-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

ユキツバキかなあ(その13) おしぇど山下の稲荷神社

2024-01-13 15:23:44 | 自然

 実家の椿を撮影して直ぐに、下畑沢おしぇど山の裾にある稲荷神社脇の椿を見に行きました。ここ場所については、いつも大戸K氏から重要な情報を提供していただいており、椿についても教えてもらいました。稲荷神社については、既に'16年に投稿していますが、一応、簡単に説明します。神社は石の祠で、明治37年(今から120年前)に建てられました。椿はその時に神木として植えられた古い歴史を持つものと推定しました。近年の園芸品種ではないだろうとの見立てです。下の写真は'16年4月の撮影です。

 

 令和5年4月23日、ここの椿も満開でした。私の実家の椿と同様に、この角度から見ると雪椿の雰囲気が満載です。

 

 ところが、雄しべの基部を見ると、わずかに融合しているのが分かります。雪椿とは断定できません。基本的に私の実家の椿と同じと思われます。園芸品種が広く出回る前は、椿と言えば畑沢地区のほぼすべてがこの椿だったのかもしれません。

 

 

 


ユキツバキかなあ(その12) 畑沢の実家

2024-01-12 16:05:46 | 自然

 尾花沢市畑沢の実家には、私の小さいころの思い出深い椿があります。元々は県道に接した庭にありました。道路の脇にあるので、冬季は空から落ちてくる雪だけでなく、除雪で脇に押し出された大量で思い雪にも上から押し付けられていました。それでもその椿は折れることなく地面に這いつくばるように元気でした。上に伸びないので、小さな子供には丁度良い遊び場所になっていました。

 ところが、昭和50年ごろに県道が拡幅・鋪装されるために、少し離れた場所に移され、さらに平成の初期に母屋が解体されるのに伴って再び別の場所に移されています。

 以上の説明でもお分かりのとおり、雪に強いという雪椿の特徴を持っていいます。

 令和5年4月23日 花は満開でした。

 

 下の写真を見ただけでは、花は雪椿そのものに見えます。

 雄しべを横から撮影しました。雄しべの根元部分が分離しているような融合しているような微妙です。しかし、インターネットで見た雪端椿(ユキバタツバキ)の雄しべとは明らかに異なります。雪端椿の雄しべの根元は、はっきり融合していますが、実家の椿の雄しべは完全に融合しているほどには見えません。そうとと言っても山形市大平地区での雪椿の雄しべとの違いも濃厚です。

 しかも、子供時代の記憶では、椿の小さな株をみたような気がします。つまり「実生」があったということです。雪椿は殆ど種子を作ることがないというのは常識です。つまり、雪椿は種子からの「実生」することは殆ど又は全く可能性がないことになります。実家の椿が雪椿である可能性が極めて乏しいことになります。

 

 花の確認と併せて葉柄の毛の存在も確認したいのですが、下の写真のように新しい春に展開する葉の芽は、鞘に包まれています。新葉の葉柄の確認は後日ということになりました。

 

 開花から約1月経った5月29日、新しい葉が開いていました。葉柄には毛が生えています。雪椿の遺伝子を受け継いでいる証拠です。

 

 たまたま写真を整理していたところ、まだ展開しない新葉も写っていました。よく見ると展開していない葉の裏面には毛らしきものが見えます。葉柄になる部分を区別できないのが残念ですが、「毛」の存在がどんな役割を果たすのか面白い研究テーマになりそうですが、どなたか取り上げてもらえませんか。


3年ぶりに雪のない12月

2023-12-10 16:56:54 | 自然

 今年は12月になっても、畑沢には雪がありません。少し前に10センチ以上積もったのですが、いつの間にか消えてしまいました。NHKのデータ連動で見ると、県内で雪が積もっているのは肘折温泉ぐらいです。2020年も雪が積もらなかったので、畑沢で面白いものを見ることができました。例えば箱根山椒魚(ハコネサンショウウオ)の仲間を初めて発見、サイハイランの群生地の発見、粉雪で石仏の拓本らしきことができることを発明などです。結構、楽しめました。

 今年はどうでしょう。令和5年12月8日(土)、山形を9時半ごろ出発して尾花沢市朧気から五十沢地区に入りました。そこから畑沢へ向かいました。いつものこの時期にはできないことです。雪がない限り、峠道を越えることができます。

 峠へ向かう山の景色は、杉以外は葉が落ちて色気のない寂しいものです。この日の朝は、夜中に放射冷却現象のために、沢に濃い霧が立ち込めたようです。「ようです」という推測の表現は、いつものように朝の出発が遅かったので、霧が立ち込めた様子を見ることができなかったからです。

 

 峠に近くなるにつれて、西の方に葉山が見え始めました。新比丘尼峠(私が勝手に命名)でゆっくり撮影しました。葉山の山頂部が雪に覆われています。

 

 上の写真では、葉山の斜面の様子が見え難いので、拡大してみました。実際、肉眼で見た感じはこの拡大した方の状態に近いです。葉山の山肌がはっきり分かります。雪がある部分だけは、厳冬期のような荒々しさがあります。

 

 峠に着いて雪を見ました。かすかに路肩に残っています。

 

 峠の脇に耕作放棄された畑の跡があります。一面が笹や灌木に覆われており、その中に昔は見なかった植物がありました。恐らく外来種かと思いますが、特定外来生物かどうかは分かりません。有名ではないので名前が分かりません。この植物は困ったことに地表を這う蔓が伸びて幹の棘が足に纏いつきます。手で払おうとすると棘がささります。腹立たしい植物です。繁殖力も旺盛で、各地に繁殖しています。これほどに厄介ですので、特定外来生物に指定されているのかもしれません。

