3.11からはじまった、心の交流。
田野畑村ハックの家。
笑顔であふれるハックの家。
元気をいただいているのはこちらの方なのに、こんなプレゼントが届いて涙腺大解放!
どんなときでも相手を思いやる気持ちを忘れないハックの仲間たち。
そこから学ぶ事は沢山沢山ありすぎるくらいです。
さき織りが縫い込まれたマフラーは、寒中の岩手の空の下、私の身体も心もほかほかにあっためてくれます。
長く長くお付き合いをするためには、一方的なボランティアではなかなか続けるのは難しいと思います。
応援することで元気をいただく、(確かにwinwinではあるのだけれど)
それ以上に経済交流がなければ発展しないと私は思うのです。
だから、パンでも、さき織りでも、私は現在はビジネスと捉えて「仕入れ」「販売」をさせていただいております。
だからきっちり売上手数料もいただいておりますので、その手数料が続けるための原動力になっているのも事実です。
ハックの家は私たちの「支援」ではなく、私たちへ「チャンス」を提供してくださっているという認識です。
そしてなによりの宝はそんな私を「信頼」して関わってくださっているという事。
そして、こんなサプライズなプレゼントが手元に届くという感動。
2011年5月3日
はじめてハックのパンを手にして初めて盛岡大通での販売。
しかも、ハックの家の関係者とは一度も会うことなく、(ハックの家って何なのかもよくわからないまま(笑))
電話連絡だけでこの日を迎え、全国からやってきたボランティアの仲間と盛岡の仲間でとにかく売らなきゃって気持ちだけで一日を過ごしたものです。
避難場所として施設を提供しながら、沿岸の販売さきはすべて津波で壊滅して収入先が閉ざされてしまったというSOSの情報が入りました。
どこの誰だかしらないもの同士で、想いはひとつ。
「パンを売る」こと。
ブルーのジャンパーは震災によって延期になっていた選挙のために用意したスタッフジャンパーを候補者の方が惜しげもなく新品を貸出してくれました。
自分が出来る事はなんでもやろう、そんな気持ちがひとつになった日でもありました。
あれからもうすぐ3年を迎えようとしております。
日常は普通の暮らしになっているけれど、悲しみや無念さや辛さを抱えている人はまだまだ沢山いると思います。
未だに連なっている仮設住宅の様を眺めるにつけ、復興への道のりの遠さをひしひしと感じます。
内陸と沿岸が常にひとつの岩手になっていること。
これが今回私が学び、私が決めた生涯のテーマなのです。