(今日は必ず届けよう)
そして想う事はやはり、3.11で星になったお母さんたちの事。
こうしてシアワセな気持ちと、星になったお母さんを持つご家族を想うつらい気持ちが交差して
言葉にならない悲しみがさらさらと心にふりそそいで来るのです。
母が亡くなった3年程私は花屋さんのショーウィンドーの片隅にひっそりと置かれてある白いカーネションを買い求めました。
そっとテーブルの上に飾り静かに在りし日の母の姿を思い浮かべる「母の日」でした。
時が経ち、母が星になって私たちをいつも見守ってくれている事を実感できるようになった頃から
カーネーションは白からピンクになり、11年経って真っ赤なカーネーションを仏前に飾る今頃です。
心の置き所が移り変わりながらも母の存在は永遠に私を包み込み続けます。
生前はそんなことにちっとも興味の無かったのに
「母さんのカーネーション、活き活きしてきれいだなあ」なんて言いながらこまめに水を取り替えている父。
これも「時」のなせる業なのですね。