田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

大麻

2008-03-20 17:07:10 | Weblog
3月20日 木曜日
野州大麻 (随筆)
<大麻卸商>と名刺に堂々と刷りこんで、わたしは商売をしている。あいつぐ芸能界のマリファナ(大麻の葉)汚染がおきて、在京の作家仲間からたびたび取材の電話がかかってくる。新聞記者がインタビューにきてくれたりする。とくに昨年はいそがしかった。文教大学の社会研究室の学生さんが、鹿沼と大麻の歴史について調査に訪れたりした。まだまだ鹿沼と〈麻〉という関係はなりたっているのだなと感慨無量である。                                
 わたしが家業を継いだ昭和二十七年前後には、みわたすかぎりの大麻畑が東武日光線鹿沼近辺にあったが、いまでは鹿沼の西北部にいかなければみられない。
 わたしたち業者のいう大麻とは、大麻の葉ではなく、その茎からとる繊維のことなのである。合成繊維(ビニロン、ポリプロピレン)が三十年代にいたって大麻の需要分野を侵食した。業界は壊滅の危機に瀕した。その間のドラマをわたしは今書いている。大麻をその茎からとる繊維としてだけ考えていられたよき時代の物語である。
 書きつづけているうちに、わたしが人間の内面性とか一般サラリーマンの日常を描写するための語彙や文体は所有しているが、麻の栽培、生産、販売にいたる過程の言葉にはいかに無知であったか、思い知らされた。
例えば、「カカチコ」という言葉がある。もちろん辞書などには載っていないはずだ。<麻ひき>をするときにかぶら(根もと)の固い繊維の部分を、ヒキゴで何回もたんねんにひく。そのときの音からきている言葉ではないかと思うのだが、わからない。要するに<一さっぱ>の麻の根にあたる幅広い部分をいう。先にいくほど天然繊維であるから細くなっているのである。
 五歳になったばかりの学が独楽まわしに興味をもちだしていたことを、書斎にこもりっきりのわたしは知らなかった。西早稲田にある仕事場で雑文を書いて鹿沼にもどってきた夜のことである。父親の二日にわたる外泊がこたえたとみえ、都会の夜の余韻ののこっているわたしにしがみついてきた。
「こんどわせだにいくとき、学もつれてってネ……」
「ああいいよ」
「とうきょうでコマ紐かうんだ……。これじゃまわせないよ」
 みせられて驚いた。ビニロン製の三ッコ(片よりの三本あわせ)の三ミリほどのロープをぶつ切りにしただけである。切り口を熱処理してあるが、そのためにかえって固すぎて独楽の心棒にはなじまない。まきはじめると、すべってしまう。
 幼い息子は、東京にいけば何でも売っていると信じている。
「これじゃパパだってうまくまきつけられないな」
 学はわが家が代々麻商の家系を守りつづけているなどということは知らない。
 わたしは麻に口で霧を吹きかけた。よくもみこんでから、カカチコを足の親指にまきつけた。独楽紐をないだした。麻綱をない、芯縄をない……こうして子どもを育ててきたご先祖様を想った。そしてわたしの代で確実に終わりをつげるはずの麻商の歴史をふりかえってみた。
 父親のめずらしい仕事ぶりをみて、学は目を輝かせた。
 撚り合わせおわってから、先の細くなった部分をすこしなめて心棒にまきつけた。紐は木目にすいつくようにぴったりとしている。
 大地に独楽をたたきつけるように、釣り針の形に右腕を回す。独楽が紐をはなれる瞬間、ピシっという、なつかしい、むち音がした。野州大麻だけがもつ柔軟性のためになる音である。そしてさらに、ふさふさとしたカカチコの箇所で止まりそうになった独楽を回転方向にそってたたくと、いきおいをもりかえし、際限なく回りつづけるのであった。
 独楽紐を垂直にたらして一気にふる。冬の寒気を断ち切るような激しいむち音がする。
自然の繊維だけがあげる、なつかしい音だ。外灯をつけて、庭で独楽を回しつづける親子にさらに夜はふけていった。
                       昭和54年全作家4号より転載。