田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

下痢24  麻屋与志夫

2019-11-22 06:10:29 | 純文学
24

 周りの調度品が薄闇のなかに浮かび上がった。
 ぼくは無理な姿勢で横になっていた。
 夢をみていたらしい。明かりが入ってくる窓の方向に顔を向ける。
 狭い空間なのに、あまりにも、調和のとれた調度品の配置は、ここが関西本線の始発駅天王寺の「都ホテル」の一室だからだ。
 ぼくは朝はやく目覚めてしまった。
 街には朝日が輝いていなかった。
 建物の壁面、屋根、道路や街路樹の色彩の判別がつかない。
 原稿を書き、それから長旅の疲れで寝込んでしまったらしい。
 鉛筆をにぎったまま……。
 骸のように足をのばしきった父の描写をしていた。
 反対に、ぼくは胎児のように丸くなって眠りこんでいた。
 夢をみていた。
 夢の内容をおもいおこそうとしても、夢をみていたということだけが記憶のひだに残滓となってとどまっているだけだった。
 腕が顎の下に触れていた。

 ぼくは自分の喉をしめようとしていたのだろうか?
 喉仏に触れていた。英語ではAdam's apple。
 いずれも、宗教に関係あるネーミング。おもしろい。

 喉をしめつけるような感覚だけがのこっているのは、言葉によってあの当時の時間をここに呼びもどしたためなのか。
 
 まばゆい朝の太陽が窓からさしこんでくる。
 通天閣の天辺に朝のはじめの光が照り映えている。
 ふいに背後で電話がなった。


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下痢23  麻屋与志夫

2019-11-21 07:37:34 | 純文学

23

 摩耗する神経。かさかさにサクレだった感情でぼくは父の顎のさらに下……そこだけみようにつきでた喉仏の動きを見つめていた。巨大な梅干しの上下運動。
 ……鼻をつきあげる異臭に身をゆだねていると、意識が混濁して、眼の隅にある羽目板に映っている影がゆらめきながら……仰向けに寝ている老人にまたがって首をしめている。
 影のなかにはめこまれたようなぎこちないぼくの両腕が梅干しの喉仏にあてられて、ゴマ塩のように白と黒のいり混じった顎ヒゲの下に……血だまりができるはずはなかった。
 息が詰まって苦しがるはずはなかった。
 細心の注意をはらって、現実のぼくは……ヒゲをそっていた。
 父は猜疑の眼でぼくを見上げていた。
 白い乳液を軽くたたきこむようにして、ヒゲそりあとにつけてやると、そのかすかな音としんどうによって、溝のような皺によってながれおちることをはばまれていた一滴の透きとおった涙が頬をつたって枕にしみた。
 すべてが死の様相を、死が間近に迫っていることを示していた。
 ひからびて、艶をうしなった皮膚。
 爪切りをあてただけで、くずれる爪。
 枯れ葉をもむようにすると、白骨色に粉末となってこぼれ落ちる爪。
 それを恥ずかしそうにみつめて動かない眸。
 薄明の天井を見上げて微動だにしない眸の奥の光の衰退。
 それなのに、涙だけがあくまでも透明に水晶のようにきらめき、黒いススの層におおわれた天井を見上げている眸からこぼれ落ちて枕にしみた。
 隣室で母がせきこむ声がおき、ぼくは陰気な影からぬけだすように、窒息するような息苦しさと沈黙をはらいのけどうかしたのかと、フスマ越しに、母に声をかける。
 返事はなかった。
 顎のあたりまで父の掛布団をひきあげる。
 胸骨だけが、もりあがっていた。
 腹部から脚にかけてすでに亡骸のように肉をつけていなかった。
 背をまっすぐにのばし、足をそろえて、やがて死すべき、棺の中の姿態もどきで、薄暗い部屋の底に横たわっていた。
 干物の魚のようにひからびてカサカサした皮膚。青い血管。血。動悸。胸で苦しそうに息をしていた。



