-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

ユキツバキかなあ(その15③)畑沢地蔵庵から熊野神社参道沿い

2024-12-26 19:29:11 | 自然

 5か月ぶりの投稿です。怠癖がついています。今回は、「ユキツバキかなあ」シリーズの最終版です。でも、「閉店大セール」が同じ店で何回もありますので、「最終版」も何回もあるかもしれません。何しろ私のことですから。私の良いところは間違いを素直に認めて訂正することです。

 さて、今回の投稿記事の内容は、昨年(令和5年)の5月に調査したものです。熊野神社周辺に群落状の椿が生育している一帯のうち、西斜面の畑沢地蔵庵から熊野神社の登り口までと、その登り口から神社までの参道(尾根部分)沿いです。

 先ずは畑沢地蔵堂から神社への登り口までの椿です。

 下の写真の椿は。かなり雪椿に近い姿です。花びらが横に開いているのが分かります。でも、右側の花の花びらは、ラッパ状(花の基部が筒状)になっていて「広がり」がありません。同一株でも花びらの広がり方にはばらつきがあります。

雄しべの基部が隣同士でくっ付いています。雪椿よりは藪椿に近くなっています。私は「くっ付いて」としましたが、植物学の専門的な言い方では「合着(がっちゃく)」となるようです。しかし、しっくりしないので、「くっ付いて」と表現します。

 雄しべの軸(花糸 かし)が「もじゃもじゃ」していて、雪椿らしい感じです。藪椿の雄しべの軸はまっすぐ整然としています。これだけを見ていると、完全に雪椿と判断してしまいます。

 

 熊野神社は尾根を平らげた場所に建てられていて、その北北西へ約30m下った所に畑沢地蔵庵があります。そこを出発点にして、県道からの登り口へ向かいます。今までと特に違わない花ですが、幾分、花びらが横へ広がっているように見えます。雄しべの軸(花糸)は基部で隣同士でくっ付き気味ですが、藪椿とは明らかに異なります。

 

 葉脈は明るく浮き出ています。雪椿の特徴の性質です。葉脈のこの性質はどの椿にも共通していましたので、外は省略します。

 

 少し若い花です。花びらが完全に開いていません。この段階だと雄しべの軸も直線的です。花びらが横へ開くときになってから、雄しべの軸も曲がるのかもしれません。

 

 途中で如意輪観音を参拝して休憩です。

観音様は右頬に手を当てながら呆れ顔で一言。

「また、椿を見に来たのか。物好きだね」

 

 如意輪観音の近くの椿も花びらも、さっきの椿と同様です。

 

熊野神社です。この周りに椿が群生している訳です。有路家の氏神として1655年に創建されました。今から約370年前です。参道の右側には杉の2本の見事な大木があり、神社とともに年月を経てきたと推定しています。神社周囲に最初に植えられた椿はこの辺りだろうと思います。椿の先祖もこの杉と共にここで始まって、周囲に大きな群落を形成するほどになっていったと考えています。

 この花は花びらの広がりが少なくて藪椿のようですが、雄しべの軸は基部でもかなり独立している姿は雪椿に近さを思わせます。

 次の花は花びらが横に開いていますので雪椿を思わせます。雄しべの基部は少し隣とくっついていて、藪椿の性質が出ています。

 今回は以上とおりです。雪椿と断定できる椿はありませんでしたが、個体によって雪椿との近さはまちまちでした。つまり個体差がかなりあります。今回は熊野神社の中心部でしたので、熊野神社が創建された約370年前ころに植えられたかもしれない雪椿又は雪椿により近い状態が残っている椿を発見できることを期待していたのですが、残念ながら見当たりません。

 ところで、雪椿が特別な方法で繁殖していることについての研究が幾人もの人たちで行われ、その報告がなされています。それを私流に雑なまとめ方をしますと次のようになります。毎度のことですが、拾いこぼれが多数ありますことを御容赦ください。かなり研究が行われていたようです。

