田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

わが庭の秋

2008-03-22 16:42:29 | Weblog
3月22日 土曜日
わが庭の秋 (随筆)
 裏庭の竹林が風に鳴っている。五坪ほどの庭である。竹林といってもだから、ていどがしれるというものだが、これがなかなかどうして風情がある。
 書きものをしていて、ふと顔をあげるとそこに竹が乱立している。そり間を覗いてみても見通しがきかない。緑の群葉が風にそよぐ。葉ずれの音がかすかにつたわってくる。静寂をさらに深めるような葉音だ。はてしなく広大な竹林のかんがある。
 実際に、広い場所であったら、孟宗竹でもうえたかった。春の筍を楽しみたい。食いっけがさきだっ無風流なことをおもっていた。狭い庭なので黒竹にした。
 黒竹というのが学術名かどうかはしらない。花鳥風月とは縁遠い、商人の生活に半生をささげてきたので、草木や鳥、魚の名にはとまどってしまう。
 小説を書いていて、それらの名詞に弱くて難儀する。はっきりいって、無知にひとしい。それにしても、春先、黒竹の細く小さな筍がおもわぬ地点にぽつんと現れるのをみるのは楽しいものだ。あれよあれよというまに、屋根の庇にまでとどいてしまう。
 夏のあいだは緑であったカンが、初冬のころになると、黒味を帯びてくる。黒というより濃紫色にかわる。その光沢がなんともいえず好ましい。
「カンが黒くなるのは、霜があたるからだんべ」そう教えてくれたのは、妻の小学校の同級生のTさんだった。讃岐うどんの店をやっている。文化財修復士という肩書もある。仁王門とか神社仏閣の塗り替えをもっぱらやっているという珍しい人だ。
 彼のうどん屋の店先にも黒竹の群生があった。
 わが庭の竹は四年ほどまえに、花市で買った。これほどはやく増殖するとはおもわなかった。 
 竹は地下茎で増える。どこにカンが成長するかわからない。びっしりとカンを起立させた黒竹は裏庭をおおい、見通しがきかなくなった。
 このすき間がなく、ほのぐらく……竹の葉とカンしか存在しないというところがいい。そのさきには、古びたトタン塀があることなどわからないのだ。さらに、塀のそとには生臭い人間の営みがある。朝風呂にはいってこの裏庭を眺めていれば、静寂な時だけがながれていく。
 残暑とはいえ、目にはさやかにみえない風が吹きだすと、深山の幽渓の温泉にひたっている感じがする。
 それに、この季節には、どうしたわけか、風呂場のガラス窓が湯気でくもらない。湯気があまりたたないからなのか。室温と外気温の差がほとんどないためなのか。化学音痴のぼくにはわからない。そのわからないことがいっぱいあるのが、この年になってみると楽しい。
 ぼけっとして狭い裏庭の風にそよぐ竹を観想していると浮世の憂さをわすれることができる。この空間に宗和形の灯篭を置きたいところだ。
 門をはいって、すぐに無花果の木がある。すぐ、と書かないとわが家を訪れたことのないひとは、裏庭があり前庭もあるのかとおもつてしまう。あることはあるのだが、これが俗にいうところの、うなぎの寝床という細長い庭だ。庭などといえるものではない。
 幅一間半、奥行き十二間だ。だから、無花果の枝などは門の屋根にかかり、塀からおおかたははみだしている。
 この秋、この無花果に異変がおきている。へんにしわがれた、ギっというような鳴き声とともにひわがやってきた。出入りの職人がひわだというのだから、ひわなのだろう。もっとも、おなが、だというひともいる。
 まだ成熟しない実をつつきにきているのだ。毎年とりきれなかったものが、収穫が皆無だ。妻は籠をもって庭をうろうろしている。
 鳥がよろこべばそれでいいじゃないか、と鷹揚にかまえてはみたものの秋の味覚をうしなったのはなんとも惜しい。幽寂閑雅としゃれこんでも食い意地だけはまだのこっている。酒をあまりのまなくなってからは、口がさらに卑しくなっている。
 野鳥のくるのが増えたのは、付近の山の木が切り倒されたからだ。坂田山の雑木林が切られ宅地が造成されたときも、一時期鳥が里までおりてきたものだった。
 これからは、二階のベランダから紅葉をたのしむこともできない。裸になった山は切り崩されやはり宅地になるのだろう。紅葉をみたかったら、庭に植えるほかはない。いままでのように借景を楽しむわけにはいかないのだ。鄙びた田舎町にも時代の波はいやおうなく押し寄せてくるものだ。
 あれほど渇望していた都会での生活。青春時代から、都会で仲間たちに囲まれ作家として生きることに憧れていた。夢は遠いものになってしまった。
 田舎暮らしにもだいぶなれてきた。自然をたのしむことも覚えた。それなのに自然が壊されていくのは悲しい。散歩にでれば自然があった。いたるところに、林があり樹木があった。紅葉もみられた。栗も道端におちていた。柿もおのずから色づき熟した。そういう風景が消えていく。
 ささやかな庭で自然を味わう。それでよしとしなければならないのだろうか。

