畑沢にある稲荷神社については、私は中畑沢に建っているものだけしか知りませんでした。ところが、この間から紹介している紹介している楯岡高校の「郷土 」Ⅱ(昭和45年調査結果)の「畑沢堂祠碑分布図」には、中畑沢だけでなく下畑沢の荒屋敷地区にもその存在が示されています。しかし、私はどうしてもその存在に確信が持てません。記憶がないのです。
そこで、6月23日に行ってきました。県道から荒屋敷に入ると、宅地と林の境に鳥居が見えました。でも、やはりお堂らしきものは見当たりません。もしかすると、約40年前にはあったが、今はなくなったのかななどと想像しながらも、先ずは近づいて確認することにしました。鳥居は基礎部分が朽ちたのでしょう、かなり低くなっていました。体をかがめる様にして鳥居をくぐると、さらに10mぐらいの高さの木立の中に、まっすぐに上に伸びた山道がありました。ほどなく進むと、頭上でお堂が神々しく私を見下ろしていました。林に囲まれて全く姿が見えない状態から、突然に急な坂下から仰ぎ見る形になりますので、お堂は威厳を感じさせます。お稲荷様の一つの戦略でしょうか。私はまんまと術中に落ちました。何もなかったところに現れた「お稲荷様」。私は初めて対面しました。畑沢に生まれながら、60年以上もその存在を知りませんでした。「神様お許しください。60年以上も生きてると、お許しを願うのはいろいろと…あります」。
お堂の周囲は、ブナ、楢、杉が主体です。何処のお堂でも神社の周囲の木々は、薪や炭焼きのために頻繁に伐採されることはなかったのでしょう。普通の雑木林は何度も伐採されると株立ちになり、「藪(やぶ)」になっていますが、ここは樹高の高い木がすっと天に伸び、林の地表近くは、すっきりとしています。ブナが多いのも珍しい感じです。お堂のすぐ裏からは、直ぐに尾根が上に伸びています。と言うよりは、わざわざ尾根の最先端に建てられたお堂のようです。
お堂は、しっかりしています。手入れがされているようです。周囲は現代風に外壁材が使われています。お堂の中には、御神体があるのでしょうが、そこはスビタレ、今回も中を覗くことに躊躇してしまいました。私の様な罪深い者が覗くと、「天罰」が落ちそうです。
しかし、好奇心はひたすら旺盛です。周囲の木々がなかったら、このお堂から下畑沢、中畑沢、上畑沢を一望することができます。軍事、為政上の監視には持って来いの場所に位置しています。また、このお堂は、昔、楯があったと言われている「山楯」と尾根伝いに繋がっています。「とすると、山楯とこのお堂を結ぶ道が尾根伝いにあるのではないか」。素人仮説の確認のため、直ぐに登ってみました。お堂から上る尾根は平坦で、道としては最適なようです。。確かに途中までは、私の仮説は的を射た様に見えました。しかし、今度は山楯の方に下る尾根に入ると、状況は一変しました。極めて歩きにくいのです。とすると、お堂から続く尾根の道は、細野からの山道に対する監視等の役割りかもしれません。それは、次回の宿題となりました。