ヘヤミしながらも、現在、私が進めている畑沢のまとめ(仮称)から木通(アケビ)の話を抜粋しました。
山は春と秋に幸をもたらします。子どもにとっての山の幸は秋に多くあり、栗と木通(アケビ)はおやつになります。特に木通は、お菓子のように「甘さ」があります。今のように、チョコレートやキャンディーをいつでも食べられる訳ではありませんでしたので、木通を求めて子ども達だけで山に入りました。「はけご」と言う藁で編んだ篭を腰に下げて、篭いっぱいに木通を採ってきました。採ってきた木通を県道の脇に広げて、子どもたちが木通を食べ始めます。ぱっくりと開いた木通から実を指で取り出して、口に放り込み口をぎゅっとすぼめると、ジュワっと甘いどろりとした汁が出てきます。それを精一杯吸い込んでから、残った黒い無数の種を思いっきりプ・プーと吹き出します。それを何度も繰り返して、子ども達の脇には沢山の木通の殻が残りました。殻と言うよりも皮と言われています。県道の脇ですから、極たまには自動車も通ります。背炙り峠を越えてやって来たと思われる自動車が子供たちの前に止まりました。
「そのあげびの皮売ってけねが」
子ども達は驚きました。これまでずっと捨ててきた皮を買うと言うのです。世の中には、変な人がいるものです。捨てる物を買いたいと言うのですから。当然、子ども達に不足があるわけはありません。商談は直ぐに成立しました。買いたいと言う人の言い値です。捨てる物ですから、値段はあるだけで有難い。
自動車が去ってから、「馬鹿だなあ 皮ば買ってえった」。
馬鹿は子ども達でした。畑沢では木通の皮は食べませんが、楯岡などの町では、木通の皮は上等な季節料理だったのです。しかし、畑沢ではその後もしばらくは、木通の皮を食べることはなかったのですが、大分、年月が経ってから畑沢でも木通の皮を食べるようになりました。
木通の皮と同じ様なことが、マムシでもありました。いつものように、蛇と見れば、直ぐに木で叩いて捕まえ、県道の脇で遊んでいました。またもや、背炙り峠を越えてきたと思われる自動車が止まり、「そのマムシ売ってけねが」。しかも五百円を出しました。これも直ぐに商談が成立し、子ども達は大金を手に入れました。昭和30年代の前半でしたから、五百円は大金です。子ども達で山分けしました。マムシは滋養強壮の薬として貴重なのだそうで、大人は変な物を欲しがります。そして、背炙り峠を越えて、思わぬ収入が舞い込みます。