令和6年6月28日に「むらやま道の駅」で、村山市と米沢市のお二人と待ち合わせしました。お二人が背中炙り峠の楯跡を見たいというので、私は喜び勇んで案内することにしました。何しろ、初めてこの楯跡を見たいと言って下さった方々です。私にとっては他人の意見を伺う絶好の機会でもあります。ただ、残念だったのは、私の都合が悪くてこの日しか取れなかったことです。木々の葉が青々と茂って見通しが悪くなり、暑さも半端なく上昇していました。
道の駅から13号線を林崎まで北上し、そこから県道29号線へ入って、背炙り峠の切通しに至りました。この場所は何故か広い駐車スペースがあります。どう見ても、わざわざ駐車用にと幅広く整備されたのかと好意的に捉えてたくなります。ここから背中炙り峠へ歩きますが、林業等の作業道路は藪になっています。私が楯跡の調査を始めた10年前は、常に刈り払われていて、自動車で奥の方まで入ることが出来ましたが、林業や農業を担う人がいなくなってからは直ぐに藪に覆われてしまいました。
楯跡の主要部は下図のとおりです。拙書「畑沢を再発見」に載せた図面とは少し異なっています。堀切Cと堀切Dに土橋(どばし)的な表現にしました。堀切は工事途中なので渡れるように中央部に土が残されていたのです。
また切岸Bは堀切と表記していましたが、切岸工事の途中だったと見方を変えました。
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