  •  雪椿は主にクローン繁殖(農園芸の技術で用いられる「取り木」「茎伏せ」と同じ原理)が行われ、種子による繁殖が極、稀である。
  •  藪椿は鳥媒花を有していて、花びらが筒状になって鳥によって花粉が運ばれやすいようになっているが、雪椿は花びらが横に開いているために花粉が運ばれにくくなっている。
  •  雪椿の気孔は、周囲が乾燥気味でも開口部を閉じる作用が弱くて、冬の乾燥に弱い。冬の風雪に晒されない雪の下でじっと乾燥しない生活スタイルがあっている。一方、雪椿は多雪地帯特有の環境に有利な生理的な特性を持っている。
  •  形態的ことなどの解析では雪椿と藪椿に大別されるが、葉緑体の遺伝子の検査では、北日本藪椿、南日本藪椿及び雪椿に類別される。しかし、形態と遺伝子的な系統が必ずしも一致しない。また、長い間での交雑があり、生殖的に隔離されていない。

 熊野神社周辺で「これぞ雪椿」と言える椿は見られませんでした。元々、雪椿が熊野神社周辺にあったとしても、クローン増殖では種子による繁殖と比べれば拡大速度は極端に遅くなります。そのため、昔、雪椿が植えられていたとしても、藪椿と雪椿のハイブリッドが圧倒してしまった可能性があります。それでも、熊野神社周辺の東側急斜面だけは、特に雪椿に近い形質を持っていたことを申し添えます。

 私の実家の椿と下畑沢稲荷神社の祠の椿も、ほぼ熊野神社の椿の平均的な形質でした。ところが、畑沢地区おしぇど山の椿は、熊野神社周辺の椿よりも雪椿に近い感じがあります。それでも種子よる繁殖がかなりあるようですので、やっぱり雪椿とは大きな違いはあります。

 さらに、畑沢地区から北東方向へ直線距離で約3kmの六沢地区繋沢の椿は、おしぇど山の椿と似通った雰囲気もありますが、次の点で数段も本来の雪椿を思わせるものがあります。

  •  葉柄が短い。
  •  種子による繁殖が見えない。
  •  花びらが、より横に広がっている。
  •  花びらの色が深い赤。
  •  枝の伸び方が上よりも横である。

 ここまで書けば、「繋沢の椿は雪椿」と断定してもいいのでしょうが、山形市大平地区の雪椿と完全に一致しているとも言えません。同一種であっても個体差かもしれませんが、それも断定できません。大平地区以外の雪椿との比較が欲しいところです。例えば、村山市葉山の山麓にある大円院跡の雪椿はどうでしょうか。大円院の椿は昭和11年(1936年)に柳田吉藏氏によって「ユキツバキ」として日本森林学会へ発表されたそうです。確かに大円院の一角にあった多数の椿の株を見たことがあります。しかし、もっと広い範囲の葉山山中での雪椿を見たことがありませんし、聞いたこともありません。あくまでも、ほぼ大円院境内に限られているようです。そのために、かなり古い時代に外の場所から大円院の境内に持ち込まれた椿と一般的に考えられています。大円院は西暦800年前後に始まったような伝説が残っているようですが、全国的にそのような伝説が溢れています。また、一般的にそのような伝説の内容が時代的に合わないことだらけであることなどを考えると、飛鳥時代から平安時代に創建されたと考えるのは難しいことかなと思います。神社仏閣の創建が古ければ古いほど宗教上はありがたいので、そのように伝説が作られたことでしょう。それでも、その境内に雪椿の純種か又はそれに近い椿が存在していることが、この二つの場所には共通点があり、伝説の信憑性だけでは言い切れない「古い創建」を感じさせるものがあります。

 歴史学的と植物学的にも大円院跡と繋沢観音堂跡の両場所に存在している椿の出所を解明することは大変、興味深いことだと思うのですが、世の中にその気配がありません。もしも、私がどちらかの研究者ならば、もう片方の研究者に声をかけて共同研究したいテーマにしたいものです。現代は比較的手軽にDNA検査をできそうです。

