-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

久し振りに「背中炙り峠の楯跡」へ行ってきました(その1)

2024-12-31 21:49:38 | 古里

 令和6年6月28日に「むらやま道の駅」で、村山市と米沢市のお二人と待ち合わせしました。お二人が背中炙り峠の楯跡を見たいというので、私は喜び勇んで案内することにしました。何しろ、初めてこの楯跡を見たいと言って下さった方々です。私にとっては他人の意見を伺う絶好の機会でもあります。ただ、残念だったのは、私の都合が悪くてこの日しか取れなかったことです。木々の葉が青々と茂って見通しが悪くなり、暑さも半端なく上昇していました。

 道の駅から13号線を林崎まで北上し、そこから県道29号線へ入って、背炙り峠の切通しに至りました。この場所は何故か広い駐車スペースがあります。どう見ても、わざわざ駐車用にと幅広く整備されたのかと好意的に捉えてたくなります。ここから背炙り峠へ歩きますが、林業等の作業道路は藪になっています。私が楯跡の調査を始めた10年前は、常に刈り払われていて、自動車で奥の方まで入ることが出来ましたが、林業や農業を担う人がいなくなってからは直ぐに藪に覆われてしまいました。

 

 楯跡の主要部は下図のとおりです。拙書「畑沢を再発見」に載せた図面とは少し異なっています。堀切Cと堀切Dに土橋(どばし)的な表現にしました。堀切は工事途中なので渡れるように中央部に土が残されていたのです。

 また切岸Bは堀切と表記していましたが、切岸工事の途中だったと見方を変えました。

 

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春の水辺と春の花

2021-04-29 10:38:04 | 古里

 令和3年4月21日(水)、久しぶりに畑沢の某沢へ出かけました。平成26年から畑沢の取材を続けたために、かつて頻繁に出かけた場所が疎遠になっていました。それまでは、春先にその沢に落ちてきた枯れ枝や落ち葉を片付けていたのに、全くやらない状態が続いたので、沢が荒れてしまいました。沢が荒れたのは、そのことだけではないのですが、もしも小まめに手入れしていれば、少しはましな状態を保っていたでしょう。そんな自責の念を抱きながら作業を始めたのですが、根っからの「道草精神」が働き始めます。懐かしい綺麗な水、可憐な花が誘惑しました。

 崖の途中で、砂岩の割れ目から水が湧いています。何段にも流れ落ちる様は、いつ見ても見とれてしまいます。幼友達の顔が浮かんできます。小学校低学年の「良い子」たちが集まって、様々な沢の奥へと出かけ、それぞれの湧き水の味を堪能しました。何とも贅沢な遊びです。

 

 最初に水辺で花が咲くのは、ショウジョウバカマ(猩々袴)で、少し遅れてキクザキイチゲ(菊咲一華)が咲きます。色はかなり個性的で、全く白い場合もありますが、これは濃い目の紫です。

 

 これは草本類ではなくて潅木ですが、水辺には欠かせないものです。アブラチャンと呼ばれ、畑沢ではオオバクロモジ(大葉黒文字)とともに、クスノキ(楠)科に属しています。私はこの枝でカンジキを作ってきました。木で花が咲くのは早い方です。

 

 次はだれもが知っているミズバショウ(水芭蕉)です。元々、畑沢にも自生していたのですが、園芸業者などが乱獲(かつ盗掘でもあります。)して、はやい時代に絶滅しています。写真の水芭蕉は、知人が実生した小さな株を兄が植え付けました。やはり水芭蕉の適地だったようで、元気に成長しています。

 

 次の写真に水辺は写っていませんが、水辺です。説明しないと分かりません。拙い腕です。縦に長く伸びているのは、杉の倒木です。沢の斜面の杉が雪でへし折られました。これらを片付けるが私の仕事でした。その脇で三つ葉葵のような葉を拡げているのは、エンレイソウです。「延齢草」と書くのだそうですが、ネットで調べないと分かりませんでした。文字を見た限りでは、長命になりそうです。形もこの世のものとも思えない「有難さ」がありそうです。観葉植物にもなりそうです。でも肝心の花は、真ん中に小さく咲いているだけです。染色体の研究で多用された時代があったような気もしますが、記憶が曖昧です。

 

 次の写真にも「水辺」が写っていません。正直に言いますと、水辺からは10mは離れています。写真の右上に見える木の辺りに千鳥川があります。群生して見事だったので、仲間入りしました。これも菊咲一華です。この写真にはトリックがあります。人が隠されています。ソフト「ペイント」で画像処理しました。一つだけヒントがありますので探して下さい。

 

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「おさいど」に今年も行ってきました。

2016-02-24 21:31:19 | 古里

 かなりの空白期間がありました。前回の投稿から半月以上が経ってしまいました。久しぶりのなので、パソコンのキーボードを叩くのもぎごちない状態です。

 さて、今年の上畑沢のおさいども2月24日に行われました。

 山形から畑沢へ入ると、いきなり大型トラックが下ってきました。荷台には杉の大木が山積みされています。沼沢林道の奥から運ばれてきたもののようです。積雪が大量にある中での運搬は、珍しいものです。


