9月23日に「9月20日に刈った稲を乾燥・籾摺りしたので、持っていけー」との連絡を畑沢の田んぼを耕作している姉夫婦から受けました。私は21、22日はリフォーム作業で疲労困憊していました。コンクリートの大きな塊をハンマーとタガネで叩き割るという肉体労働はかなりキツイものです。23日は畑沢行きに決めました。
村山市中沢(道玄)から峠へ登る入り口で、背中炙り峠一帯の楯跡が見えます。杉林となっている所は曲輪(くるわ)跡、そこから続く険しい尾根上には三つの堀切(ほりきり)跡があります。大平山がちょこんと真木山の方向で顔を出しています。
峠道に入ると、いつものように銀山温泉からの帰りと思われる高級車と出会いました。私の後ろには軽自動車がぴったりとついてきています。狭い道路、すれ違いできません。上りか下りのどちらかが幅広い所までバックしなければなりません。私は前後から挟まれていましたので、全く身動きできません。しかし、私の前後の車は動こうとしません。仕方なく、私は車を降りて、交通整理をすることにしました。先ず、私の後ろの車の後方に少し遠いのですが広い所が見えましたので、バックしてくださるようお願いしました。ところが、バックしてくれたのですが、左右に大きく触れて路肩から外れそうになります。急いで停止してもらい、今度は下りの自動車にバックをお願いしました。あろうことかこちらもバックが苦手のようで、やはり路肩を外しそうになります。そこで、大きな声で誘導しながらようやく幅が広い所へ出ましたので、無事にすれ違いできました。すれ違う際に、道を譲っていただいたお礼を述べて、さらに「銀山温泉からの帰りですか」と尋ねたところ、照れながら頷いておられました。下りの車が離れてから、私の後続車の方に「あの車はバックが苦手のようですね」と二つの意味を込めて話しかけますと、「んだな下手だな」とおっしゃいました。「ん?‥」と思いましたが、そんなものでしょう。
銀山温泉へ行かれる方にお願いします。背炙り峠を通られても結構ですが、その時はバック(後進)も復習しておきましょう。銀山温泉の方々は、ホームページで注意を喚起するだけでなく、もっとお客さんへ背炙り峠の実態と背炙り峠通行時のモラルを説明してください。
さて、畑沢へ入ると、たった三日間で様子が変わっていました。好天気が続いたので、稲刈りが最盛期を迎えようとしていました。田んぼはいよいよ黄金色に輝き、遠くに見える大平山はじっとその様子を見守っているようです。こちら方向の大平山は「寶澤山(ほうざやま)」と呼ばれています。大正時代の石碑にも書かれているとおり、この山は村の恵を生み出す「宝の山」です。寶澤のブナ林に蓄えられた水が田んぼを潤して、稲をすくすくと育てました。
畑沢で作られた米は特別に美味しいようです。これは我が郷土を依怙贔屓(えこひいき)しての言葉ではありません。 何年もの間、畑沢の米をもらって食べていたのですが、それがなくなって市販の米を食べたところ、畑沢産よりも格段に劣っていたのです。小さい時から畑沢の米は不味いものだと勘違いをしていました。私が小さくてまだスビタレと言われていたころ、農家で食べる米は普通の米ではありませんでした。秋に収穫された米のうち、できるだけ高く売れるように品質の良いもの全部を出荷して、品質が悪くて出荷できない米を家で食べていました。「べいせんの下」と呼んでいた米です。「べいせん」とは米選機という米を選別する篩(ふるい)の働きをする道具です。篩の目を潜って落ちてくるのは、砕けた米、実入りが悪かった米などです。
ところが、出荷していた米はしっかりした米でしたので、かなり上質だったはずです。それを知らないで育ちましたが、最近になって初めてそのことを知りました。畑沢の水は山から流れてきた新鮮な水で、その水には、山の木々が腐葉土なった地層を透過したミネラルがたっぷりに含まれています。しかも山間(やまあい)は昼夜の寒暖の差が大きいので夜間におけるエネルギー消費が少なく、美味しさが逃げないとのことです。このエネルギーの理論については、私は自信がありませんが、何となく理屈に合っているような気もします。
さて、この「美味しい畑沢米」は、世間に知られていません。もったいない話です。ブランド米という言葉が流行っています。全国各地で苦労して開発した米を盛んに宣伝しています。確かに品種改良して美味しさを追及することも大事なことですが、産地による美味しさの違いがあることも事実です。平野部に比べて、山間は温度と日照時間で劣りますが、地球温暖化が進行している昨今では涼しい場所のほうが適地と言えます。もちろん、山間の稲作は単位面積当たりの収穫量は、平野部と比べて劣っています。しかし、単位面積当たりの収穫量が少ないことが美味しい理由だと聞きました。収穫量が少ないと、稲に吸収されるミネラル分が濃くなるのだそうです。肥料を多めにして収穫量を増やしても、山から流れてくるミネラル分には限りがあるので、味が落ちてしまうそうです。現代の農業技術指導では教えないことです。長年、経験した者だけが知っている米の味です。もらってきた畑沢米は、初孫に食べさせます。
こんなに美味しい畑沢米をブランド化できないでしょうか。残念ながら畑沢に残っている人たちだけでは、この企画を立案・遂行できません。あんなに「地方創生」だの「ふるさと創生」と騒いでいるのですから、これしきのことはすぐできると思うのですが、リタイアして無位の私では無力で何もできません。せめて、正直に畑沢米の素晴らしさをブログに投稿するだけです。ブログを読んだ人は、こっそりと畑沢米を個人的に契約されて購入することをお勧めします。畑沢出身の人は、まだ畑沢に知り合いがおられるでしょうから、頼んでみてはいかがでしょう。
もらった米を自動車に積んで峠を下る帰り道、湧水が落ち葉で汚れているのを見つけました。今は誰も掃除してくれませんので、せめて私だけでもと通りかかったときは、必ず清掃しています。
素手で水を掻き出しているときに手に小さな石ころのような感触がありました。よく見るとカワニナです。カワニナは巻貝ですので、飛んでくることはできません。ずっと下の沢から長年かけてこの湧水まで辿り着いたようです。この湧水は飲用ですので、カワニナは相応しくないのですが、ここまで何世代もかかって登ってきたことに敬意を表して、また水中に戻してあげました。ところで、カワニナはゲンジボタルやヘイケボタルの幼虫が餌にします。