 さて、もう一度、畑沢の椿に戻ります。畑沢内の各地の時代を振り返ってみながら考察します。

 先ず、熊野神社の創建は明暦元年(1655年)です。このころに椿が植えられた可能性がありますが、ここは村人たちが絶えず畑沢地蔵堂での観音講や神社の祭りなどで集まる場所なので、創建後も長期間にわたって新たな椿を持ち込まれたものと思われます。それだけ藪椿の遺伝子が多くなっている可能性があります。また、中畑沢の私の実家の椿も建築された昭和時代初期に熊野神社等から株分けしたようにそっくりです。

 おしぇど山のおしぇ様(伊勢神宮)の造立は文化三年(1806年)ですが、その場所にある楯跡は遅くとも1500年代の半ばと考えています。まさか楯を作るときに椿を植えたかは分かりません。でも、延沢軍記には、野邊澤城の馬場に花木が植えられたとの記述があるのを見ると、おしぇど山でも野邊澤城に倣って椿を植えた可能性も否定できませんが、村人の楯にその余裕があったとは思えません。やはり、伊勢神宮祠が建てられた時代になってからと見るべきかと思います。そうすると、熊野神社よりも約150年後で椿が植えられたと考えるべきかと思います。では、椿はどこから持ってきたのでしょう。手っ取り早いのは、近くの熊野神社です。でも、明らかに熊野神社の椿とは異なります。繋沢観音堂跡の椿にかなり近い形ですが、実生で繁殖している点が大きく異なります。雪椿の繁殖方法とは異なります。さて、謎は深くなります。

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カルガモよどうかご無事であれ

2024-07-26 17:28:33 | 自然

 令和6年7月12日(金)に畑沢へ行ってきました。畑沢で気にかかることがありました。それは6月16日に驚いたカルガモの巣のことです。私は不用意にも、親鳥が大事に守っている11個の卵が入っている巣を草刈り機で切り刻んでしまいかねない大失敗をしたからです。草刈り機が巣を直撃する寸前で親鳥が慌ただしく飛び立ったので、かろうじて惨禍を免れたのですが、私は後ろめたい気分がずっと続いていました。

 その17日後の7月3日に畑沢へ行ったときに、親鳥も卵もまだ健在で安心しました。しかし、卵から孵化していなかったので、今度は孵化するのかどうかが心配でした。何しろ、その場所には、天敵の蛇や烏が多くいます。そもそも、私はカルガモがどれぐらいの期間で孵化するかを知りません。6月16日から7月12日までは26日になります。

 畑沢に着いてすぐにカルガモの巣を見に行きました。巣の中は空っぽでした。良かった。巣立ったと思いたいです。カルガモが孵化するときには、卵の殻を破ります。その殻は巣の中に11羽分残っていると思っていたのですが、全く見当たりません。再び不安になりました。

 蛇が卵を丸呑みすれば、殻は巣に残りません。烏が持ち去っても殻は残りません。総て私の不注意で天敵の餌食となったのではないかと後悔しきりです。しかし、孵化した時の殻を親鳥が丹念に巣の外は運び出していたとすれば、雛たちは無事だったことになります。どうか、そうであってくれと願っています。

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ユキツバキかなあ(その15②)熊野神社から西側斜面

2024-06-08 16:56:16 | 自然

 前回にブログを投稿したのが令和6年2月24日です。3か月以上も経ってしまいました。今年の2月下旬から5月下旬まで、娘が第1子を連れて里帰り出産で山形へ戻ってきました。その間はずっと忙しくて、とても「ブログに現を抜かす」暇がありませんでした。

 5月下旬に娘は嫁ぎ先へ帰ったのですが、私はブログへの怠け癖が付いてしまいました。が、大分、余裕が出てきましたので再開です。ユキツバキシリーズとしては残りあと2回だけですので頑張ります。

 前回、下畑沢の熊野神社がある山の東斜面を取り上げましたので、今回はその続きで、熊野神社を含む尾根から西斜面です。しかし、そこを調べたのは、去年の5月4月24日です。1年以上も前の話です。今年は見る余裕がありませんでした。

