畑沢で、「延沢城跡を見に行っか」から単純に始まった延沢城跡見学会。畑沢の人を中心に声がけをしたところ、令和元年7月22日(月)に畑沢在住者が二人、その友達の古殿在住者が一人、半分畑沢在住者が一人、畑沢の孫にあたる人が三人(六沢、天童市、東根市)、寒河江市在住者が一人、私の師匠(村山市)が一人、そして私たち夫婦を合わせて合計十三人が常盤地区公民館前の駐車場に集まりました。月曜日でしたから集まった方々は、60歳以上のようです。
延沢の県道から大手門跡と常盤小学校の東側(学校の了解済み)を通って、七曲を登っていきました。約1時間かかって本丸に到着すると、大杉の脇に毅然(きぜん)とした姿のカモシカが、微動だにせずに私たちを見ていました。
この城は、1547年か1549年に野辺沢薩摩守満重によって建てられ、能登守満延、遠江守光昌が城主を継いだそうです。しかし、1622年に最上家が改易されたために、野辺沢光昌も熊本の加藤家に預かりの身となってしまい、野辺沢城主はいなくなってしまいました。その後、城も朽ちて「城跡」になり、本丸には大杉が一人寂しく佇んで何百年も経ちました。
この日、城主が現れました。しかも城主に相応しい威厳があります。ただし、雌雄は分かりません。カモシカの雌雄の判別は、私にはできません。でも雌雄はどちらでもいいのです。どこかの国では男でなければならないとかなんとかと御託を述べておられるようですが、私にはY染色体が尊いとは思えません。ちゃんと城跡を守つてくれればそれでいいのです。このカモシカならその責任を果たしてくれそうです。本丸の周囲は絶壁となっており、カモシカでなければ身軽に上下できません。
私たちが常盤小学校児童のころは、しばしば、一コマの授業時間の間に上り下りできました。何度も本丸に立ちましたが、ただ「お城山」という山に登っただけで、城跡に登ったものではありませんでした。従いまして、城跡についての記憶は全くありません。やはり、城跡としての意識を持って眺めると、景色は全く別のものでした。カモシカさえも単なる獣ではなくて、武者たちの魂が伝わった守護神のように見えます。