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下痢22  麻屋与志夫

2019-11-20 08:51:43 | 純文学

22

 拒むことのできない手術から父は逃れようとしていた。青白い顔。くぼんだ眼窩の奥の鈍い虹彩。涙。血。涙。血のイメージ。
 くぼんだ皺じわのあつまり……肛門から一滴の血液がたれ便座に付着した。あの赤い一滴の血のしたたりがぼくの運命をおおきく変えてしまった。医師は直腸癌であると診断した。U市にある病院を紹介してくれた。

 父のヒゲをそってやったことがあった。石鹸の泡でびっしょりとヒゲをぬらした。それでもまだやわらかくならない。タオルで蒸した。熱い湯のなかからとりだしたばかりだった。白髪混じりのヒゲをシャリシャリとそった。ぼくは父が病に倒れたショックと看病の過労で、こちらが先に死ぬのではないかというところまで追いつめられていた。
 父は化粧品の匂いが嫌いだった。ヒゲソリあとに乳液をつけたことがなかった。すこし赤みをおびた肌に牛乳を軽くたたくようにしてつけていた。それがあの年の梅雨の季節には、乳液をつけてやっても、文句をいわなくなっていた。どうしちまったのだ。お父さん。文句をいってよ。牛乳でなければダメだ。とわめいてよ。おやじ。なとかいってよ。息をひきとる二月ほどまえのことだった。
 ほほがこけ、いくら指でつまんでも、きれいにソリあげてやろうとしても、皺のなかに埋没したヒゲはなかなか剃れるものではなかった。

 石鹸と乳液の匂いがよどんだ部屋の空気の中に漂っていた。うめき声をあげ……すっかり言葉を発声しなくなった父を眺めていた。東京にもどって小説を書きたい、文学の朋に会いたい、この街から家から脱出したいという意思は全て砂地すわれるように、乾いて白濁した彼の眸に消えていく。

 ここは仮象の世界。これらすべてはリアルではない。ぼくはここよりほかにいるのだ。そう思いこむことで現実から逃れようとしていた。
 横っ腹に穿たれたバラ色の人工肛門からジュクジュクとシミデル便の臭いや、苦悶にぬれた眼でぼくを見上げる父を見ていると、しかし、ぼくはどこへも逃げこむことはできないのを悟った。


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下痢21  麻屋与志夫

2019-11-19 08:23:27 | 純文学
21

 からだじゅう癌細胞に侵され、苦痛のうめき声をあげいる時いがいは、衰弱した父は嗜眠状態がながくつづくことがあった。そのときだけは喉からしぼりだすような苦しみの声をきかなくてすんだ。
 父の看病をしている長姉と妻とぼくは、おたがいの存在をたしかめあうように、声をひくめてはなしあう習慣だった。
 姉は街の西のはずれに嫁いでいた。
 毎日のように、自転車で通ってきて父の看病をしてくれた。
 眠っているのに、父は目尻をぴくぴくさせて、唇をこきざみに痙攣させよくウナサレテイタ。
 悪い夢をみていたのか。
 苦しかったのだろう。
 看病とは父の苦しみをながびかせることなのか――。涙が深い皺のくぼみを伝っていた。

 始まりは、一滴の血のしたたりだった。
 純白の便座に蘇芳色の血がぽつんとこびりついていた。
 その一滴の血がぼくらの生活をかえてはしまった。父の病気は末期癌。直腸を患っていた。それでなくても、母が十年も寝ていた。なんども糖尿昏睡におちいっていた。
 病の両親をかかえて、ぼくは過労のはてに、失語の檻の囚人となり、増殖するはずの言葉が、日々失われていのをどうしょうもなかった。




