田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

パソコンの中のアダムとイブ

2008-03-31 22:03:43 | Weblog
3月31日 月曜日
パソコンの中のアダムとイブ (小説)

  神の手荒な爪先が追いすがる八十歳のイブ達よ、
  明日の朝あけ、君達は果たしてどこにいるのだろう?
               ボードレール『小さく萎れた老婆達』より
 
 陽光に一瞬目がくらんだ。
 盛夏。太陽がギラギラと街をあぶっている。
 コンクリートの舗道から熱気が反射する。その輻射熱でさらに蒸し暑い。
 村木正はぐっしょりと汗をかいていた。老いの身にはこの暑さは過酷だった。
バス停までの距離がみように遠く感じる。老齢のために体力がおちている。リックにつめこんであるワープロが過剰な負担を体に伝えてくる。体が弱っている。認めたくはないのに。……このていどの重量が過負荷となるようではやはり歳が足にきているのだ。
 寄る年の波がしだいに下腹部に打ち寄せ、容赦なく足に到達したということなのだろう。
この戦慄するべき老齢化の波が爪先からぬけていったら舗道に倒れ伏すことになるのだろうか。
 人生にはいろいろある。一過性だからほとんどのことが初体験。
なにが起こるかわかったものじゃない。
もっともそのスリルがたまらなく楽しいのだ。

 TWMUの付属病院放射線腫瘍科で下腹部に赤くマーキングした線が汗で流れおちてしまうかもしれない。放射線治療が効果があるかどうかということよりも、村木はせっかく技師がマークをいれた赤い線が、滴る汗で消えてしまったらどうしょうと不安にかられた。CTスキャンやエコーで膀胱や前立腺などの位置の見当をつけ、放射線をあてる箇所を特定する。それから腹部の中心から臍まで赤い印をつけた。臍のところへ上向きの矢印が描かれた。その矢印のある線が下腹部の剃毛したあたりに落ち込んだあたりから両サイドに赤い印がされていた。
 金曜日のジェソンにチェンソーで胴切りにされたような赤いマーキング。帰宅したときに、それをみて若い妻のキリコは複雑な表情をうかべた。
 鋭利な刃物できざまれたような赤い線が両の太股の外側にも伸びていた。これでモルグの台に仰向けになれば……死体と見紛うような、殺傷されたものと視認される。しかし、村木には背中に背負ったリックのワープロがもう備品切れで修理不能と宣告されたほうがショックだった。
 下校時だった。高校生がじゃれあいながら村木を追い越す。
 反対側の歩道沿いにスカイラークがある。女子学生がなだれこんでいく。
 暑い熱射を避けてアイスクリームをたべながら豊潤な青春のひとときを楽しむことだろう。アイスクリームと総称で呼ぶことはできる。それは幾種類にもえだわかれしている。個々の商品名を上げられない。ファミレスに入ったことはない。ハンバーガーなどたべたこともない。そんなことを告白したものなら、まるでカンブリア期からきた、あるいは異界からきた生物を見る視線がむけられることだろう。
 暑い。注意してストローハットをかぶってきたものの村木の顔には強い光が直射している。あまり強い白昼の陽光に頭がくらくらする。(ああ、むりして病気のからだなのに修理不能となったワープロなど受取りにこなければよかった。幾つになってもあさはかなことばかりしている)と、ひとりごちたところでどうしょうもない。
 バスがきた。バスがきた。走るにも走れない体をよろよろと進めてなんとかステップにもちあげることができた。
「待たせないでくださいよ」
 非情な運転手の声があびせられ、村木はうっと息がつまりそうになる。

                         to be continue