田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

春の朝

2008-03-15 07:31:53 | Weblog
3月15日 土曜日 晴れ
春の朝 (随筆)
 わたしを目覚めさせたのは、春猫の異性に甘える鳴き声だったのだろうか。新聞配達のバイクの響きであったのか、さだかではないまま二階の書斎にあがる。
 季節は春の兆しをみせていた。みはるかす北、古賀志山の中腹に朝霞が麻布を川で晒すようにたなびいていた。曇ったようなどろっとした青空のもと、家々の屋根からは陽炎がもえたっているようであった。
 また鹿沼の里に春が巡ってきた。故郷に隠棲することにきめ、「物皆な幻化」といった無常迅速をしみじみと……体感しながら、自然の山野をともとして生活するようになって、はや二十年、全作家の創立から今日にいたる年と重なる。わたしにとっては、不惑から還暦へと変転した歳月でもある。
 全作家の七号に「人間もどき」を載せていただいたのが昭和五十六年の冬。散文芸術の三十四号に「故郷とても鬼の棲家」を発表したのが、同じく五六年の春であった。純文学としてはそれだけである。あとは、故郷で「現代」誌を再興し「下痢」を連載半ばで挫折、商業誌には幾多のペンネームでおはずかしい作品を書きつづけている。おおくの仲間がわたしを追い越し「賞」を取り、有名になっていった。あまり気にはならなかった。文学だけで生きていこうとはおもわなかったし、文学そのものに、大した価値もおいていなかった。田舎住まいが長引き過ぎたためだろう。
 書き急ぎ、はや鬼籍にはいった友もいる。文学だけに半生を賭け、無名のまま憤死したものもいる。観念として理解していた死や無常観を身をもって体得してきた。
 全作家でお世話になった先輩の何人かにも、お礼の一言も言えぬまま去られてしまった。おもえば、全作家があり、その存続がたいへんな励みとなってきた。
 田舎にあっては、あるいは都会であっても文学青年という言葉は死語にひとしい。
まして、文学中年、老残とも呼ばれる日々がすぐそこまできている。残念ではあるが、文学に命を賭ける、などということも、もはや、あまり聞かれない言葉となっている。
 神田の古本屋街がスポーツ運動具店に変わってしまう。
 早稲田でも、息子のマンションからぶらり高田馬場まで散策したところ、「テレビは本屋の敵だ」などと過激な文句が墨痕鮮やかに垂れ幕にかかれて下がっていたりした。馴染みであった古本屋が消えていたりした。そして、細々とつづけていても、ああ劇画の古本の山なのであった。
 活字文化はどこへいったのか。文学はわたしが、田舎でやれ方法論だ、ヌーボロマンだなどと、十年一日のごとく悩んでいる間に、どこにいってしまったのだろうか。売れればいい、そういった作家はいる。すごくおもしろい物語をかく作家はいる。それはそれで素晴らしいことだと思う。文学だ、芸術だとこだわる作家は大学の先生でもなければ、生活が成り立たないらしい。文士気質の作家の生息の地はもはやこの日本には無いのであろうか。この世でもっとも希少価値がある種族としての文士といわれるような物書きはもういないのかもしれない。などと考えながら馬場まで出て、モンテールでコーヒーを飲みながら、レフトアローンをきいた。出来過ぎた話しではないか。
 こうなってくると、全作家の存在が輝きだしてくる。
 詩人が詩では食えないように、純文学の作家が小説では食えない時代がきているのである。
 売れれば貴族。無名であれば乞食。といったような、芸術性など無視した、悲しい言葉をなんどもあびせられてきたことか。
 しかし、全作家のような形態で雑誌を発刊しつづけるということは、既存のいかなる商業ジャーナリズムに毒されるともなく、悠々と作品を書き発表したいとねがっている全国の物書きにとつては、なにか最後の砦のようにおもえてきた。まるで、文学の今日を予感したような雑誌になってきた。
 読書をする人がすくなくなっている。ますます先細りになっていく純文学。全作家のような組織と雑誌は力強いかぎりである。
 そして、文学にそれほどの価値を見出せないできたわたしが、半生の苦境を癒すにはやはり書くこと、「ああ、やはり文学だ」とおもうようになった。
 ときあたかも春、古賀志山にたなびく霞をみながら、死と再生についてかんがえることしきりである。
                 平成6年発行 全作家第三十五号より転載。