田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

下痢32  麻屋与志夫

2019-11-29 14:47:30 | 純文学
32

 ――あなたは自分を痛めつけるのがすきみたい。
 彼女がささやく。
 いたずらっぽく、男を透かして見る眼差しをしている。
 だれが追加したのだろう。
 ぼくらの卓にはトマトジュースがある。
 彼女のグラスでは赤い濃液は半分に減っている。
 いつのまに飲んだのだろうか。
 ぼんやりとしていると、彼女が訊いてきた。
 ――でも……どうして、グラスなんか割ったの?
 質問のおおい女だ。
 ぼくにもわからない。
 動機はわからない。
 理由も動機もわからないまま、ぼくはいつも苦役に満ちた世界に引きこまれてしまうのだ。
 直腸癌の父と糖尿の母の看病をするハメになっときだって、逃げようすればよかったのに。
 
 ――Kがうらやましかつたのだろうか。
 だが、ぼくは声を低めてこたえていた。
 売れっ子の作家になっている彼が羨ましかったのかもしれない。
 妬ましかったのか。
 そんなことはない。
 嫉妬は相手を自分の水準までひきおろす。
 ぼくはKの成功を……よろこんでいる。
 ぼくはただ惨めだった。



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下痢 31  麻屋与志夫

2019-11-29 09:39:48 | 純文学
31
 
 待っているはずのKと彼の妻がいない。
 
 卓には水滴が(グラスを割ったときにとびちったのだろう)光っている。
 グラスの破片をかたずけるときウエトレスがおそらく拭くのを忘れたのだろう。
 回転するミラーボールの光が水泡の上部にあたり、虹色に光っている。
 喫茶店なのになぜミラーボールがあるのか。
 むだな疑問。
 場末の安キャバーレーのような照明効果には別に反発はない。

 外は、あきらかに午前十時。
 先ほどまでの朝のラッシュが、渦巻きふくれあがてって流れる人の波が途絶えた。
 窓ガラスの枠の中で街が静まりかえっている。
 逆巻く海がふいに凪いだように、都会にも静謐の訪れる時間帯があるのだろう。
 
 血は止まらない。
 ぼってりと流れでるほどではない。
 赤い斑点が白い布に広がる。
 痛みは薄らいだ。
 血のシミ。
 汚れ。
 それらの赤い色調をみる。
 自分の置かれている場所が宙ぶらりんだ。
 
 存在そのものがすごく曖昧だ。
 
 不安になる。




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