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下痢 第二章20 麻屋与志夫

2019-11-16 06:02:56 | 純文学

第二章

 この男 つまり私が語りはじめた彼は 若年にして
 父を殺した その秋 母親は美しく発狂した  田村隆一 腐刻画

20

 枯木色にひからびた腕を流れる動脈はなまなましくそこだけが生きているように青かった。ぎくしゃくと骨の動きもあらわな指を握り合わせようとするのだが、握力はなく、指先は手のひらにとどかず、小刻みにふるえている。
 駆血帯が腕にまかれた。
……だが肉がほとんどついていないため、黒色の管は、腕をくびるように皮膚にくいこみ骨にまきつけられたような状態になった。
 額とつきでた頬骨から顎にかけて、皺のよった艶のない和紙をはりつけたような蒼白の顔は、死期が迫っているとはあきらかだった。
 からだを起こすことも、困難なのに、火の床に転移され、灰になることに逆らっていた。ぼくを見返す眼差は濁っている。
すでに言葉はだせなくなっていた。
 医師は血管に針を刺した。
赤い血が注射液に滲んだ。
 血だけは、あくまでも鮮やかだった。


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下痢19  麻屋与志夫

2019-11-15 07:19:14 | 純文学
19

 父のイメージが消えた。
 ぼくの手から離れて祭壇にある骨壺は、いまはすっかり冷えたろうか。
 看病に明け暮れた。妻とぼくの全精力を傾けて介抱し続けた苦労。
 重くのしかかっていた父への呪いが消えていく。
 生活のなかで棘ある言葉でののしられたいやな記憶が消える。
 ぼくは泣いていた。
 周りの人に知られまいと懸命にこらえた。
 涙はとまらない。
 膝の円形の焦げ跡に涙がとめどもなくこぼれおちた。
 その涙は木魚の音に誘発されているようだった。

 ぼくはあいかわらずまだ、新大阪に向かう新幹線の車中にいた。
 ……いいえ、あのとき、あなたは、泣かなかったわ。
 ふいに隣の席に現れた彼女が激しい口調でとがめるように言った。
 ぼくは眠におちこむ。裂けた空から堕ち込むような失墜感があった。

 耳鳴りがするのは木魚の音を想いだしたからなのか。
 暗い体内にすいこまれるように列車がトンネルにはいったせいだろうか。
 あのとき、あなたは泣かなかったわ。
 どうしてそんなことが言えるのだろう。
 彼女こそあの現場にいなかったのに。それを言ってしまっては、おしまいなので、さしあたりはなにも知らないことにしておこう。
 あのとき、あなたは泣かなかったわ。まだくりかえしている。
 泣く。
 泣かない。
 ということが、この情念の世界を支配している呪文のキーワードなのだろうか。
 すごく肉感的なトンネルの胎内で、文学にはなにが必要か? 
 などと粋がった設問をし、それを解明しょうとつと努めなながら、こんどこそ……深い眠りにおちていくのが……わかった。


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下痢18  麻屋与志夫

2019-11-14 09:48:02 | 純文学

18

 葬儀車は雲龍時に向かっていた。
 ぼくはすでに外の景色はみていなかった。
 
 通夜のため昨夜は一睡もしていなかった。
 美智子はどうしているだろう。お腹の大きい妻は焼き場にはこなかった。
 寝たきりの母には付添う身内が必要だった。
 すこしでも、妻が寝られればいいのだが。
 これからまた忌明けの食事の準備がある。過労で倒れなければいいのだが。心配だった。
 
 読経がはじまった。
 このときになって、ぼくはきゅうに汗がふきだした。
 汗は背広をぐっしょりとぬらしていた。
 喪服もなく。
 夏の背広もなく。
 冬の背広をきているじぶんがなんとなくやるせなかった。
 医療費の支払いさえなければ、裕福に暮らせるだけの収入はあった。
 それがいまは借金まみれだ。
 ぼくの背に親族の眼が集中していた。
 太ももがひりひりする。
 骨壺の底の形にズボンの布が焼けたように変色していた。
 骨壺が熱かったのだ。
 ……夢中で膝の上で骨壺をかかえていた。
 熱さに気づかなかった。
 手の平も火傷をしてあかくただれるようにふくらんでいた。



