令和2年2月8日、NHKテレビの連動データによると、尾花沢市でも25cmほどの積雪があるとのことでした。1月中はずっと積雪ゼロのままだったのですが、2月に入ってからようやく普通の冬型の気候になり、本格的な寒さが訪れました。山形市内でも若干の積雪があり、申し訳程度の雪かけを一度だけしました。
尾花沢から県道を古殿と車段に入り、途中から市道にに入って荒町へのショートカットしようとしていると、昔の私の心のように真っ白な雪の上に特徴的な山の姿が浮かび上がりました。いつも眺めているので珍しいものではありませんが、この日は何故か印象的でした。写真の右方向が北ですので、反対の左が畑沢方向です。この山、北から南方向へなだらかに高度を上げ、途中からストンと急に落ち込んでいます。尾花沢市史の上巻にこの山についての記述があります。ケスタ地形といって、硬軟の互層がゆるい傾斜になると、硬い地層が侵食されにくく柔らかい地層の侵食が進むために、段々とした地形になるとの説明がありました。しかし、この地形、一段だけですから段々ではなくて「段」ぐらいです。ケスタとはフランス語で「斜面」の意味だそうで、日本人の使用に適する専門用語ではありません。「ケスタ」では分かりにくいこと限りなしです。カタカナ語をありがたがる方もおいででしょうが、常人と異なる私には承服できません。明治時代に日本の学者が欧州から学問を取り入れる際に、適切な日本語に置き換えるべきものでした。少なくても私のためには、専門用語であればあるほど分かりやすい言葉にすべきものです。例えば「硬軟互層斜行地形」とかです。失礼しました。かえって分かりにくくなりそうなので、取り下げます。
それにしても面白い山です。積雪が増えると、ひと冬の間に何度も急斜面から雪崩が起こります。私たち畑沢の人たちは、荒町のナデツギ山(雪崩付山)と呼んでいました。これだけの山ですから、荒町の人たちが呼んでいる名前があるはずですが、人生の半ばを過ぎた今でも聞いたことがありません。
荒町の集落に入ると、雪かきをしている人に会いました。私が存じ上げている方ではないのですが、ここまで来れば、どなたでも私の小中学校の先輩です。これまでも、聞くことになんの躊躇も感じたことがありません。やはり先輩です。教えてくださいました。
「名前だかなんだか知らないが、荒町では向山(むかいやま)と言っている」
一般名詞のようで名前らしさに乏しい雰囲気がありますが、シンプルさは私に合っています。きっとこの名前でいいのでしょう。さらに言葉が続きました。
「あの山の右の方には、ケッツ岩と言うのがある」
ケッツとは「お尻」のことです。お尻を出している形の岩でしょうか。しばしばビッキ岩とかカブト岩とかがありますが、さすがにケッツ岩というのは聞いたことがありません。
さらに説明が続きました。
「でも、今はケッツの形ではなくなった。その岩を切り出して、あるお屋敷の塀の土台になった」
そこで、そのお屋敷に逆戻りしてみました。ありました。かなり大きな土台石です。しかも、かなり大規模に使われていました。なるほど、これだけの石材を切り出したら、岩の形が大きく変わるはずです。その岩とは、下の写真で丸で囲んだ所です。あまりにも遠いので、小さくて見えません。
それを望遠にして拡大したのが、下の写真です。ケッツ岩は写真の中央付近で、尾根に近い所の岩ではありません。それでも、どちらも大きい岩で、石切り場でよく見かける断面が現れています。「ケッツ」らしき姿はなくなっています。元々は素晴らしきケッツだったでしょうに。この一帯の岩はどれも硬そうですが、一般に石材にされる凝灰岩ではない様です。地質図を見ると砂岩であろうと思われます。雪が消えたころに、ここの石材を使っているお宅の了解を得てから、塀の土台石を撮影しようと思います。そして砂岩だとすれば、その何処かに貝の化石などが入っている可能性がありますので、何百万年か前の世界を想像することができます。
さて、肝心の畑沢に入り、一気に上畑沢まで登りました。上畑沢の延命地蔵堂周辺には、江戸時代からの石仏が沢山、立っています。下の写真は六面幢(六地蔵)です。上畑沢の墓地の前で、村人の安寧と背中炙り峠を通る旅人の安全を願う気持ちがこもっています。私は無宗教主義者ですが、それでも人々の気持ちの拠り所になったものを大事したいと思っています。強いて言えば、人間主義者でしょうか。
下の写真は清水畑から上畑沢を撮りました。戦国時代、上畑沢の集落では、左側の山の中腹を楯にしました。所謂、藤木久志氏から始まった「村の城」です。小さな楯ですが、曲輪の周囲は急峻な崖で守られています。さすがに山頂まで逃げるには大変なようで、山頂には何の跡も見つけることができませんでした。西暦1600年、慶長出羽合戦では上杉軍が庄内からも侵攻し、空になっている野辺沢城まで到達していましたので、いくらかの上杉軍がここを通って峠を越えたかもしれません。その時に村人に乱暴狼藉を働いた可能性を否定できませんので、想像するだけで恐ろしいし怒りがこみ上げます。
雪で峠への道は閉ざされています。除雪された県道の最終地点で、畑沢の最高峰である大平山にカメラを向けました。残念、大平山は頭にマスクをしています。マスクは口と鼻にかけるのに、危ない人(私)が来たので慌てたようです。でもお陰で、立石山が凛々(りり)しく見えます。写真中央から下に伸びている川は、千鳥川です。この日、川から温泉地のような湯花の匂(にお)いが立ち上っていました。昔、豊富な硫黄泉を利用した沸かし湯があり、旅人に提供されたとのことです。それほどに多量の冷泉が湧き出ています。