 畑沢生涯学習推進センターです。屋根に積もった雪は、滑り降ちています。昔は滑り落ちないように雪止めが設置されていましたので、雪下ろしが大変だったのですが、今は楽になったものです。ところで、3月13日(日)の10時から、ここで私が畑沢について調べた調査内容を畑沢の人たちにお話をすることになりました。私が半年ぐらい前からお願いしていました。私が調べたものは、凡そ三年間でかなりの量になりましたので、1時間程度の中で何をお話すればよいか、懸命に考えているところです。そして、その後に畑沢の人たちからもっと膨大なお話を伺うことができそうです。このブログを御覧になっている方も、御興味をお持ちでしたら畑沢区長に御相談ください。

 おさいど会場の途中で、入り口に湧水を流しているお宅がありました。融雪のためです。きれいに雪がなくなっています。

 おさいどの準備は午後1時過ぎから始まりました。今年は人数が減っています。毎年、減ってきています。寂しい限りです。昨年は快晴でしたが、今年は寒い雪空です。

 午後5時半になると、おさいどに火がつけられました。まだみんなが集まる前です。火を点ける人はせっかちです。と言うよりも寒がりな様です。火で暖まりたいだけかもしれません。

 次第に人が集まりました。それでも全員ではありません。地蔵堂の中に座って、外に出てこない人もいます。

 

 

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沼沢の「沼」を探してみました。(2 伝説の復習)

2015-12-20 18:10:03 | 古里

 今回は沼沢の「沼」を調べるきっかけになった伝説について復習いたします。二年ほど前に沼沢の伝説を投稿したことがあります。尾花沢高校郷土研究部が昭和41年に発行した「尾花沢の伝説」に収録されているものです。投稿してから大分、月日が経ちましたので、あらためてその部分を掲載します。

121 大ツブ(大たにし)―(以下は原文のままです。)

沼沢地内に沼がある。その沼に昔、大きな俵のようなツブが住んでいて、そばで昼寝などしていると、その大ツブに呑みこまれてしまうほどであったそうである。

 

 短い伝説ですが、私に『沼沢に「沼」があるのではないか』と思わせた大変に重要な伝説です。畑沢で一度も沼を見たことがなかったのですが、伝説が残っているのだからどこかにきっとあるはずだと思い始めました。私は小学生時代に「沼沢方面の池」に関する経験がありました。一つは「中畑沢のある人が沼沢に池を持っていて、そこで魚を飼っている」ということを聞いたことであり、もう一つは荒町から峠の方へ行って、沢山の鮒を捕まえてきたのを目撃したことです。そのため、私の知らない沼沢の方に池があるものと思い込んでいました。そこで、この伝説に巡り合ったときには、今まで想像していた「池」と伝説の「沼」が完全に一緒になってしまいました。

 背中炙り峠(古道)を調べているうちに、二年前、古道に近い山中にうっそうした樹木に囲まれた池(沼)が見つかりました。

 

しかし、その場所は沼沢地内ではなくて、西の入沢の奥にありました。沢が異なりますので、沼沢の「沼」ではないのですが、私が勝手に「昔は西の入沢も沼沢の一部と考えられていたのではないか」などと私流の拡大解釈をしてしまいました。ところが、畑沢の先輩たちに聞いたところ、あの池(沼)は、昭和40、50年ごろに水田開発と一緒に作られたものであることを教えてもらいました。また、昔、小学生が峠の方で捕まえた鮒は、村山市内の「高来沢堤」からでした。さらに、中畑沢の人の池は、池ではなくて田んぼだったようです。これで完全に沼沢に「沼」が残っている可能性が否定されてしまいました。

 それでも伝説が残っているわけですから、その当時に沼があった可能性は残っています。伝説にある「大つぶ(大たにし)」と見間違えるような大きな石もあります。伝説は、けっして根も葉もないことではありません。

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沼沢の「沼」を探してみました。

2015-12-17 19:58:57 | 古里

 昔から伝わっている畑沢の地名には、その名たる所以(ゆえん)があります。例えば、「南の沢」「北の沢」「西の沢」「東の沢」「向かい」は、荒屋敷(あらやしき あらすぎ)から見た時の方角に因んだものです。また、最近、取り上げてきた「一の切り」「二の切り」「三の切り」「小三郎」「平三郎」「又五郎」は約四百年前の楯に因んだものです。外にも興味深い地名があります。「田南坊沢」「吉六沢」「カバヤマ」「カイホウ」「郷士田」とか言った珍しい地名です。しかし、逆に地名としては全国どこにでもある一般的なものでも、興味ある地名があります。それは、「沼沢」です。そもそも「畑沢」全体が名前のとおりの「沢」ですが、さらにその中に大小の「沢」があります。そのうちの大なる「沢」が「沼沢」です。これまで畑沢の先輩方から沼沢の由来を聞いてみたのですが、何方も御存じの方はおられませんでした。しかし、「沼」に関する伝説は残されていますので、「沼沢」と言われる何かがあるはずです。そこで三年間考え続けてきましたところ、ようやく謎が分かり始めました。これから何回かにわたって、「沼沢」について考え、かつ調べた内容を御紹介します。実はかなり苦労しました。説明も上手くありませんが、しばらくお付き合いください。

 

 取敢えず沼沢の写真をと思ったのですが、沼沢をまともに撮ったものがありませんでした。少しだけ写っているので御容赦ください。この奥が沼沢です。

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