今から何十年か前、畑沢から常盤小学校や中学校へ登校するときに、印象的な三つの山が見えました。特に見たい訳ではないのですが毎日のように目に入りました。畑沢に生まれ育ちましたので、山は飽き飽きするほどに見ています。山の中に生まれたとまでは言いませんが、山と共に成長したことは事実です。当然、憧れるのは広い平野部と海でした。とても山へ憧れるなどは考えられませんでしたが、不思議にもこの三つの山だけには登ってみたいと思い続けました。
学校へ出かけようと自宅を一歩外に出ると、直ぐに北の空高くに見えたのが下の写真の山です。学校はこの方向にあります。その意味では気が重くなるようなところもありました。そのころ私は宿題をまともに提出したことがありません。宿題があった翌日は特に足が重くなりました。その悪癖は高校まで続きました。ただし、私が入った高校はあまり宿題にうるさくなかったので、例えば夏休みが終わっても、そのまま元気に登校することができました。素晴らしい高校でした。口の悪い人は、その学校を「放牧場」とか「放し飼い」と言いますが、私は「仏のような学校」と思っています。わき道にそれましたので戻ります。小・中学校へは宿題をしなくても、行かなければなりません。この山へ向かって重い足取りで北へ向かいました。
ところで「この山」の名前を誰も知りませんでしたし、私も知ったのは極、最近です。国土地理院の地形図では全く見当さえつきません。そこで考えたのがGoogleEarthを駆使することでした。空中写真を3D(立体)にして、畑沢の地点からマウスで北上すると、見慣れた山の姿が現れたのです。ぴったりと同じでした。「禿岳(かむろだけ)」です。標高1,261mで、最上町の東端にあり宮城県との県境に位置しています。
【2017年3月に撮影】
畑沢地区を過ぎて松母の墓地に近づくにつれて、左側に急峻な岸壁を伴った山が現れます。通称、ナデツギヤマで、「雪崩が起きる山」の意味です。これは一般名詞と思われ、別に正式な名前があるはずです。ここには昭和49年4月に登りました。若かった頃ですから瞬く間に登ったような気がします。正直、記憶にないぐらいに楽だったのでしょう。この急峻な崖を直登したのではなくて、写真左の方になだらか斜面がありますので、そちらを登ったはずです。
【'2015年5月撮影】
荒町の集落を過ぎて前田川を渡ると、右手奥に綺麗な形の山を見ることができます。ここまで来ると、やがて九日町に入り学校へは何百メートルの程度なので、着いたも同然の気持ちになります。この山の名前も知りませんでしたが、三年前に細野地区でこの山に登るイベントがありました。チラシには御堂森と書いてあり、細野地区では「オドモリ」と発音していました。お陰で二年続けて登ることができました。一見、里山程度かとも思ったのですが、ブナの大木や高山植物が見られて、味わい深い山でした。山頂には石仏が鎮座しています。その様子は、畑沢通信の畑沢の隣「細野」の御堂森に二度目の登山でした。を御覧ください。
【2014年3月撮影】
結局、三つの山のうちで、まだ登った事がないのは、学校へ行くときに最初に見えた足を重くさせるあの山だけです。そう禿岳です。この山には是非とも今年中に登りたいと思い、春から機会を待っていました。ところが能天気な爺さんに見えながらも忙しい日が続きました。やっと一息つける状態になったのは、11月でした。山への登り口へ向かう「主要地方道最上鬼首線」が11月15日の正午に閉鎖されるので、天気予報を見ながら登山できる日を11月13日と定めて、じっとその日を待ちました。当日、快晴。朝7時前に山形から一直線に13号線を尾花沢へ向かい、そこから東へハンドルを切って赤倉へ抜けました。珍しくもカーナビの指示のとおりに進み、峠へ向かう最上町黒沢地区の端で、禿岳が見えてきました。見る方角とは少し異なりますが、まさしく畑沢で見えるあの山です。しかも雲一つない青空が広がっています。ここから峠までの道中には様々な光景がありましたが、あいにくと運転が精一杯の状況で、撮影なんてものは、とてもとてもできませんでした。何処かの方の素晴らしいブログを御覧ください。「山形の山や自然を写真で紹介」https://blogs.yahoo.co.jp/kasiwagurajn7vtv/26640101.htmlです。