               平成3年 全作家30号より転載。

千屈菜(みそはぎ)

2008-03-22 00:10:34 | Weblog
3月21日 金曜日
千屈菜(みそはぎ) (随筆)
 あいかわらず独り野歩きを楽しんでいる。独りとは、傍目にはそう映るだろうということである。心には、物書きとしての幻のようなわたしがいる。だから、同行二人というところか。
 故郷鹿沼の近郊、「黒川」の河畔や「押し原」の野をさまよい歩くわたしには、この物書きとしての意識がついて回る。
 季節は秋。
 野には草花が咲き乱れている。その仄かな花々のそよぎすら、もうひとりのわたしは言語化しようとしている。いつかこの情景を小説のなかで描出しようなどと、さもしいことをおもっている。
 この性癖のため苦労する。
 このため、風景の中に同化できない。自然にとけこめない。真に、遊歩を楽しめない。そんなわたしを救ってくれたのは風だった。
 幽玄の、趣のある秋の風だった。枝葉をふきぬけ、竹林をながれ、野の花をそよがせる風だった。野末をふく風にはことばにおきかえられることを拒む風情があった。
 風は風。目にはさやかにみえない。
 わたしにできることといったら皮膚で風をとらえ、感じるだけだ。それでいてこの風にはあらゆる芸術の感動に通底するものがある。だが、あくまで皮膚感覚に訴えかけてくる快さで、ことばにはできない。
 肌をかすめる風のもたらす快感に歩みは遅くなる。
 野に佇む。わたしは一歩もさきに足をふみだせないでいる。
 一面に千屈菜が咲いている。一心に眺めているうちに……わたしは周囲の風景のなかにとけこむ。わたしのからだは、野の草花の香りと共にたゆたゆと浮遊し、風にのってひろがる。女郎花の淡い黄色の波頭をゆれ動かす。
 野に佇み、不動の姿勢のわたしから離れて幻のわたしは糸遊のように野をながれていく。
 自然にとけこみ、歌うことができないのなら、言語化できないのなら、いっそ、風になったほうがいい。野の花々や、樹木の群葉や竹林をふきぬける風になりたい。わたしは風。ことばをすてて、風のような存在となって、生き続けたい。
 故郷の山河はそれほど美しい。堤から河原へおちこむ斜面に林立するくぬぎ、ならの繊枝の葉をゆらし、いま咲き乱れる千屈菜の群落にふたたびもどりつく。
 わたしは野に佇んだままでいる。
 花の形姿が萩に似ているところから、溝萩の文字をあてることもある。わたしは「行き行きて倒れ伏すとも萩の原」という、奥の細道は山中温泉で師芭蕉との別離の折、曽良が詠んだ句にでてくる萩を、この千屈菜とおもいこんでいた。
 紅紫色の穂になって開花する小さな花だ。旧盆のころ咲くので盆の花、あるいは精霊花ともよばれている。この花は、たしかに母が庭先から取ってきて仏前に供えていた。
千屈菜を手にした母がいま目前に、いやわたしとともに風に結びついている。
 小説家になろうという志なかばで、病死した友もいる。彼も風になっている。
 小説が書けないからと……自殺してしまった友もいる。彼も風になっている。
 みんなみんな、風にとけこみ、風となっていまここにいる。風と生きている。
 虚空を吹く風となって花々とたわむれている。見回せば、スモスも、シュウカイドウもしおらしく咲いている。河原や野に秋の七草が咲き誇っている。そういえば、さきほどの曽良の句の発案は「跡あらむたふれ臥とも花野原」であった。猿蓑の所収は「いづくにかたふれ臥共萩の原」で再案。このほうは手元に資料がない。どこか、記憶違いがあったらごめんなさい。
 跡あらむ、もいいな。いづくにか、という言霊のひびきもいい。花野原といった華麗な花の野が、現実のものとなる。幻の野ではない。いまここに在る。
 わたしはただ茫然と佇み続けていた。千屈菜の花の穂が初秋の風にゆれていた。そよ風が吹きすぎる。千屈花の群落をぬけて、わたしはさらに歩をすすめることにした。

                      平成9年 全作家40号より転載。