 

 峠を抜けて畑沢側へ出ると、今度は北東の方にも遠くの山々が奇麗です。

 

 拡大しました。これは去年、登った荷鞍山(地理院は「二つ森」と言います。)です。この方角だと荷鞍(にぐら)には見えません。

 

 東の方は宝栄牧場です。山の頂が平らになっていて、そこが牧場になっているようです。これまで何度も眺めた風景のはずですが、知りませんでした。草原になっている所が雪で白くなったため、牧場であることが判別できました。牧場があのような標高が高い処にあるとは驚きです。風が強そうです。

 

 畑沢へ到着しました。県道への合流点に中畑沢の石仏たちが立っています。江戸時代から立っています。

 

 そして、「終点」だそうです。私は畑沢が「出発点」だと思っていましたが、五十沢がそのようです。これも知りませんでした。しかも、「民有林林道」の名前です。知らなかった。県が作るときは「スーパー農道」だったはずですが、いつの間にか、道路の管理が県から市に移り、道の名前まで変わっていました。

 

 畑沢の山の木々は、日を浴びて白く輝いていました。正直、不気味です。

 今回は畑沢の中をうろつく時間がなかったので、何も「発見」できませんでした。


雪が降る前に もう一度 眺めたい 

2023-11-25 11:08:11 | 自然

 薪割に畑沢へ行った令和5年11月22日、背炙り峠路は最高でした。朝から雲一つない青空です。しかし、残念ながら車に木材を積載するのに時間がかかって、峠への入口に着いた時は既に10時30分を過ぎていました。写真撮影を第一に考える真面目な人ならば、このような失態はないでしょう。私は、薪割もしたい、写真を撮りたいと少ない機会を欲張りに使おうとします。「二兎を追う者は一兎をも得ず」は豊富な経験から十分に分かっていたのですが、無職ながらも時間に余裕がありません。しょうがないです。そのような事情を持つ人は私だけではないようです。あの遅い時間帯なのに、2人が写真撮影に熱中していました。いるんですねー、私みたいなのが。

 先ずは、お決まりの撮影ポイント(中沢ビューポイント)からの写真です。この場所は中沢の棚田も撮影対象に考えての命名だったようですが、今では棚田のかなりの部分が耕作放棄地になりました。それでも、西側からの景色はそのまま素晴らしいものです。この時期は白く輝く朝日連峰が見ごろになります。左の一番高いのが大朝日岳、右側で白さが一段輝くのが以東岳です。手前には雲海が広がっていますが、もっと早い時間帯でしたら、さらに手前の方も雲海の中だったでしょう。つくづくも残念。

 

 ズームで朝日連峰を拡大しました。やはり、これももっと早ければ、すっきりと山の線が写っていたでしょう。でも、この程度の「ぼやっとさ」がかえってパソコンの背景用に丁度かとも思います。

 

 すこし峠の方へ上ってから、葉山を写しました。屏風を立てたような雰囲気です。山頂部だけが白いのも面白いものです。

 

 畑沢では、薪割の息抜きに写真撮影です。被写体として特に選べるものもないので、行き当たりばったり方式に写しました。遠くの山は最上町の禿岳です。少しだけ工夫したふりをして、ススキを前景にしました。少し暗かったからでしょうか、スマホでの写真は肌理が粗いようです。

 

 これも同じようなものですが、さらに一工夫して、月を入れてみました。私のカメラでは、これが最大の望遠です。

 

 薪割を終えて、背炙り峠からの夕焼け空を期待していましたが、雲一つない空は実に味気ないものです。しかも、完全に太陽が沈んでいました。朝も失敗なら、夕方も失敗でした。


ユキツバキかなあ(その11の補足) 繋沢観音堂跡地の藪椿

2023-10-09 17:03:17 | 自然

 いつものように投稿が遅くなりました。いつもの遅さは私の怠慢が原因でしたが、今回はパソコンの故障です。officeのwordが反乱を起こして、全く起動しなくなりました。慣れないリカバリーを何回もやりましたが、やればやるほど深い泥沼に入りました。専門家へお願いした結果、内蔵のハードディスクをSSDに交換し、ちゃんとしたリカバリーで購入時点よりも能力アップして戻ってきました。専門家でないと修理できないのが悔しいです。ITを勉強したいのですが、その参考書さえも見つけられません。

 さて、先の投稿では繋沢観音堂跡地において、銀杏の大木の脇にある椿だけを取り上げました。その椿がほぼ雪椿であると思われましたので、有頂天になって投稿しそれで調査すべて完了と錯覚していました。

 ところが、実はその敷地には別の椿もありました。それは、銀杏脇の椿よりもさらに参道の奥に入った観音堂記念碑の近くです。

 この写真は令和5年6月1日に撮影したもので、既に花の時期は終わって若葉(新葉)が見えます。

 新葉は雪椿系の特徴を一切、持たず、洋平は長く葉柄に毛は生えていません。藪椿(ヤブツバキ)そのものです。樹幹はすっくと立ち上がっており、雪椿のように地面に這いつくばることがありません。

 ところで、雪椿の新葉の葉柄には毛が生えていますが、これがどんな働きをしているのかが分かりません。研究者ならば、そのようなことまで解明すべきかと思います。私の拙い憶測では、低温から花芽を保護をするために油のような液体が花芽をすっぽり覆っていて、毛がその液体を安定させる働きがあるのではないかと考えてみました。葉が展開すれば、不要となって消失します。