急峻な斜面を右に左に曲がりながら上へ向かいました。道路の片側は深くて急な崖です。一応、木々が生えていますが、ハンドル操作を間違えば、「奈落の底」へ落ちます。この道から見れば、背炙り峠なぞは天国です。その様子は「新・県民ケンちゃんのブログ 黒沢から花立峠への道筋風景」のブログを紹介します。
怖い思いをしながらも、順調に花立峠に着きました。向こう側は宮城県です。そして写真中央の最上部の山は、遠く秋田県・宮城県・岩手県に跨(またが)っている栗駒山で、こちらの峠から直線距離で約25㎞です。
さて、峠の下に見える宮城県側には、何やら異様な光景が広がっています。右側の山並みがきれいな円弧を描いていて、左の山並みとともに平地を囲んだ形になっていました。もしやカルデラではないかと思いました。その当てずっぽうな推測が的中しました。自宅へ帰ってから調べたら、「鬼首カルデラ」だそうです。この写真に写っているだけでもかなり大きいカルデラですが、これは全体が見えているわけではなくて、半分だけなのだそうです。左側の山並みはカルデラの中央から再び噴火して成長した中央火口丘と言うものだそうです。一つ勉強になりました。ところで、右側の山の斜面には鬼首スキー場があります。初めて知る事ばかりです。畑沢からでは、そんなことを知る由もありません。
峠から少し登って山形県側を見ると、最上町の向町地区を一望することができました。こちらは山形県人なら「向町カルデラ」と知っている人が多くいます。私でさえ知っていましたし、写真を御覧いただくと直ぐに御納得いただけると思います。
写真の左寄りの中央付近に見える少し白い頂上の山は、我らが月山です。冠雪しています。その左には葉山が写っています。
肝心な畑沢は見えるでしょうか。ところが、あいにくと遠すぎて、小さく見える山々がなんであるかが分かりません。ましてや畑沢の細い「沢」を見つけるのは不可能です。そこで、自宅へ帰ってから、いつものGoogleEarthの3Dの世話になりました。花立峠の方向から畑沢の方向へマウスを動かしました。見つけることができました。確認した内容を下の写真に文字で表しました。大平山は甑岳のシルエットに取り込まれていて写真では確認できません。でも理屈上は畑沢から禿岳が見えることが立証できたような気がします。
禿岳へ登る途中で宮城県側の斜面を写しました。背の高い樹木がなく笹や草などで覆われています。多雪地帯の高い山が南北に尾根を広げていると、西からの季節風により尾根の東側は吹き溜まりとなって大量の雪が積もり、樹木が成長できず、一面が草原のような状態になります。これは神室山系でも見たことがあります。偏東積雪と言うのだそうです。実にはっきりと尾根を境にして植生が区別されます。畑沢の大平山程度では 偏東積雪はありませんでした。背中炙り峠でもありませんでした。
山頂では全方位を眺められました。これまで何十年も山へ登りましたが、これ程の好天に恵まれたことはありません。最近の私の善行を神仏は御存知だったようです。先ずは畑沢方向です。
鳥海山も見えました。「出羽富士」と言われるのが分かります。富士山そのものの姿です。鳥海山の特徴は山腹から山麓部分ですが、神室山系の小又山と天狗森がそれを隠しています。
山頂そのものを撮影することを忘れていました。立派な石柱がありました。どなたかの立派なブログに出ていましたので、それを御覧ください。
「山形の山や自然を写真で紹介」です。