 尾根に登って林の中に入ると、山桜が咲いていました。木陰に入っていましたので、写真としての明瞭さに欠けます。花びらには小さな羽虫が沢山、付いていました。蜜でも求めているのでしょう。

 

 花はやはりユキツバキを思わせます。花弁が横に広がり、雄しべは一本ずつ独立しているように見えます。花びらの色も山形市大平の雪椿と尾花沢市繋沢の雪椿と思える椿のそれと似ています。

 

 でも、下の写真の椿の雄しべの基部を見ると、少し融合しているようです。この点が雪椿と言い切れないところです。完全に藪椿の遺伝子が入っているようです。ただし個体ごとに差異が見られます。上の花びらの説明でお見せした花の雄しべは、完全とはいえないまでもかなり独立していました。

 

 葉脈は光を透しやすいようです。このことは藪椿と雪椿の雑種でも同様ですので、雪椿だけの特徴ではありません。ところで、葉脈が光を透しやすいということは、何を意味するのかを知りたいものです。藪椿と雪椿では構造的又は材質的に何かが違うはずです。しかし、私が考えることなどは、たかが知れています。私が知らないだけで、既に調べているのかもしれません。

 

 杉林の中で鶏のものと似ている卵が転がっていました。殻の一部に穴が開いていましたので、烏がカルガモなどから盗んで食べたのでしょう。

 

 下の写真は、石仏が倒れているところのです。宝暦年間に畑沢地蔵堂の初代庵主「泰外」が身を削って、石に経の一字ずつを書いて埋蔵したときに建立した経塚です。私も復旧させたいのですが、私ひとりでは無理ですし、勝手なことはできません。これからもずっとこのままかなと悲しい気持ちです。

 

 大葉黒文字の花と新葉です。葉の裏、花柄(かへい)及び花びらの裏に産毛のような細かい毛がびっしりです。大葉黒文字は油分が多い樹木です。冬の低温から葉と花の芽を守るために油分が芽の中に充填されて、産毛はその油分を安定させる役割をしているのではと想像してみました。果たして、油分が充填されているのか、産毛がその役割をしているのかを何方かが調べてみてはいかがでしょう。

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ユキツバキかなあ(その15の①)熊野神社の東側斜面

2024-02-24 15:28:36 | 自然

 「ユキツバキかなあ」シリーズは、やっと振り出しにもどります。畑沢の熊野神社周辺の椿が、ユキツバキ(雪椿)かもしれない、いや雪椿だろう、きっと雪椿に違いない、などと思ってから早、6年にもなりました。不勉強なうえに慎重さに欠けていますので始末に負えません。

 しかし、ブログのおかげで救う神がコメントとして現れました。

「熊野神社の椿は、ユキバタツバキ(雪端椿)でしょう」。

 そこで、山形市大平地区の雪椿群落、尾花沢市六沢の繋沢の椿、同市原田地区の椿、畑沢の稲荷神社周辺の椿、同地区のおしぇど山の椿等を調べて、雪椿の何たるかを頭に入れました。

 その間に2年の月日が流れました。令和5年5月5日(開花期)と6月11日(新葉展開期)に畑沢の熊野神社に出かけて最終的な観察を行いました。熊野神社周辺には広い範囲に亘って椿が生えていますので、三つに区分して報告します。先ずは県道29号線(主要地方道尾花沢関山線)から尾根までの東側斜面です。

 ここの斜面には、落葉広葉樹が生い茂り、さらに夏季は葛が全面的に覆います。この時期は、まだ落葉広葉樹も葛も葉が本格的に展開していません。椿はその下に這いつくばるようにしながら、辺り一面に生えています。

 

 全体的な花の様子です。ほぼ山形市大平地区の雪椿と同じように横に開いているように見えますが、幾分、大平の雪椿よりも開き方が少ないようです。定量的に開き方を比べる方法を知りませんので、あくまでも感覚的に表現しています。

 