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下痢17  麻屋与志夫

2019-11-14 06:39:10 | 純文学
17

 死体焼却炉の鋳物の扉に、汚れた白い手袋の手が……鉗子状のそれでいてさきに鋭い鉤のついた道具を握り、きわめて機能的にのばされる。
 一瞬、真っ赤な炎がほどばしる。
 だがそれは錯覚で、炎の燃え盛る残音をきいただけだった。
 生きている間は、ねちょねちょした異臭をはなつものを排泄していたのに、きれいに灰になった父の骨が台の上にあった。
 父であったものは、なにもかも灰となっていた。
 つまみあげようとする箸のさきで、骨はくずれなかなか骨ツボに入れられなかった。
 骨ツボがいっぱいにならなかった。
 ――ながいことコバルト療法を受けていたからね。骨までぼろぼろになって。
 後ろのほうで声がした。
 骨ツボに密閉されるとこを拒むように、くだける骨をひろいながら、ぼくは手の甲を涙で濡らしていた。
 どうして涙がでるのだ。
 どうして涙が止まらないのだ。
 なぜかこの時から、父がはじめてぼくの中で生き始めた。
 父にたいする怨念がうすらいでいった。
 こころが浄化されていく。
 それは意識してそうなっていくという心のうごきではなかった。
 親の死を悼むというプリミィテイブな感情だった。
 それは出棺の時や、街を通過しているときのような悲哀ではなかった。




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下痢16  麻屋与志夫

2019-11-13 07:55:43 | 純文学
16

 街は明るすぎた。澄んだ光の底に、七夕の飾りがきらびやかに街に並んでいた。子どもづれの夫婦が幾組もゆっくりと十字路を横切っていく。
 霊柩車は裏がえされた女性の腹のようになまめかしい道を火葬場に向かって直行していた。御成橋を通過する。おもわずぼくは川面を見下ろした。水の青さが広がりすぎたぼくの悲しみをひきしめてくれた。それまで、ぼくは父の死を悲しんでいることに気づいていなかった。むしろ否定していた。だが悲しみは、ぼくの心によどんでいた。
 七夕の街は生きいきとしていた。華やいでいた。黒川の青い流れはいつもと同じだ。なんの変哲もない風景。
 真夏の太陽は輝いてた。色彩も、青竹、七夕の短冊のひらめき。竹の葉。車の疾走感。あらゆるものが、ぼくの悲しみとは別に存在している。日光の杉並木とよばれている例幣使街道のうっそうとした木陰にはいった。


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下痢15  麻屋与志夫

2019-11-12 00:01:19 | 純文学
15

 ぼくはふたたび石をにぎった。汚れた足のまま、棺の四隅に釘を打った。一家の総領として、霊魂が迷いでるのを封じるように――。石を打ちつける響は、いままで父がぼくにしてきた仕打ちへの復讐のようだった。これではいけない。そんなことを考えてはいけない。死者に鞭打つことになる。いままで不平ももらさず、父の面倒をみてきた。家族のだれにも口にだしては愚痴をこぼさず父の世話をしてきたのだ。
 死霊が棺から漂いでて、葬儀の席をさまよわないように、さらに強く念入りに釘を打ちつけた。
 ――もう、いいでしょう。と誰かが言った。
 あれはだれだったのだろう。
 ――もういいでしょう。ぼくを憐れむような、言葉は誰だったのか。ひとの気配がたしかに背後にあった。幻聴。幻覚。ぼくは確かに、背中に仏……? を、おんぶお化けのように、仏がへばりついているような……。でも幻聴はコダマとなっていつまでも耳元にのこっていた。
 その響きは、死せるものが許しを乞うような、感謝するようなかすかな囁き……すすり泣きのようでもあった。



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