 雄しべを横から観察しました。藪椿とは明らかに異なり、それぞれの雄しべの基部が独立しているように見えます。それでも、大平の雪椿と比べると、基部がほんの少し融合しています。雌しべはおしぇど山や六沢地区の繋沢の椿のように、雄しべよりも長く飛び出してはいません。

 

 葉柄の長さは、藪椿よりは明らかに短いようです。大平の雪椿と比べても、ほぼ同じように短いように見えます。いや、長いようにも見えます。これも、定量的に計ったものではなくて、感覚的なものです。

 

 葉柄の毛は確認できました。大平の雪椿に全く引けを取りません。

 

 葉脈は透けているようです。雪椿の特徴があります。しかし、葉脈が透けると、生理的にどのようなことが生じるのかを知りたいところです。植物生理学をやっている方から御説明いただきたい思いです。

 ところで、このような写真を撮るのにはいつも苦労します。片手で葉を持ち、もう片手でカメラのシャッターを押すのですが、ピントが合いません。ついでに周囲が明るすぎます。ちゃんとした準備して撮影するのが真面な撮影者というものです。

 

 尾根に至って、熊野神社に挨拶いたしました。今年もお祭りに参加しなかった非礼もお詫びしました。

 

 熊野神社の東斜面の椿は、以上のとおりですが、外にも目に留まった植物がありました。珍しい植物ではありませんが、いつの間にか名前が変更されていました。私は「ウスバサイシン」と記憶していましたが、Wikipediaによると、2007年に山路弘樹、中村輝子らにより、新種「トウゴクサイシン」として命名記載されたそうです。最近は「新種」が多くなっています。いいことなのかもしれませんが、私には何とも評価できません。「最近」と言っても16年も前です。私の頭は半世紀前のままになっています。

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ユキツバキかなあ(その14)おしぇど山の椿

2024-01-14 10:06:53 | 自然

 令和5年4月23日、稲荷神社の椿を撮影して直ぐにそのままおしぇど山に登りました。2点間は水平距離にしてたった約110mで、標高差は約30mです。昔は山道があったそうですが、今は藪漕ぎが必要です。慣れていますので何とかなります。尾根の上に文化五年(1808年)に「お伊勢堂」を建てられ、訛って「おしえど」と呼ばれています。さらに遡って戦国時代は、この場所に「村の城」である村人の楯が造られました。

 椿はこの「お伊勢堂」に供えられたようです。即ち文化五年ごろに植えられたのではないかと期待しています。もしも、楯が完成したころに植えられたものならば熊野神社(1655年建立)の椿よりも以前から存在していることになりますが、それは欲張りすぎかもしれません。 

 椿は一株だけに見えますが、一株にしては大きすぎるようにも見えます。根の場所を確認すればいいのですが、いつものようにせっかちに先へ急ぎました。

 ここの花も、花びらが横に広がっており、雄しべの基部の融合らしきものが見えないので、外見は雪椿そのものです。

 

 雄しべを横から見ると、私の実家の椿と大差がないように見えますが、基部がより独立して感じがあります。特に際立った特徴は、雄しべに囲まれた中央にある雌しべです。雄しべよりも背丈が高くて、完全に飛び出ています。雌しべが受粉するうえでは不利になりそうですが、どんなものでしょうか。

 

 葉柄は確かに藪椿(ヤブツバキ)のそれよりは短いようです。しかし、山形市大平地区の雪椿の葉柄よりは長いようです。実測をしないところが私の雑なところです。

 

 一応、葉を透かして葉脈を見もしたが、ピントが合っていません。左手で葉を持って、右手でカメラを持ちながらシャッターを押しました。

 

 実生と思われる小さな株が、所々にありました。やはり、雪椿なら滅多にないことかと思います。

 おしぇど山の椿は、純粋な雪椿とは言えないでしょうが、畑沢では最も雪椿らしいものでした。この椿がいつごろ植えられたかを証明するものはありませんが、稲荷神社脇の椿よりも雪椿の特徴が強いことから、より古い時代に植えられたであろうことは言えるのではないかと思います。

 

 

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